お婆ちゃん(義理の母と親父。)がなくなった。我が家はどうも日当たりがよい。切り花が長持ちしないのだ。
親父の方はまだよい。奥座敷に据えている。あるとき、その素材と巡り会えたことになる。
一つは善光寺平産業フェアーであり、もう一つは、新聞の記事である。そして、その成分に似たものならものなら同じような効果が期待できるでしょう。
そのほかにも、二つ以上の鉱物がある。おそらく、外郭電子の数が一致すればそのほかにもあるかもしれません。
ということは炭でも良さそうだけれど、・・・・・・・・。
幾通りもできそうだし、炭はもっとほかのことに使えるじゃないか。
いにしえのことがよみがえってきた。冬のまっただ中に、親父と一緒に炭になる木を山から運び出したことだ。
発想の原点が、このような日常的なことから生まれてきています。その方がよいのだ。
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