イソップ物語の中に【ある百姓が死の床についた。百姓は,自分の息子たちを枕元に呼んでいった。「わしはもう長くない。わしが死んだら、葡萄の畑に隠しておいたものを探すが良い」。
そこで、息子たちは何か宝物が埋めてあるだろうと思って、葡萄畑をすっかり掘り返してみた。宝物は出てこなかったが、畑をきれいに掘り返したおかげで、何倍もの宝物が手に入った。(第83話)】という話がある。
最近、若者たちの活字離れ(出版業界が頭を痛めているらしい。)や恋愛離れ(少子化対策が・・・・。)が取りざたされているけれど、・・・・。その他にも、酒離れ、マージャン離れ、車離れが起きているようだ。新たな価値基準で行動を始めているのかもしれない。(40年以上も前にこの様な現象を予測していたチャールズ・A・ライクのサイレント・リボリューションが起こっているものやら?ザ・グリーニング・オブ・アメリカ。参照)
本やそれなりの情報を読んだり吟味したりすることや、人と会って話してみるということはイソップのこの話と同じことになりはしないだろうか。
少なくとも私にとっては価値のある情報を提供し続けてくれたけれど、・・・・。
宝物は何もお金だけではなかろう。心の糧というのかもしれないし、迷いが生じた時にふと思い出すことがありはしないだろうか(幸せの方程式、参照)。
そういえば最近、自己表現が上手くできない人たちがいるような気がしてならない。論理的な手順とか、プレゼンの手法を身に付けなければならないがとうなっているのかは知らない。
「唇よ、熱く君を語れ。」といわれた頃が懐かしく感じられるのは私だけだろうか。コミニュケィーションが上手くいっていない現象が目に付いてきた。
家族間でさえままならなくなって傷つけあってしまうことである。
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