歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・第二十八回・「新しき幕府」・感想・面白くなってきた

2020-10-25 | 麒麟がくる
「麒麟がくる」の演出が「良い加減」だということは、私は散々指摘してきました。「いい加減」ではなく「良い加減」です。前後の脈略とか結構大きく無視します。「光秀ともっと早うに会いたかった」、これは足利義輝の言葉です。12歳の時に初めて会って、10代でまた再会もしています。一体いつ会いたかったのでしょう。5歳か!

本当に「批判じゃない」のですよ。こういう所も楽しんでいるのです。
今回もそういう「楽しいつっこみ所」満載です。「今井宗久はどこに行った?この本圀寺の戦いで堺は三好三人衆と組み、2万貫の矢銭を課されるのに」
とか「あんなに京の火災を心配していたお駒ちゃん。結局戦になった。実はこの後も桂川の合戦というのがあるぞ。どうして十兵衛を責めない」とか。

それにしても本圀寺合戦、1秒でいいから義龍の子の龍興を出してほしかった。「寄せ手」の大将の一人です。
あと越前攻めの理由が「朝倉と三好が手を組んだから」、、、これは調べてみたいと思いました。

1、将軍足利義昭・上善は水のごとし

今までの大河の中でも際立って「へたれ」です。でも「へたれ」には強みもあります。

上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。

(最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、誰もがみな厭(いや)だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。)

明らかにこの老子の言葉を意識したような人物になっています。そうすると今回「義昭が水を運んでいた」ことも意味があるのかも知れません。
「水は斬れない」のです。この義昭はなかなか「斬れない」と思います。信長も「織田殿」なんて呼ばれたのでは手が出しにくい。「一番強い義昭」という言い方もできるかも、と思いました。

2、摂津晴門

政所の執事はずっと「伊勢氏」だったのですが、義輝の時代に摂津に変わりました。伊勢氏に代えて起用したのだから、史実としては骨のある改革派だったのかも知れません(これから調べます)。ウィキペディアを読む限りでは、一貫して義昭に従っており、義栄を拒んでいます。息子は13歳で義輝と共に死んでいる。実像は気骨ある老人なのかも知れません。とにかくこれから勉強します。

摂津さんはドラマでは伏魔殿の妖怪です。妖怪代表は彼と、比叡山の天台座主、覚恕親王です。正親町帝の弟です。兄に対してはコンプレックスを持っている設定みたいです。この設定、池端さん、大好物です。
さて、摂津さん。鶴ちゃん。
歌舞伎みたいな言葉遣いでした。「信長に一泡ふかせてみしょーぞ」。もう明らかに「半沢直樹」の「歌舞伎系悪役」、猿之助さんなんかを意識した演出です。
そして光秀と信長はやがて「反撃」を始めるようです。「倍返し」ですね。

どうして義昭はそのまま摂津を任命したのか。それはドラマ上では分かりません。史実としては当然という感じがします。ドラマ上は、どうやら三淵や一色が賛成したと、細川藤孝の言葉からは「うかがえ」ます。三淵や一色も「伏魔殿の一員になっていく」のかも知れません。いずれにせよ、これまでの大河で義昭が担っていた「信長包囲網」作りは、摂津晴門が担うようです。幕府本体と将軍を分離する。これは新しい描き方でしょう。
義昭がどうかかわり、またどう「かかわらない」のかも見どころです。(あくまでドラマの話)

3、今井宗久はどこにいった

今井宗久は信長おかかえ商人として、時にブレーン(参謀)として、信長の「天下布武」(ドラマでは天下静謐・せいひつ)を助けていきます。大河「黄金の日々」では、丹波哲郎さんが演じて「ほぼ前半の主役」です。
しかしこの時の宗久はまだ堺を主導していたわけではなく、堺の会合衆の一人です。そして今回の「本圀寺合戦」では、堺は三好三人衆の味方、どころではない、三好と組むのです。なお三好とは三好三人衆。覚えにくい三人です。三好本家は、三好義継で、松永久秀とともに「信長陣営」にいます。
堺はこれで「矢銭2万貫」を課されます。一回目は乗り切った?「黄金の日々」はこの場面の少しだけ前からスタートします。2万貫は計算にもよりますが、20億から24億でしょうか。もっととんでもない計算もあります。そして、この件から堺は信長を恐れ、今井宗久の地位は格段に上がっていくのです。その辺りの話はスルーでしょうが、ここから今井の活動にも目が離せなくなっていきます。

4、松永さんのお茶

つくも茄子を献上したのは有名です。大河「信長KING OF ZIPANGU」では、そのあと「つくも茄子も知らないのか。田舎大名め!」と毒舌を吐きます。今回は「なーんだ、十兵衛も知らないのか、わはははは」と豪快です。
松永さんの「見直し」が始まっていて「このままではいい人になってキャラ崩壊」しないかと心配です。松永新説はよく知りませんが、読んで判断したいと思います。
もっとも松永さんが大活躍するようになったのは「信長協奏曲」からで「最近の出来事」です。

松永をどうして許したのか。信長の思惑、義昭の考え。幕臣の考え、、、探っていくときっと面白いことに満ちています。今までは大河で活躍しないので、私は考えたことがないのです。あくまで「大河を楽しむ」ために史実を調べているのです。ちなみに史実では松永さんはこの時、すでに「たくさんのお土産」を持って、岐阜まで行って信長に会っています。信長は本圀寺を聞いて、松永さんを連れて京にきたのです。動きが早い。まさに梟雄です。

筒井順慶と戦うようです。「セリフありの筒井順慶」は大河初だと思います。「敵か味方か」と「おなじみのフレーズ」で紹介されていました。古いから新しいのでしょうね。松本人志さんも書いています。「敵か味方か、カウボーイ」。昔のドラマ予告ではこの「敵か味方か」が繰り返し使われたのです。敵かな?味方かな?史実も面白いのです。

5、信長は不信心者なのか。

なんかいつの間にか信長が「いつもの信長」のようになっています。さらに摂津への怒りなど見ると、いつもより格段に感情的です。まあ「子供みたい」な点では一貫しています。「自分を認めないものに怒り狂う」点でも一貫しています。そう考えると「いつもの信長ではない」か。ないですね。

さて「石仏」の件。
いかにも信長が不信心という演出でした。ただ、石仏を石垣にするのは「転用石」という専門用語があるほどで、一般に行われていました。松永もやってますし、十兵衛の福知山城なんかには沢山の「転用石」(主に墓石?)があるようです。ただし二条城の石仏の転用は異常だという都市考古学の学者さんの説を見ました。十兵衛の城では石仏は極少で、松永さんの城では「ない」そうです。全部墓石か石塔?すると二条城は異常となります。

私は「石垣と宗教に弱い」ので、あまり「ウンチクめいた」ことは書けません。ただバチは怖くなかったのでしょうね。石仏を運んでいた男も別にバチなど恐れていない様子でした。それはドラマの話としても「この上に実際に住んでいた」のです。多くの人が。
「かえって魔除けになるのでいいのだ」という説明も当時からなされていたようです。あっ、するとバチはやっぱり怖かったのか。宗教と風俗は難しくて「こうだ」とはなかなか断定的には書けません。

土田御前が「仏のバチが当たると言った。バチを待ったが何も起きなかった」、、また「母親の育て方が悪かった」みたいな感じですが、土田御前は当然のことを言ったまででしょう。ただし「バチが当たればいい」と「何の愛情もない言い方」をしたことは十分に予想できます。ともかく「バチが当たるのを待った信長が異常」なのです。ただし「バチが当たって土田御前が優しくしてくれることを待った。が、何も起きなかった。何も」となるなら、、、ちょっと悲し過ぎます。

バチ問題はともかくとして、信長の表情はまたいつもの「サイコパス」になってました。今までの大河では、というより、一般的な理解では「信長は合理主義者だから、敵対してない寺社には寛容だったが、敵対する寺社にはバチなど恐れずに攻撃した」とされます。「合理主義者ではなくサイコパス的だから」というのが「新しいと言えば新しい」点です。単に変なだけとも思いますが(笑)

寺社、特に比叡山や本願寺は、寺社というより戦国大名に近い武装集団でした。「バチも武器」なのでしょう。「バチなど恐れる余裕はなかった」というのが真相かも知れません。寺社と戦うなら、そんなもの恐れていたら命がないのです。石仏の件は「信長は意外と信心深かった」という説にも、一石を投げかけそうです。しかも紀行で「実際に使われた石仏」が紹介されました。「どうだ」という感じです。ただし反論はできます。私にだってできるのだから学者さんなら簡単です。私は織田信長の特殊性を示していると思いますが、、、。人並みに神仏を大事にすることもあったが、敵になると、つまり本願寺や比叡山や高野山には、厳しかった。特に一向宗には相当厳しかった、でいいような気がします。

「バチが当たるかどうか自らの体で人体実験をした」となると、さらにそれに併せて「池の水を抜いて化け物を確かめようとした」という描写もあったことを考えると、脚本家と時代考証家はふんわりと「合理主義者として」描きたいのかも知れません。ただ露骨にそれをやると「新しい信長じゃない」と言われる。だから「ふんわりと遠回しに、信長の合理的側面を描いている」、そんな解釈もできそうです。

さて義昭二条城の建築現場ですね。信長も先頭に立って建築に加わりました。「祭り」のようなもんだったと思います。「大石を運んでその上に乗った」(大石は描かれるようです)とか「女性にちょっかいを出した織田兵を見つけて即座に首を自ら斬った」(織田軍の軍律の厳しさを物語る逸話、フロイス)とか、エピソード満載の「建築現場」です。

6、十兵衛と鉄砲
私は、この本圀寺の合戦で「十兵衛が初めて鉄砲を実践で使用する」と思っていたのです。なにしろ前はずっと背に鉄砲を背負って歩いていた。分解もできる。産地だって当てられる。次は連射の工夫です。例えば3人が十兵衛について、3丁の鉄砲を装填する。すると実質3段撃ちのようなことになります。そんなことを十兵衛が工夫するのではないか、と思っていました。
ところが十兵衛は蔵に籠もって、義昭と昔話です。あれっと思いました。十兵衛が一番活躍したわけではありませんが、それでも信長公記に名前が残っている。それなりの軍事的活躍をしたと思われます。しかし十兵衛は鉄砲を持たない。結局今に至るまで、十兵衛は一回も鉄砲を実践で使用したことがありません。ちょっと不思議な演出でした。

さて石仏。史実としては転用石程度に十兵衛が驚くわけはないのですが(墓石はよくあっても石仏はないから驚く?)、ドラマとしては驚き不安を感じていたようです。あれ、十兵衛も「いつもの光秀」なのか?考えてみると思考回路は「ずっと、古いものを大切にするいつもの光秀だったのか?」まあこれからの展開が見ものというところでしょう。ますます面白くなってきました。

大河「麒麟がくる」における「織田信長像」・史実と虚像・「大河新時代」とは。

2020-10-23 | 麒麟がくる
麒麟がくるにおける「ここまでの織田信長」を考えると、「史実とのかねあい」で言うなら28年前の「信長KING OF ZIPANGU」より「むしろ後退した」と言えます。そもそも美濃攻めも描きませんでしたし、ほとんど何も描いてはいません。三好や松永、足利義輝といった「畿内の情勢」に時間をとるので、信長を描いている時間はないとも言えそうです。

NHKは最新研究に基づき「保守的側面も」描くと言っていました。「も」です。「保守的側面を」ではないのです。どこが保守的なのか。1、旧権威に対する言葉遣いは丁寧である。頭ごなしに将軍を否定することも、天皇を否定することもない。2、親父から多くのことを学んだ。3、初めから天下を取ろうとなんてしていない。ぐらいでしょうか。親父から学ぶことは別に保守的側面ではないと思いますが、去年の段階からNHKは「父から学ぶなど保守的側面」という言い方をしていました。

あくまで「も」描くなんですね。だからここにきて信長は改革者としての一面を強く印象づける人間になっています。上洛については十兵衛が主導した感じになっていますが、その割には藤吉郎を送り込むなど、十兵衛の知らないところで着々と手を打っている感じです。

信長が「保守的」とか「定説は違っていた」とか「普通の武将だった」とか言われる場合、以下のようなことがよく指摘されます。それは「ドラマ上は」どうなっているでしょうか。

・初めから天下を狙ってなどいない。→これは狙っていない。前半では天下という言葉すら登場しない。「大きな国」である。今は「大きな世」に変わっている。
・旧守護をそれなりに尊重する→わからない。結局守護斯波の息子はどうなったのか?
・政治的システム的には室町幕府のシステムを超えるものではなかった。→わからない。描かれていない。
・室町幕府の存続を考えていた。→今はそうかも。ただし今までの大河でもそうだった。
・特に土地制度については先進的とは言い難い→描かれない。
・反抗しない限り、宗教も保護した。→わからない。まだ描かれていない。熱田神宮はそんなに信奉していない。「熱田に行って、神にでも拝むのか」というセリフがあった。
・朝廷を尊重した。または利用した。天皇を超えようなんて考えはなかった。→正親町帝とは「そりが合わなく」なるらしい。
・楽市楽座も不徹底であり、座を保護することも多かった。→わからない。ただし織田家は金持ちである。津島を押さえているためらしい。
・宗教心を持っていたのではないか。→石仏を「ぺんぺん」していた。あまり持っている感じはしない。
・常識的な人間だった→承認欲求が強すぎて、情緒不安定で、常識的な普通の人間という感じはしない。

つまり「新説の信長」(私は新説に懐疑的ですが)はほとんど描かれていないのです。ただし「天下という用語を避けた」のは新説への配慮でありましょう。そこは「大きな変更」なので、新しく見えることは確かです。

一方で信長は「それでも信長だ」「やっぱり普通の武将とか常識的人間は言い過ぎでしょ」「改革者の側面の方が強い」と言われる場合、以下のことが指摘されます。「ドラマ上」はどうでしょうか。

・臨機応変な思考、合理的判断→あまり鋭い感じはしない。が後編になってやけに「戦略的」になって鋭くなり「いつもの信長」に近くなっている。池に潜ったのは合理性の表現か?
・居城の敵地接近移転→描かれない。小牧山城は出てこなかったと思う。細かくみると出てきているのかも知れない。
・新兵器の活用→「鉄砲の話」がどっかに行ってしまった。十兵衛も信長も話題にしなくなった。長槍の話も全くない。ただし今井宗久が出たので「鉄砲復活」であろう。
・軍事組織のスケールの大きさ→わからない。描かれない。
・強い配下武将支配・重臣の合議制ではない意志決定→決定権は信長にあるようである。配下武将を怒鳴り飛ばしたり蹴飛ばしたりすることはない。実力主義はとっているようでもある。柴田と佐久間ぐらいしか重臣が出ない。幕臣の摂津晴門は散々怒鳴られて復讐を誓っていた。
・関所の廃止、ある程度成功→強くは描かれない。光秀が関所を疑問に思うシーンは1話にあったし、菊丸と関所を通りぬけるシーンもあった。
・伝統権威でも逆らえばつぶす方向で「慎重に」行動する、比叡山→そうなるらしい。
・室町幕府の存続を本心で望んでいたかは不明だが、結局は交渉決裂。義昭の子を将軍としてたてることはなかった。→どう描かれるか分からない。
・官位をもらうこともあるが、すぐ辞任してしまう。執着はない。官位を辞して後、死ぬまで官職はなかった。→官位への執着はなさそうで、義輝と対面した時、官位を断ったらしい。ドラマ上は官位が描かれる。しかし義昭は最初は「尾張守」と呼んでいたが、今は「織田殿」と呼んでいる。官位で呼ぶということもなさそうである。
・ある程度の検地→検地は描かれない。
・兵農分離もそこそこ成功・専業武士団の創設→描かれない。前田と佐々が出てきた場面、あれは専業武士団なのか?十兵衛は田を耕してはいた。
・反抗する宗教勢力・自治都市などには容赦なかった。ただし自治都市はさほど反抗しなかった。→描かれない、比叡山は描かれるが、本願寺は分からない。というより堺への信長の「攻撃」などは「なかったこと」にされるようである。
・座の保護も含めた、商業政策の重視→商業政策は重視しているらしい。ただし「座」は全く描かれない。

ほとんど「描かれない」わけです。これは「信長が主人公ではないから当然」でもありますが、堺の件のように「あえて嘘を描く=フィクションにする」ことも多いような気がします。

で、今のところの私の結論なんですが「大河新時代というのは、どうやら史実にこだわらず、フィクション性を高める。あと画像を美しくする。」ということみたいだ、となります。後半を見ないと断定はできませんが、「フィクション性を高める。エンタメ度を高める。その為に時代考証より文化風俗考証に力を入れる。新鮮味を演出する」というのが「大河新時代の中身」になっていく気がします。もっとも風俗考証がどこまで正確かは私の力量では分かりません。「青天を衝け」でも「鎌倉殿の13人」でも絵を美しくするため文化風俗は詳しく描かれる「予感」がします。ただ「青天を衝け」は「近代」なので戦国ものよりは史実にこだわるだろうし、近代はこだわってもらわないと困ります。私は大河はフィクションでいいと思いますが、近代は別です。だから「近代は扱わないほうがいいかも」とも思っています。

ノストラダムスと「と学会」と「麒麟がくる」

2020-10-21 | 麒麟がくる
思い出話から初めて、最後少しだけ真面目なことを書くつもりです。

「と学会」というは、世の中の「とんでもない本」を楽しみながら、いかに「トンデモ」かを分析していく方々の集団です。前はよく本を読みましたが、今はあまり出版されていないようです。

小学生の頃は、「超常現象」が好きでした。怪談とか超能力とか。大人になってから、そういう「思い出」を思い出すのに「と学会」の本は最適でした。
日本で唯一の「TV番組の予言が本当に当たった」とされるのが、ジェラルド・クロワゼットの予言です。1976年みたいです。予言通り、少女の遺体が湖から見つかりました。しかし警察はもう湖のその場所以外のすべてを捜索しており、遺体があるとしたらその場所であり、すぐにでも捜査をする予定でした。TV局のフタッフなら当然知っている情報です。まあ「そんな裏話」が「と学会」の本を読むと、色々明らかになるわけです。

ノストラダムス、16世紀のフランスの預言者です。世界で一番有名?なのかな。神秘主義に傾倒したナチスなどもその予言を自らを有利にするために利用しました。「日本に輸入」されたのは1973年みたいです。「冷戦と核戦争の恐怖」の時代です。五島勉さんというライターが書いた「小説みたいなもん」なんですが、リアルに受け止められ、大ブームとなりました。その後五島さんは今年2020年になくなるまで、結構な数の「ノストラダムス本」を書いています。1999年の7月に世界が破滅するという予言で有名です。

1999年の7の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンゴルモアの大王を復活させるために
マルスはその前後、幸福に支配する

「暗記で書いている」ので、まあこんな感じです。私が読んだのは発行から数年後です。まだ小学生でした。5年ぐらい。兄が古本で持っていたのです。なかなかにリアリティーのある叙述で、何より16世紀フランスが舞台ですから「小説的な面白さ」がありました。それに世界は今と同じか、今以上に物騒でした。いつ滅んでもおかしくない気がしていた時代です。小学生の頃は半分ぐらい信じていたと思います。

もっとも「信じても」、私の生活は何も変わりません。小学生ですから忙しいのです。それに遠く遠くの出来事でした。まだ20年ぐらいあったのです。

その後もノストラダムスは「おもしろおかしく」取り上げられることが多かったのですが、私は高校生ぐらいになっていて、もうあまり神秘主義に興味はありませんでした。「まだやってるよ、五島勉」ぐらいに思っていました。それでも超能力ものの映画とか好きでしたが、あくまでフィクションとして楽しんでいただけです。

事態が変わったのは1994年からのオウム真理教事件です。麻原は「ノストラダムスの予言」を「勧誘」に利用しました。フランス人に「自分のことが予言されていないか」を聞き、そっけなく追い返されたりもしています。こうしたことからノストラダムスを「面白おかしく取り上げる」ことをマスコミはほぼやめました。

だから30歳以下の人の中には「名前も知らない」人もいるかも知れません。

神秘主義というものは、楽しんだり、それで癒やされてたりしているうちは、個人的な行為としては全く無害だと思います。信仰も神秘主義の一つだとすれば、それ自体を否定することはできません。ただしそれが宗教の勧誘に「脅しという形」で利用されたり、霊感商法に使われると話が違ってきます。また社会全体が一種の神話、神秘主義に支配されることはより危険な事態をもたらすでしょう。

「子供のうちに慣れていたほうがいい」と私は自分の経験から思っています。インチキおやじに騙されればいいのです。そうすると高校ぐらいになって、もう神秘主義に「支配されたり」することはなくなります。自ら信仰を選ぶことは問題ないし、それもできるのかも知れませんが、私は信仰がないので分かりません。とにかく「インチキおやじ」が小学生を騙さない無菌社会は、あまり良くない(笑)

オウムを見たとき、若くて勉強がよくできる「子」たちが、どうしてころっと悪い方の神秘主義にハマったのかと思いました。「子供の頃、さんざん騙されなかったのかな」と。耐性というものがないのです。

で、あれっと思ったのです。

「王が仁ある政治を行うときに必ず現れるという聖獣、麒麟」

これも一種の神秘主義です。私が小学生なら、けっこうハマるかも知れません。で、ハマってどうなるかというと、まあ別に害はないかなとも思います。救世主めいた為政者が出てきて、彼、彼女が「王」となり、全体主義的な社会になってしまう。あまり想像はできません。それでも「大河はフィクションであり、フィクションとして楽しむもの」ということは教えておいた方がいいのか。

矛盾しています。「子供は騙されたほうがいい」と書きました。「麒麟や聖獣がいる」と感じ、やがて「騙された」と思った方がいいのかも知れません。以上です。

麒麟がくる・第二十七回・「宗久の約束」・感想・大河はフィクション

2020-10-17 | 麒麟がくる
やっと明智光秀の「史実時代」に入ったと思ったのに、まああんまり史実には縛られていないようです。信長は実際はもちろん武装解除して入京なんてしていません。まだ三好三人衆の掃討は終わっていないわけで、武装解除するわけがない。ただし厳しい軍律があった為、織田軍が乱暴狼藉なく入京したのことは確かなようです。武器を持たないから平和なのではなく、軍律が厳しいから平和なのです。女性をからかった織田兵の首を信長自身が一瞬ではねたというエピソードが載っている史料もあります。フロイス日本史です。日本語訳をそのまま写すと。

(義昭御所の)建築を見物しようと望む者は、男も女もすべて草履を脱ぐこともなく、彼(信長)の前を通る自由を与えられた。ところが建築作業を行っていた間に、一兵士が戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、そのかぶり物を少し上げたことがあった時、信長はたまたまそれを目撃し、ただちに一同の面前で、手ずからそこで彼の首を刎ねた。

となります。「木曽義仲軍の乱暴」などは信長も知っていたでしょう。乱暴と略奪には気をつかったと思います。全くなかったとは思いませんが。何にでも想定外はある。

まあ「武装解除」ではなく「ただ兜と鎧はつかなかっただけ」なら「可能性として絶対ない」わけではありません。個人的には「絶対ない」と思いますが、、、。

さて義昭は剣も嫌いなようです。足利義昭が剣が嫌いか好きかは分かりませんが、信長公記によれば入京の後、信長は「義昭から剣」を「拝領」しています。義昭というのは武断的な面があり、中立を守らず、それが調停役としての将軍像とあまりに違い、それで失敗した人です。義輝はなんとか中立的でいようとした人ですが、義昭にはそういうバランス感覚はなかったようです。

堺の今井宗久との関係もあんなものではなく、信長は堺に「2万貫の矢銭と服属を要求」し、堺を武力で屈服させています。多くの会合衆が信長と対立する中で、パイプ役を買ってでたのが今井宗久であり、また津田宗及です。「京を焼かないなら信長に味方する」とか、そんな甘い関係ではありません。

でも、それはいいのです。大河はフィクションなので嘘はいいのです。昭和史の嘘は困りますが、戦国時代の話です。考えるべきは「どうしてそんな嘘をついた」のか。

①足利義昭と光秀ラインを「平和と民のための政治」を願う側にし、信長を「武断政治」の側にするのか。図式的に言えば「天下静謐ごっこ」と武断主義の対立。でもそうすると、あとあと困ったことになる。光秀は義昭をあーしてこーするわけなので。
②今井宗久=商人の力を大きくみせる。というより単に今井宗久を大きくみせたい、のかも知れません。Twitterなどでは、お茶の所作が美しいという感想が多いかな。もしかすると人物のイメージより、そういう一つ一つの「画面の美しさ」を優先させているのかもしれません。
③庶民目線で戦国を描くというが、駒とか伊呂波太夫とか今井宗久は庶民なのか?大物の知り合いがたくさんいる「特別な人間」のような気がするが。

まあ、突き詰めて考えるほどのことではありませんが。

今井宗久はいわば「信長にのめり込んだ」人で、秀吉時代になるとあまりぱっとしません。この今井宗久は、今井宗久というより、むしろ「最後のほうのルソン助左衛門」です。この作品、折々に大河「黄金の日々」の影がちらつきます。松永久秀のツボの話などもそうです。(と、こう書いた後に「黄金の日々」を少し見返しました。今井宗久はほとんど主役で丹波哲郎さんです。この今井宗久の部分は筆が滑りました。間違いです。)

でもまあ、やっと光秀もぱっとしてきた感じです。40歳です。信長は35手前です。「麒麟がくる」はドラマだからフィクションで、どうせ史実などに縛られていないのだから、もっと早くから光秀を大活躍させてもいいものを。もったいなかったなと思います。

あとは雑感です。今までも雑感ですけど。

上洛の折の六角攻め。「信長KING OF ZIPANGU」では30分くらい使って丁寧に描かれましたが、今回はやっぱりスルーです。未だに六角さんが登場するのは「信長KING OF ZIPANGU」と「黄金の日々」だけだと思います。

帰蝶はどこに行ったのか。川口春奈さんは「極主夫道」というドラマで主演級みたいです。そっちに行っているのでしょう。ただ別に「亡くなった」という史料もないので、どこかで復活するのだと思います。

それに加えて菊丸はどこにいったのか。家康自身は参加していないが、徳川兵も織田軍に参加しているから、菊丸が登場してもいいわけだが。

秀吉は「三か月で一夜城を作った」ことになっていた。「敵の大将に会いに行った」とあるが、西美濃三人衆なのか竹中半兵衛なのか。

駒は今井宗久とも親密である。なぜ信長とだけは会わないのか。それにしても駒は光秀や秀吉とコンビだと、輝いてみえるな。

麒麟がくる・京伏魔殿編PR動画(2分)の感想・傲慢不遜編

2020-10-17 | 麒麟がくる

文章を書くことは私にとって「趣味」で、文体も変えています。これは「傲岸不遜編」(ごうがんふそん)です。「偉そうに上から」書くバージョンです。わざとやっているので、お許しくださいませませ。

なるほどそうくるか、という感じがしました。幕府と、将軍である義昭を「区別」するのです。幕府とは「腐った官僚や利権に群がる人間たちの総体、京都伏魔殿」、しかし将軍義昭は違う。と現時点ではするようです。むろん細川や三淵は改革派になるのでしょう。三淵はどうかな?義昭が変化するのか否かも見どころになります。

そうした「腐った幕府」を代表する人物が幕府の政所執事摂である摂津晴門・片岡鶴太郎さんです。これを「旧勢力」と呼ぶようです。旧勢力とは摂津と彼をとりまく腐った官僚、比叡山延暦寺天台座主の覚恕法親王・春風亭小朝さん、さらにそれに協力するユースケ朝倉義景らのようです。浅井長政はどう描かれるのだろう。伏魔殿の一員なのか?

信長包囲網を敷くのは、義昭ではなく、この旧勢力の妖怪どものようです。「妖怪ども」は私個人の意見ではなく、設定です。伏魔殿には妖怪たちがいるのです。本願寺はスルーかも知れません。今までならこの「妖怪ども」の頂点に旧勢力の象徴として義昭が君臨するのです。でも今のところ義昭は妖怪の存在にすら気が付かないほどピュアです。さてどう変わるのか、このままなのか。

さて、政所執事、鶴ちゃんが気に食わないなら更迭(くびに)すればいいのですが、それはそれ。ドラマです。更迭したところで「伊勢氏」が復活するだけで、「もっと悪い状況になる」とか十兵衛が判断するのでしょう。史実としてはいずれは更迭されるようです。

光秀と信長は「幕府を建て直そうとする」が、それを旧勢力=魑魅魍魎(ちみもうりょう)が邪魔をする。比叡山の覚恕座主などは相当「あざとい」ことをするのでしょう。そして「あざとくて何が悪いの、われは天皇の弟ぞ」とほくそ笑むのでしょう。小朝さん、カタキ役です。

そこでついに「光秀と信長の反撃が始まる」ようです。弱者を一方的に焼き討ちしたのではなく、いじめられて、耐えて、そして耐えて、ついに怒りを爆発させるという形の「延暦寺焼き討ち」となるようです。(最後に補足があります)

実は特に新しくはありません。「初期において信長が幕府を建て直そうとした」ことは今までも描かれてきましたし(信長KING OF ZIPANGU)、焼き討ちの段階において、信長が朝倉と浅井(その協力者である比叡山)に追い詰められていくさまも描かれてきました。今までもそう描かれてきたのです。つまり20世紀段階の大河の通りということです。ただし覚恕天台座主がいわば「悪役」として登場したことはありません。そもそも登場してないかも知れません。

そして「耐えて耐えての倍返し」とエンタメ性抜群に描かれたこともありません。いつも光秀が焼き討ちに反対して信長に足蹴にされる。でも今度は違うようです。最近では光秀が「積極的に参加した」ことになっています。そういう手紙もあります。あまり考えたことが実はないのですが「積極的」と言ってもいいのかな?なんにでも「噛みついて」申し訳ない。だって上司の命令です。軍令です。逆らえないでしょ。光秀は40になって信長に仕えたので譜代でなく新参者。積極的なふりをしないといけない立場です。(今度調べてみます)

それはともかく「ここまで覚恕親王の横暴に耐えてきた。しかし世の平和を乱す叡山にはもう国家鎮護の府としての誇りはない。我慢の限界だ。やられたらやり返す。比叡山に倍返しだ!」と十兵衛には叫んでもらいたいものです。(たぶん人はあまり殺さない設定だろうし)

それはそうと昨日読んだ渡邊大門さんの「戦国の貧乏天皇」によれば「信長は朝倉浅井より、この段階でも有利」だそうです。それはまた宿題としてあとで検討してみます。

とにかく「これは新しいな」と思うのは、「既得権益の総体である幕府」と「将軍の義昭」を「分離する」という点です。そういえば義輝も幕府と「分離」していました。「信長は幕府そのもの、また義昭を倒そうとはしなかったが、腐った幕府システム、既得権益は、破壊または改革しようとした」とするとしたら(PR2分では断定できませんが)、それは新しい描き方です。

永禄12年の正月(上洛から間もなく)に、信長は「室町幕府殿中御掟」で、「義昭を縛る、またシバく」わけですが、新説派つまり信長義昭相互補完派の方々は、これは義昭を縛ろうとしたものではなく「単にそれまでの幕府のルールを整理したもの」とします。ウィキの「織田信長」にも「対立が決定的になったわけでなく」と「黒太字」で書いてあります(笑)。一体だれが「黒太字強調」なんかにしたのでしょう。必死過ぎます。ともかく義昭を縛ろうとしたものではなく、信長義昭が自らを縛った、または「幕府の役人にルールを示したもの」と「新説」は捉えるわけです。しかもそう読めないこともないのです。義昭向けというより「役人向けの条文」がはるかに多いのです。

「役人を縛ろうとした」という考えは「義昭と幕府に分離、または一定の距離がある」という前提があって成り立ちます。小和田さんは新説派ではないですが、懐の大きな方みたいなので、この考えを受け入れたのでしょう。池端さんのお考えは分かりません。でもたぶん義昭と十兵衛(信長)が「腐った役人を正す」ため、協力して作ったことになると思います(ドラマの話です、なお今までの信長ものでは、押し付けられた義昭が、信長めー、あの下克上が、と激怒します。)

なお別に「説」で脚本家が動いているとも私は思っていません。池端さんは一流の脚本家だから「説」さえも「物語創造」に利用している、私にはそう見えますし、たぶんそれは当然のことなんでしょう。芸術家は歴史研究家ではないのです。

さて天下という言葉を絶対使わなかった「麒麟がくる」ですが、PR冒頭で光秀が叫びます「天下静謐という大任を果たすため、織田信長は死んではならんのです」。天下は「てんか」ではなく「てんが」です。

うん、やっぱり「天下静謐」(てんかせいひつ、てんがせいひつ)でしょうね。まあ色々大人の事情もあるので今は「天下布武」も「天下一統」(天下統一)も使えません。今後しばらくは「天下静謐」が織田信長の目標となるのでしょう。10年ぐらいは。ただこの天下静謐ブームもいつまで続くのか。出版業界は「絶えず新説を要求」してきます。新説が本を売る一番手っ取り早いやり方だからです。だから天下静謐論もいずれは旧説として打破の対象となります。天下静謐論は「高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。」と予言しておきます。一定の正確さはあるので根絶はされないでしょう。でも少なくとも修正は行われるはずだし、すでにその萌芽も見えています。

天下静謐論の根源は「天下とは畿内だ」という考えです。そうすると天下布武は「あくまで畿内の平和」を目指した言葉、信長はもともと天下統一など考えていなかった、と「読み替える」ことができるのです。この「天下布武」こそが天下静謐論にとっては「当面の最大の敵」で、それをつぶすことから初めて、信長の義昭への「要求状」を次々に「解釈変更」していくのです。(あと、信長の権力の土台が他の大名と変わらず、荘園制や座を容認したというのも新説が強調する部分です。容認は間違っていませんが、容認しないこともある、とだけ言っておきます。別に新説批判がこの文章の目的ではありません。しかも新説は学者さんの世界では新説でも一時のブームでもなく、1960年代末から言われてきた考え方なのです。今は多数派です。ただし反対する少数派の学者さんも多少います。)

さて「天下の用法」。信長の朱印状とか黒印状、判物を奥野高廣「織田信長文書の研究」(信長文章集で買うと6万ぐらいします。私は図書館で借りています)で見てみると、「天下の使い方」は随分いい(良い)加減で、その時その時に応じて意味を信長が使い分けているように、私には見えます。年によっても違います。変化します。一部の学者さんの言う通り、「実に流動的に」、天下という言葉を使っています。畿内とも見えるけど、畿内じゃないと解釈できる部分もあります。言葉だから解釈次第なんです。禅宗は基本経典を持ちませんが、その理由がこの「言葉は解釈次第だ」という点です。

義昭の書状なんぞも上記の本に載っています。永禄12年の「義昭の」謙信宛書状をみると、謙信と信玄が仲良くして、謙信が上洛することが天下静謐の馳走になるとか言っています。これなんぞは微妙です。上洛が天下静謐なら天下は畿内かも知れません。しかし「仲良くすること自体」が「天下静謐」と読むこともできます。甲斐と越後の静謐が天下静謐の一部。すると天下の範囲は義昭の中では、この永禄12年段階で越後甲斐まで広がります。つまりは「解釈次第」というわけです。「言葉なんだから多層な意味と多層な解釈が生じるのは当然」です。多層的なものを単層的な意味に限定しようとすると、どうしてもそこに無理が生じます。

さて、このように(どのようにだ?)、麒麟がくるは、新説派にも配慮し、従来の安定した説にも配慮した作品です。秀吉はちゃんと一夜城を「三か月で」作ったようです。こういう具合に安定説にも十分配慮しているわけです。一夜城は数日で作ったとするなら99%虚構ですが、「ない」を証明することは困難です。だから1%の可能性があれば小和田さんは許すでしょう。小和田さんはキャリアが長いのでわかっています。史実を描け、史実を描けではフィクションとしての大河は死んでしまうと。しかも新説が定説化しているかどうか判断するのはまだ早いと。

ともかく信長は幕府(腐った方の幕府)を倒さなくてはならない、しかし同時に幕府(義昭)を倒す気がないことにしないとならない。その唯一の解決策が「幕府と義昭を分離する」という設定です。

しかしいずれは義昭も追放しないといけない。これは史実がそうで動かし難いからです。これを信長側の変化の結果にするのか、義昭側の変化の結果にするのか?そこは分かりません。私は「このままいい人のままで追放となっても」、面白いと思います。義昭を変化させずに、今のままの義昭を追放するとしたら「どういう理由をつけるのか」、そこが見どころになります。

補足、比叡山焼き討ちで信長が「我慢した」ことは、彼の古い側面、史実の信長が神仏を大事にしたことの証明とされる場合があります。そうはならないと思いますが、あまりに長くなるので、そうはないないと思うとだけ述べておきます。といって無神論者だなんてくだらないことを言うつもりもありません。私は当時の一般的な信仰の「実態」、それから信長の師匠である沢彦の禅宗(あまりあの世の話はしない宗派)を考えるべきだと思っています。

素人が、いろいろ傲岸不遜に書きましたが、最後に。

社会の変化があって、それにつれて信長像は変化します。今までもそうでしたが、最近は特にその変化の幅が大きい。「私の信長」を、これを書いている「私」も含めてみんなが持っている。しかもそれを誰もがネットで表明できる。実際私なぞその「意見表明」をこの文章でしているわけです。そういう難しい状況下にあって、万人をそれなりに納得させる信長像を提示するのは、大変な作業だろうなと思います。「麒麟がくる」は大変面白い作品です。

麒麟がくる・足利義輝はなぜ剣豪でなければならないか。

2020-10-01 | 麒麟がくる
足利義輝の最期の奮戦について

1、フロイス日本史は「(剣の腕に)一同が驚嘆した」としている。
2、信長公記は「数度きつて出で、伐し崩し、数多に手負わせ」としている。
3、日本外史は刀を畳に刺し、取り替えながら奮闘したとしている。

1については偏見がある史料とされます。さほど私は感じませんが。
2については一級資料だけれども、一次史料ではないとされます。
3については江戸後期の資料です。

日本外史の記述から作家が、例えば司馬さんが、剣豪将軍に仕立てました。それ以前もそういう「再生産」は行われています。だから「史実に過剰なこだわり」を持つ方は、「あれは嘘だ。剣豪ではない」というわけです。1と2についても、その価値を疑います。

でわざわざツイッターで拡散希望と書いて「剣豪じゃないよ」としています。その情熱はなぜ?

少なくとも1と2には相当の史料価値があります。特に信長公記は。だから「剣豪じゃないかも知れないけど、将軍自らが剣で奮闘した」ことは認めるべきだと思います。

大河はフィクションですから、それにちょっと盛って、剣豪としても、何一つ問題はありません。そもそも史実を描く必要なんかないのです。駒なんていない、嘘だ。と言っても意味ないことです。

だから「大河のフィクション性を守る為には」、剣豪じゃなくてはいけないと考えます。大河は史実の再現フィルムではないからです。

まあ「何描いてもいい」わけではなくて、そこに「常識の範囲内」という条件はつくでしょう。特に近代史においては。しかし義輝を「剣豪じゃない。日本外史の嘘だ」と声高に言うことが、何の意味を持つのかなと思います。大河はフィクションだから面白い。その「面白さ」を守るためには、義輝は「剣豪でなければ」ならないと考えます。

「麒麟がくる」は果たして相互補完をしているか。

2020-10-01 | 麒麟がくる
かなり散らかった文章ですが、あえて残します。

室町将軍などを研究している方が、というか関西系の方かな、まあともかくよく出す言葉が「相互補完」です。

「大名あっての将軍」「将軍あっての大名」とかそんな感じです。室町将軍が本当に無力なら、なぜ長く続いたのか。それは相互補完していたからだ、という感じになっていきます。

どうなんでしょうね。本当にそうでしょうか。どうもそうは思えない。少なくとも私はそんな風には考えない。もっとも「私の意見」なんて私すら「どうでもいい」と思うので、ここで学者さんに助けてもらいます。最近よく読む黒嶋敏さん「天下人と二人の将軍」。

12ページ
「信長と義昭が協調関係にあったとする場合、なぜその関係は崩れてしまったのだろうか。信長が義昭と連携し、室町幕府という体制に理解を示していたという前提にたつとするならば、それを崩壊に導いた原因は、一人義昭のみに帰することになってしまうだろう。
しかし、史料をめくっていくと、幕府崩壊の理由はそんな単純な話でもないようだ。もっと根の深い構造的な問題が、義昭の幕府には内在していたと考えられるのである。」

しごく当然の指摘です。信長が幕府というものにずっと理解を示していたなら、義昭追放という「結果」は、「一方的に義昭の方に問題があった」ことになる。

その「結果」を認めたくない論者は、ここからは私の意見ですが「何とか義昭の子を将軍にしようとしていたのだ」という論法を立てるわけですが、苦しいというか、無茶苦茶な話です。追放したのだから「追放する、そして京都においては幕府を認めない」という気持ちは存在する、これは間違いない。しかし「本当は幕府を存続させたいのだけど、泣く泣く追放した」という意識が存在するかどうかは分からない、論者の考えようでどうにでもできる問題です。

黒嶋さんの引用の「協調関係」というのが「相互補完」で、そのものずばり「相互補完」と書いていないのは、「無用な軋轢を避ける」ためかなと私は思っています。

黒嶋さんの論をここで紹介すべきなんでしょうが、まだ考えていることがあるので、それは宿題とさせてください。

さて、話は「麒麟がくる」に戻ります。

信長は義輝に会いにいきます。そして仲介を頼むと「官位をあげる。相伴衆にする」と言われ、首をひねり、断ります。官位は将軍を通してもらうものです。もらえば天皇や将軍の「お墨付き」がもらえます。いわゆる「正統性」です。しかし信長は断るというか、どうでもいいという態度を見せます。将軍がくれる権威付けなど現実の前では無効だという態度です。それを十兵衛に確かめます。十兵衛もまた無効だと判断します。

「将軍あっての大名」という関係はここにはありません。相互補完は成立していないと考えてよいでしょう。ドラマの話ですから史実とは関係ありません。しかしこれだって強引に「幕府に会いに行ったのは信長がその権威を認めているからだ、、、とドラマで描きたいのだ」ということもできます。この強引な論理を、認めたら、なんでもあり、となります。どんな場合でも相互補完が成立する。殺しあっていても「愛と憎しみは裏表だ」とすれば「相互補完で殺しあう」ことになります。

一方義龍は官位をもらっています。相互補完の中に入っていきます。しかし結局、義龍の子の代で、斎藤氏は美濃衆に見捨てられ、美濃は信長のものとなります。

やはりドラマ内においては相互補完は成立していません。

私が黒嶋さんの論は素晴らしいと思うのは、自分の頭で考えている感じを強く受けるからです。それに比して相互補完という言葉が好きな学者は、初めからその結論を持っているわけです。一種の思考停止です。だから「つまらない文章」になるのです。

つまり結論としては「相互補完と書いて、それで良しとしている学者」が好みじゃないという個人的感情を書いたのだということになります。私がそう感じる。ただそれだけです。史料を読むことにかけては秀でているし、私などできない行為です。しかしそれを歴史論として構築していく段階で、相互補完論という「大きな、仲間が沢山いる物語」に頼ってしまう。だから「お仲間たち」の文章は、私には金太郎飴のように、どれもこれも同じに見えるのです。私には。

麒麟がくる・第二十五回・「羽運ぶ蟻」・大雑把な感想

2020-09-30 | 麒麟がくる
大雑把な感想です。酔ってくだまいて書いているような文章ですが、まあ折角書いたので。

1、三淵登場

うん、義輝暗殺の時なにやっていたんだ?藤孝とは多少立場が違うはずだが。

2、石川さゆりさんの美濃帰還

どうせなら私が昔書いた「いんちき」ストーリーのように明智光安に「実は生きていて」欲しかった。これでお牧は「はりつけ」にはならないこと決定。良かった良かった。
伝五って何の史料もないみたいだ。

3、信長につかえない十兵衛・稲葉登場

えっ、義輝につかえるための「働きかけ」なんかやっていたか。時代考証の小和田さんが「永禄6年に足軽」と言ってくれてるのだから、仕えてもよかったし、機会はいくらでもあった。
相変わらず話の脈絡を合わせようとしないおもろい演出だ。

稲葉登場。稲葉は大河「信長」では、篠田三郎さんで好感度あったけど。

4、大きな国ってなんだ

まあ、天下を使わないのは「その方が新鮮」だからだろう。「学説がいろいろあるから」ではないような気がする。天下とは五畿内、、なんて単純な話ではないと思うけど、自信もないし、今日はこだわらない。

これほどの大きさか、ということで十兵衛と信長が笑いあっていたけど、どういう意味だろう。意気投合ぐらいの単純な意味なのか。深い意味があとで出てくるのか。

麒麟がくる、は「新しい学説で信長が幕府を再興する」って人がいるけど、ずっとそうだって。最初から幕府なんてどうでもいいと考えている信長が描かれるのは「功名が辻」ぐらいじゃないか。
大河「信長」なんてそりゃ義昭に対して神妙で、「幕府再興にかかわれるとは、織田家の名誉これなし」って感じ。
あれ、新しい学説をとりいれていたのだ。フロイス日本史が原案だから「トンデモ」と思ったら大間違い。実に細かく史実を再現している。再現フィルムみたいでつまらないほどだ。見て文句を言って欲しいなと思います。1992年、既に桶狭間も正面攻撃だった。大河の歴史を知らないと、新しく見えるのだろうが、麒麟がくるの新しさって、なんだろな。美しい映像、松永や義輝への焦点のあて方かな。信長は新しいわけではなく「なんか変な感じ」だと思うのだけれども。

うーん、光秀は相変わらずだし、信長も帰蝶がいなくてぱっとしないし、もうちょっと「痛快時代劇風」の要素を取り入れないと視聴率は厳しいかも。いまさらどうしようもないし、私は何があっても見るけれど。この回だって実はもう5回見ている。




大河ドラマ「麒麟がくる」第22話「京よりの使者」の感想

2020-09-12 | 麒麟がくる
大雑把な感想です。

1、細川藤孝、玉ちゃんをいだく

後の細川ガラシャですね。藤孝の息子の嫁。関ケ原でまあいろいろとあります。
この「藤孝がいだく」という描写は、小説「国盗り物語」にあります。
ただし6歳ぐらいの玉ちゃんだったかな。「抱くなら上物の布でくるんで抱いてくれやい」とか、子供の玉ちゃんが言います。
藤孝はそのプライドというか、高貴な感じに驚く、、だったかな。記憶だけで書いています。
人にいだかれるのを嫌う玉ちゃんが、藤孝にはなぜかなつく。これも司馬さんの「国盗り物語」の描写と同じです。

2、足利義輝、帝に文句、三好暗殺を考えたり、考えなかったり。

正親町天皇を「高貴で美しい帝」とし、その弟を小朝さんで、コンプレックスの強い延暦寺の長官・比叡山延暦寺住持にするようです。
高貴で美しい帝に、いきなり義輝は文句を言ってました。この辺り、脚本のバランス感覚ですね。人物を多層的に、さまざまな人の目を通して描く。相対化する。
ただし、実際に義輝は5回ぐらいしか帝に参内してないのかな。信長は後に「参内しないから、あんな最期だった」と義昭に書き送ります。義昭も参内しないんです。
信長は帝を重んじて中世的側面があるとか、最近飽き飽きするほど言われてますが、中世権威の親玉である室町将軍は参内しないんです。信長は中世的だが、将軍は非中世的?

たしか黒嶋さんだったか。実際の義輝の力はもっとすごかったと書いています。地方の大名と繋がっているんです。畿内では権威がないが、田舎大名は献金したりします。その結果、義輝の御所は壮大な城郭へと発展していきます。(旧二条城)。武器も蓄えていて、結構な権力者でした。地方に目を向けたわけです。地方の援助を受けていた。将軍が支配するのは五畿内とは、義輝は考えていませんでした。義輝にとって「天下」とは「日本全土」でした。畿内支配は空洞化していましたが、それを補完するために遠国へ働きかけたのです。それを担ったのは主に公家で、幕府官僚ではありません。義輝の特殊性はそこにも存在します。

ということで、実際は「あんな感じ」ではなく、本当に「参内しても意味ないだろ」「三好だって怖くねーぞ」という方向に行きつつあったようです。三好にとっては脅威です。

脚本家は知ってるでしょうね。するとわざと「はかなげ、自暴自棄」にしている。その演出意図は何なんだろう?今日は思いつきません。幕臣が離れたのは本当みたいです。幕臣にとって天下とは五畿内です。地方に手を伸ばす義輝は、いわば異端の将軍でした。「先例を破る将軍」だったわけです。

あれ、感想じゃなくて、義輝に関するただの私見になっている。しかもそんなに義輝に詳しくないから、物知りさんに怒られそうだ。

でもめげずに。

実際は三好を暗殺しようとして失敗してます。それもドラマでは「将軍がやることではない」と嘘が描かれました。嘘は悪くはない。ドラマですから。気になるのは嘘を描く演出意図です。
「ただ向井理をはかなげにして、十兵衛を忠臣にして、女性ファンの涙をさそいたいだけ」なんでしょうかね。男性の僕から見ると、義輝、何やってんだおめえ(エールの鉄男風)という感じもします。そんなことはないはずで、きっと僕の感想が間違っていて、脚本家には僕の想像が及ばない意図があるのだと思います。

そもそも「三好を殺すために十兵衛を呼び寄せる」って、「なんでやねん」て話です。十兵衛は必殺仕事人なのか、剣客商売なのか。批判してるんじゃなくて、その「無理」が面白いと思っています。

十兵衛もいきなり「信長なら義輝様を補佐できます」と信長に相談なしに勝手に言い出します。

このドラマの面白さはこの「いい加減さ」です。「いい加減」が「良い加減」なんです。昔の植木等の映画や、若大将シリーズを見ているような、この自由奔放な演出がたまりません。

織田信長は何故「哀しき覇王」なのか。麒麟がくる。

2020-09-11 | 麒麟がくる


織田信長は、前は革命児でしたが、今は「保守的中世的側面もある」とか言われます。つまり「保守的中世的側面もある中世をかなり破壊した革命児的側面もある人物」というややこしいことになります。長い。

こういうのはブームであって、一歩引いた所で眺めてみたほうがいいかと。前も「天皇最大の敵」とか、その真逆の「勤皇家」とか色々言われてきた人です。人気者なんで、みんな自分の思想に合わせて好き勝手に信長像を作る。これは学者も同じというか、学者こそそれを「やってしまう」ことが多いと思います。頭で生きているから。一次資料を真面目に真摯に「解釈」しながら、、、。どうやっても解釈は入るのです。そこに「私の信長」を作ってしまう原因がある。これは回避できません。ちなみにかく言う私だってたぶん同じです。学者じゃないけど。史料、活字にしてくれないと読めないけど。

さて、これはドラマのお話。

歴史秘話ヒストリアでは「世にもマジメな魔王」と呼ばれたこともあります。NHKは「おんな城主直虎」あたりであれだけ「とんでもない魔王」にしときながら、急に「世にもマジメな」と言い出しました。つまり「保守的中世的側面もあった」というありきたりな説です。この「も」が重要です。決して「中世的保守的人物」とは言わず、「もあった」となるのです。麒麟がくる、はそうなるのだな、と思いましたが、さほどマジメな魔王でもなく、お母さんの愛を失って迷っている信長でした。この点、保守とか革新とかチマチマ言ってる「学説」を超越した「脚本家の天才」を感じます。

で、後編になって「哀しき覇王」になるようです。

覇王と魔王。魔王の方が「虐殺好き」な感じがします。覇王は「覇をもって世を制す」王で、徳をもってではない。武断政治家。文治主義ではない。王道と覇道の違い。王者と覇者の違いです。
北斗の拳だとラオウが覇者です。ただしケンシロウは王者ではない。「世紀末救世主」です。

ドラマの信長は承認欲求の塊です。ほめられたい人です。おそらく「天皇と将軍のもと、平和を実現し、ほめられよう」とするのでしょう。

ところがうまくいかない。どんどん「いくさ」になっていく。朝倉も浅井も、本願寺も、一向衆も、武田も、上杉も、毛利も、誰もほめてくれない。将軍さえ敵になっていく。家康も心からほめてはくれない。天皇と近衛前久だけが、なんとなくほめてくれるけど、、、というところかも知れません。そして荒木にも、松永にも裏切られる。最後は十兵衛にも、、、哀しき覇王です。「ただ人を喜ばせたかった。ほめられたかっただけなのじゃ」と言うかも知れません。

さらに帰蝶の身に何かあるのかも知れません(元ネタは全くありません)。帰蝶を失ったら、あの信長は崩壊するでしょう。暴走する魔王になる。魔王にならなず覇王なら、帰蝶は生きるのかも知れません。もしかして本能寺の後まで生きるかも知れません。歴史史料はほぼ0です。生きて欲しいと思います。江戸時代ぐらいまで生きて欲しい。

ただし、この作者。そう簡単に読める筋は作らないので、この「哀しき」にはさらに「何か」があるのかも知れません。