現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

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2009-08-09 13:28:32 | 情報行動科学

酸化チタンの利用法で瀬尾板金の工場長とブレーンストーミング

水性チタンの塗料がある。およそ何処へでも利用可能で車用のスプレーガンで吹ける。車の内装面に拭くと効果絶大。タバコ等の匂い消し、空気清浄機能、どれをとっても言うことなし。30万ぐらいで家庭用の塗装が出来る。平米2400円だそうである、シールドを施してその値段である。

小布施の鶴田さんはシメジ生産工場の屋根をこの塗料で塗った。感想では工場の中が涼しくなっている。作業場はエアコンを使わなくても涼しいらしい。(本人及び従業員の話)メーカーの情報では体感温度を3度落すことが可能であるということである。

このことは宮下さんも言っていたが、彼の情報はテレビからのものであるらし

い。鶴田さんには消費電力のデーターをお願いしている。断熱、塗料で検索でき

る。H―16―7―29   瀬尾板金工場及び事務所、工場長にチタンの金属を見

せてくる。

【長野オリンピックの聖火台、チタン金属でできている。】

  普通の光に反応する光触媒材がトヨタで開発された。h-17-5-21中日新聞。

サイエンスゼロ及び特番【日本発世界特許】という番組 光触媒 酸化チタン、h-16-5-1NHK【サイエンスゼロの方】

光の特に紫外線に作用して抗菌、殺菌、活性酸素が殺菌。利用方法はテントの表面に塗布、 空気清浄機のフィルター、環境浄化能力、セントレア光触媒のガラス 汚れたガラスの汚れの下に水が入ることによってガラス面がきれいになる。一年に数回掃除するだけでよい。匂いもなくなる。光触媒のフィルターに紫外線を照射する。アセトアルデヒドの分解も可能。「セルフクリーニング作用。」 

写真はなぜ写るか。月の光でも光触媒が起きるものがある。強い酸化力が水を分解する。電気分解と同じ原理になる。

酸化チタンの原料 イルメナイト、 インド・パキスタン原産、 人体にも悪影響がない。塗料に使われている。白い着色料に使われている。化粧品のUVカット剤として利用されている。

吸着剤ランタン化合物を添加する。アパガード等どうしても表面反応なので汚染物質を吸着させるのに必要。磁石でよさそうである。(シックハウス対策はこの方法で簡単に解決できる。)

一日1000台分の車のNO―Xを処理する能力がある。信州大学工学部の外壁はこれが使われている。川の水に含まれているエストロゲンが10分の1になる。表面反応なので、銀、銅をつける、暗い所でも光触媒が可能になる。

光触媒の酸化チタンがSARSに効く、香港、台湾の政府機関のデーター。(中日

新聞)

 

無光触媒の製法がある。酸化チタンに窒素を添加で繊維に加持することが出来る。シックハウス症候群が解決できる。

チタン、コバルトの化合物は透明磁性体の性格がある、広い範囲で利用が可能となる。そのジェルタイプのものが出来ればいっそう広くなり多くの分野で広範な商品が供給可能である。塗っただけで筋肉痛などが解消する薬品ができる。

チタンのセルフクリーニング作用を利用して洗剤に混ぜれば、抗菌、殺菌、漂白,脱臭、等のすばらしい洗剤となる。この方法は貝類の微粉末でも良い。特に病人の衣服の洗浄に大変な力を発揮する。院内感染を予防できる可能性が大きい。すすぎの時に使用して少々服に残っていたほうが効果的である。(柔軟材に混ぜる。)

バンコマイシン耐性菌でも殺菌可能になるだろう。


農業政策も体系化されていなかったのだ

2009-08-03 10:08:21 | グウ、チョキ、パアの理論

(グウ、チョキ、パアの理論)

 想像するに、農家などでは自分たちの生産物を加工するということはしてこなかったと思われる。中学のころはまだ麻の栽培が盛んに行われていて、冬場はそれを畳糸とすることで家内工業のようなことが盛んだった。

それ以後は、農協や村の経済課で「この作付けをすればどのくらいの収益が見込める。」「これを栽培すれば現金化が早い。」「この作物はメーカーとの契約栽培です。」というものしか手がけてこなかったものと思われる。そのために、過去に設備投資したものなどがそのまま使われずに残っているだろう。乾燥機や粉砕機のことである。一つ一つのことがプツンプツンと切れてしまっていて投資した機械も埃をかぶったままになっているだろう。

栽培計画ということはまことに他力本願になっていたのだろう。実際、しいたけの栽培も、岡わさびの栽培もかつてのように継続されているとは考えにくい(キノコ類は最近工場で生産されるようになってその生産量は拡大している。)。わずかに種物の栽培だけが残されているものと考えられる。しいたけでさえ生でスーパーに並べられるか、乾燥品か、その粉末くらいしか商品にはなりえていない。漬物や炊き込みご飯の具材、スープなどに混ぜ込まれているのはまだよいほうである。そしてそれらの大部分は大手の会社がしている。

何年も開催されていたふるさと村でさえしいたけの生か、乾燥品しか並べられていなかった。そこの担当者に「乾燥粉末にすれば相当な範囲で利用可能になる。(その具体的は配合の仕方については話していない。想像はつきそうなものである。)」と話してきたが、何年たってもそのままで進歩がなかった。言ってから8年以上はたっていると思われる。

私の提案していることをしなくても、自分たちで考えて社会のためになることを試みればよいのだが、そういうことをしているとは一切伝わってこない。取り組みはしているが宣伝をしてないだけなのかもしれない。

農家にしても栽培しても買ってくれるところがなければ腐らせてしまうだけであり、農協や村の農業政策も系統立てて体系化されていなかったのである。熱が冷めてしまえば放棄しなければならないという性格のものだったのだろう。計画ということも単一のものでしかなくせっかくのチャンスを潰してしまっていたと思われる(機会損失、注、参照)。本書の中にある図式化したものを参考にしていただきたい。代替の効く構造になっていることがご理解いただけるはずである。

小さいことから、今日できることから取り組んで段々高度化させていけばよい。その間に確かな情報やその生かし方や自分たちのスキルがアップするということになる。山村といえども商品経済が浸透してしまい、それらを買うために工場を誘致しなければならず、兼業農家という道しか残されなくなってしまった。

多くの村がそのような経過をたどってきているものとおもわれる。補助金で保護されていた稲作も欧米化とともに消費する量が落ちてしまい、減反という政策と古米が倉庫に眠ったままになっている。それも利用する方法はあるが試作してみるというところまではことが運ばないのかもしれない。どうしても無理なら外国の災害地や難民キャンプに食糧援助という方法もあるが、粉にしなければならないだろう。

そして、若者たちは街に出て過疎化という現象に歯止めがかからなくなってしまった。限界集落なる言葉が生まれているではないか。住民サービスが極端に低下してしまいかねないのである。それをよいことに産業廃棄物が山里まで押し寄せてきている。手軽な政策になるけれど壊すことのできない自然がもう一方にある。

究極のところ相反する命題(二律背反)を常に突きつけられているということである。これを称して「グウ、チョキ、パアの理論とか、ポピリズム。」といっている人たちがいる。その時々の多数決によって政策がころころ変わってしまうといいたいのだろう。

いままで課題として取上げられたて来たもののクリエイテブな環境は実に少なかったものと見受けられる。(国が、県が、村が・・・・。)ということになっていて自分たちの事ではないというような雰囲気だったのではなかろうか。その仕組みを作らなければならない。住民一人一人が輝くような仕組みにしなければならないのである。「神は自ら助けるものをたすける。」という自助努力の精神と「一人は万人の為に、万人は一人の為に。」という相互扶助や共同体の精神は気薄になってしまったのだろう。昔から、農業生産物と工業生産物の間には付加価値生産性ではかなりの開きが歴然としていたではないか。若いころ、おぼろげに感じていたことが実際目の前に新たな課題として浮上してくるとは思わなかった。

 注 機会損失 タイミング等を逸脱してしまってチャンスを失ってしまうこと。自然のものを原料にする場合、その先から準備しておかなければならないものがある。それが間に合わないため1年向こうにしか立ち上げることができなくなるという性格の素材や商品がある。

   【参考文献、シエーレからの発想 面白中学の三年間。】

   【参考文献,イソップ物語 第72話 ヘラクレスと牛追いの話。】

   【参考文献、出世を考えるより感性を磨け 蔦文彦著 小学館】