ヘッドラインの記事を引用しています。「真田丸」振り返り四コマ何とかのことです。「 」で括りました部分。
「第一次上田合戦では、
1. 徳川方を挑発し神川を渡河させ前進せざるを得ない状況を作る
2. 狭い城下町に誘導し、大混乱に陥ったところで側面陣地の戸石城から横槍を入れる
第二次上田合戦ではさらに工夫を凝らし、
1. 側面陣地の砥石城を信幸に取らせて真田同士の戦いを避け、さらに敵を油断させる
2. 兵糧攻めをする徳川軍を反対に兵糧攻めにし焦らす
3. 秋の長雨で神川を増水させ退路を断ち時間切れを狙う」
一次と二次を混同しちゃつているんじゃないでしょうか。
特に二次の三番目は一次の神川の堰を切って援軍を遮断したことではなかったでしょうか。もしそれなら退路を断ったのではなく援軍を無力化したことでしょう。
二次は秀忠軍は関ヶ原への道中であって、遅延作戦の結果関ヶ原(天下分け目の戦い)に遅参するということになったはずでしょう。
二次においても雨を待っていた節があるりますが、秋の長雨でその様になったのかもしれませんけど、・?。
史実はどうかわかりませんけど、あくまでもオペレーション的な判断です。
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