現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

コーディネーターに必要なセンス

2009-02-01 14:43:16 | 創意工夫ということ

 新聞に目を通していると「ハードとソフトの融合」という文字が躍っていた。グレーター・ナゴヤ。バンガード構想のキュー・ジュリアさんの記事である。私の言いたいことの大部分を代弁しているので引用させていただくことにした。

【世界は、モノづくり(生産型)社会からアイデア創造社会へと変わりつつある。技術革新に寄るハードのモノづくりは大きな財産だがそれだけでは今後の成長に限界があると思う。どんなものを作れば良いのか。ハードにどんなコンテンツ(情報の内容)や使用のシナリオ、体験のデザインを盛り込むかが問われる時代になるからである。(ハードにソフトを上手に組み込んだモノづくりの方向性を言っているものと解釈できる。)】使用のシナリオとは使用価値の創造であると考えられる。使い勝手のよさや利用範囲の拡大することである。

私はことあるたびにこの事に触れてきた。コンセプト又は一石三鳥の経済学に係わる事柄を言っている。メーカーが持ってくる多くの商品を見させていただいたことになる。お客さんに提供しながら治験データーもそろっているものもある。体験のデザインとは機能性並びにその商品や素材のもつメタモルファーゼ【変身術】及びふり幅の事を言っているのではないかと解釈している。

実際のところメーカーの持ってきたものを作り変えてあるものが数点事務所においてある。創造型産業の育成には自由な発想の出来る人材の育成確保が不可欠となる(ひとつの会社という枠組みの中では解決できない課題も多くなってきている。)。まさに私がこのシリーズ(「ゴミを砂金にかえる発想」から本書までの中でこと細かく言及している事柄である。)の中で何回となく言ってきている事を要約してか書いてくれたものと思う。

尚、続けて多様な文化、価値観を受け入れて分かち合い連携することができるオープンな地域づくり、ビジネス風土が求められる(閉鎖的な企業風土とは相容れないものである。企業にはある種の限界がある。)。と結んでいるではないか。

かつて、片田舎の中学校で一教師が身を持って皆に伝えようとしたクリエイテブの心【モノづくりの基本的な精神及び考え方】が垣間見えてくる。知識(事実の因果律)と知恵(価値の因果律)の両方を兼ね備えた技術や創造物が求められるということではなかろうか。それこそハードとソフトを兼ね備えたものになる。商品としてはストーリー性を持ったものが求められるということではなかろうか。 

【発想を豊かに語る友ありて今宵嬉しき酒の肴かな】

【情熱が語らせにける発想の宴を彩る酒の肴として】「歌創造学より」

  【参考文献、中日新聞、人最前線 19-4-14号【】の部分と傍線を施した所はそのまま引用させていただいている。】

  【参考文献、この本の中のトータルプランと読み比べていただきたい。具体的な事柄が書かれている。】

上記の文章を図式化すると(発想を含めたソフトの必要性が求められている。)

        ハード               ソフト

 (知識、技術の領域のことが多い。)← ― →(知恵の領域のことが多い。)

     事実の因果律← ― ― ― →価値の因果律(バリュー・システム)

  (科学的に体系化されている。)← ― →(欲望や夢、感性の領域を体系化)

    (主に学校で習得される知識)←  →(家庭や体験などで習得する知恵)

       物としての商品←  ―  ―  →商品の使用価値

      (物性、物の側)         (使い勝手、人間の側)

 現代社会はハードとソフトの領域がこんがらかってしまっているところに物事の本筋が見えにくくなっていると考えてよさそうである。どちらも大切なことであるが、本来、知恵を教えるべき家庭でも知識偏重になってしまっているし、知恵を家庭で教えない分、学校で教えなければならなくなってしまっていることになる。この両者は何処かでダブってくるところもあるが基本的には別のものである。

戦後の教育が置き去りにしてしまったことかもしれないし、高度成長の中で家庭の役割が低下してしまったことによるのかもしれない。その判断は専門家に任せるものとして、・・・・。

最近、「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーになっているが、かばいばあちゃんの教えている多くのことは知恵の領域のことである。そして一般的な生活をカバーする上では多くの面でハードはなから揃っていると考えられるが(欲をいえばきりがないけれど…。)、それを補完すべき知恵(ソフト)が不足しているのではないでしょうか。


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