現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

教え、教えられの記

2011-10-25 16:16:58 | インポート

薬屋の端くれをしています。時に、入院する程じゃないけれど、重篤な病気になっている人と会う。

「私だって、こうなる前には、健康のことについて、少しも注意してこなかった。こうなったから、本でも、ネットでも、人に聞いてみるという姿勢ができたのですよ。誰だって、そうなるとは思っていないもの」と言われた。

学ぶ姿勢。聞く姿勢のことだと思った。現実と直面しない限り人はそれほど切実な課題になり得ないのかもしれない。そんなこともあるだろうと言う想いから、様々な事を試みてきたつもりでいる。

一流の学者さんたちでさえそうだ。関心が違うところへ言ってしまっていれば、・・・・。

患者さんに教えられた。「いくら話しても通じないのはなぜだろう」と思っていた節がある。なにか買ってもらいたいと思っていたのかもしれない。反省。


読み取るべきもう一つの情報。

2011-10-18 15:25:23 | お礼状

地震の10分後にはm9のデーターは掌握していたらしい。あくまでも、新聞の情報を参考にしています。さすが、日本の技術力と感心させられたりするけれど、・・・・。

「津波の予報には役立てられなかったらしい」そして、「観測室の試算には難があった」というのだ。「試算に用いた地震計の多くが振り切れてしまった」様だ。

普通、皆さんならどのように判断するのでしょうか。

計器が故障していない限り、振り切れてしまったという事は「正確では無いものの、それより大きな数値になっている」とは思わないものでしょうか。

たとえば、皆さんが、原子力事故で汚染された地域に入らなければならないとしましょう。もちろん。線量計はつけています。数字で表示される上に、アラームがついている。

もっと汚染された地域に入り込んでしまうと、数値は振り切れて表示できないけれど、アラームは鳴り放しになったらどのように行動するでしょうか。

「これは、大変だ。避難しよう」とするはずです。

「正確さ」を求める余りに「適切な判断」が行えなくという実例にはなる。

少々、ファジーではあるが、人命の救助にはなる。

「取捨選択だな、つまり、・・・・」。

想定外ですので致し方ないのかもしれませんけれど、・・・・。

過去のデーターから逆算しまして、想定の内側にしておくべき事柄ではなかったのだろうか。

注 この記事はオペレーションの参考資料としたものである。


和紙ゃ、知らんぞなもし、・・・。

2011-10-13 20:29:09 | インポート

セシウム他の放射性物質があちらこちらで検出されているらしい。セシウムは、次々と居場所をかえて存在し続けるでしょう。

半減期でさえ30年かかる。

世田谷のものは原子力事故に起因するものじゃないらしい。

瓶と水がとは伝えられているけれど、・・・・。我々の回りには常に危険があることだけは理解いただけますが、・・・・。備えはできていないのでしょう。

再び問う 「are you ready」と、

和紙にある物質を添加しましょうか。これ以上は専門家さんに教えてもらいましょう。

利用範囲を大きく逸脱していることになるのですが、期待はできるはず、・・・・。


困った。これじゃ、idだらけになっちゃう。

2011-10-08 17:32:38 | インポート

ブログやインターネットの事である。その都度、idが設定される。野村監督じゃないけれど、これじゃidだらけになっちゃうじゃないか。

その上に、パソコンを変えている。おおかたは転写してあるが、どうもidtが違うらしい。

「パスワードを変えてください」と言われている。セキュリー上致し方ないのでしょう。

駄メールが多かったのでアウトロックを削除してある。

これには困った。パスワードを変える際にアウトロックがいる。いったん、復活させてまた削除するしかなさそうだ。

一見、便利なようだけれど、・・・・・。


無題

2011-10-03 19:00:30 | インポート

このブログの序文は徒然草の序文を引用しています。

「秋の夜長、燈火の下に一冊の古典を持ち出してきた。吉田兼好の徒然草である。その序文を現代語訳するとおおよそ次のようになると思われる。・・・・・・・・。」

もう一度、徒然草をひもといてみることにした。時々している。原点に立ち返ってみると言う作業である。

「兼好が現代に生きていれば、この時代をどう表現するだろう思いもある」と記載していますが、序文意外に彼の視点を引用していないことに気がつかされた。

今回は、第七章にスポットを当ててみましょう。「世は定めなきこそいみじけれ」と言うことです。

ふたたび、現代語訳しますと「世のは定め無き事ばかりで、突然、思いがけない事が良く起こるものだ。この定め無き事が実にすばらしいことだ」といっているものと思われる。

無論、そこには

「想定外」「想定内」という区分けはない。

実におおらかであり、とらわれない心のあり方かもしれない。すべての執着を超越してしまっているのかも、・・・・・・。

とかく、我先にと競争する社会に何らかの警告と示唆を含んではいないでしょうか。

多くの事柄を解ったつもりになっている現代人に「それは、ちょっと、違うんじゃありませんか」と問いかけていると思われる。ソフラティス的弁証法といえなくもない。否定の連続は肯定ときょうちょうである。

時々、パソコンが警告してくるけれど、・・・・・。