歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・第三十回・「朝倉義景を討て」・感想

2020-11-01 | 麒麟がくる

1,お駒

すっかり大人になってもう十兵衛には興味がないようです。「報われない愛を献身的に一生捧げる設定」かと思っていましたが、違うようです。足利義昭と「大人の関係」であることが、「示唆」されていました。「源氏物語」あたりを連想させる蛍のシーンです。うん、どういう方向に行くのだろう、とちょっと読めなくなってきました。さらにこの関係がずっと続くのかは分かりません。ちなみに大河は「青少年のすこやかな成長」のため、ベッドシーンそのものはありません。そもそも最近はTVのベッドシーンなんてない。抱き合って倒れていく、ぐらいの描写です。この作品では「抱き合って」もなく、手を握るだけです。その代わり蛍を飛ばすことで、「王朝物語だよ。分かるよね。」と示唆していました。

駒が足利義尋を産むのかも知れませんが、その後の展開は読めません。

帰蝶もなんとなく十兵衛と距離がある感じでした。十兵衛には「妻」がいますから、大河は一切不倫禁止(心情的なものでも)になっていくのかも知れません。

2,正親町天皇は大天狗?

史実の信長は朝廷についてよくわかっていない面がありました。官位の「官と位の違い」にも頓着はなかったようです。最終的に官は全て辞退します。しかし位は辞退しません。最初は親和的ですが、明らかに信長は朝廷と距離をとるようになっていきます。でも位は保持するので、学説的には面倒なことになっています。
やがて史実の信長が天皇の判断について「恣意的だ」と批判することは、4つ前のブログで書きました。

ドラマの信長は「ほめてもらえばそれでいい」わけです。今日の描き方は「信長と朝廷が親和的だということを描いた」とも言えますが、東庵先生と正親町帝の会話などを見ると「位うち」的なものも感じます。史実の信長は「平家」が好きですから、きっと義経のことも知っていたでしょう。すると「位打ち」もわかっていたはずです。ドラマの信長は義経のように、治天の君に褒められてすっかり有頂天になっています。そしてなぜか十兵衛もそれを「温かく見て」、助言はしません。教養人設定の十兵衛が「義経の運命」「木曽義仲の運命」を知らないわけありません。なのに「勅命は天意であり」とか言って幕府に出兵を求めていました。位うちと言っても位はないので、ほめごろしという感じですが。まるでドラマ信長の承認欲求を見透かしているようでした。それにしても信長。36ぐらいでしょうか。もう承認欲求という年でもないでしょう。ガキじゃあるまいし。いい加減独立独歩、我が道を行かんかい!設定上ものね。と見てて思いました。別にあれが信長じゃなくても思うと思います。(ちなみに史実上も正親町帝は信長の美濃制覇の時、皇室領の回復を求めて、信長を大層ほめています。信長が死んだときは、朝廷は光秀をほめます)

幕府は田舎者の信長と違って「天皇慣れ」してその実態が分かっています。だから天意だろうと相手にしません。武藤征伐の勅命があろうと出兵しません。(という設定です。摂津が朝倉と組んでいることは義昭は知りません。義昭の思いは、自分は戦嫌いで中立を保って仲介したい。だから出兵しないというものです。)「戦があれば仲介するのが、わしの役割」と義昭は言います。そういえば殿中御掟は登場しません。ですが、信長の心が急速に幕府から離れている演出はあります。

私はこの正親町帝、結構な「大天狗設定」かも知れないと思っています。大天狗とは後白河法皇に関してよく言われることです。史実としての正親町帝は、信長から怒られて、詫びを入れるという感じで、まあ普通の人です。でもこの作品は、御所の塀がずっと崩れていたとか、そんな嘘もあるので、大天狗設定もありえると思っています。「美しくて高貴なバラ」には棘があるかも知れません。

3、越前攻め

「それぞれの立場」が描かれていました。帰蝶の立場は「尾張美濃の戦国大名」として立場です。摂津晴門の立場は「将軍の守備範囲は畿内」と考える幕府の公式的な姿勢(形式的姿勢?)を表しています(ドラマ上は摂津は、朝倉と組んでいます、史実としては組んでなかったという学者のほうが多いかな?)

十兵衛が「前のめり」なのはちょっと「引き」ます。史実はよく分かりません。ただドラマ上、それなりに世話になっており、特に朝倉義景にひどい扱いを受けていたわけではありません。「毛ほども恩を感じていない」「大義のためなら何してもいい」という十兵衛の「この設定」はどうなのでしょうか。「つながりがおかしい」気がします。人物批判じゃありません。演出批判です。狙いは分かります。今までの朝倉を巡って迷う光秀との差別化です。でもこれまでの流れが差異化する方向でないため、特に朝倉に「いじわる」されてもいないため(むしろ厚遇)、いかにも十兵衛が恩知らずとしか見えないのです。「その時その時でキャラが急に変わる。何言ってんだこの男」と感じてしまうわけです。主人公はそういう感じを抱かせてほしくない。

史実としては越前にいなかった可能性もあります。しかしドラマ設定としては、あの家を十年間、無料で提供されたはずです。京に行った時、妻子を保護もしてくれた。意図的に「恩知らず設定」であるならばいいのですが、そうではありません。ただナチュラルに恩知らずなのです。その演出は困ると思います。上洛とか天下静謐といった大義のために「朝倉義景が何をしたか」と十兵衛は言います。そりゃそうですが「あなたは、お世話になったはずだ。人として少しは悩めよ。原理主義者か!」ということです。演出がおかしいなと感じます。

4,織田信長は足利尊氏?

やがて正親町帝と信長の間にもすきま風が吹くという設定のようです。どう吹くのかは知りません。そこで信長は色々と思い悩むのでしょうか。すると同じ脚本家の「太平記」、足利尊氏と似てきます。弟は早めに毒殺してしまいました。足利直義に相当する人物はいません。どうするのでしょう。いるとすれば十兵衛ですね。さてどうなっていくのか。

「偶発的な日本史」と歴史の法則

2020-11-01 | 戦争ドラマ
歴史に法則はあるのか。ない、という人も多いでしょう。でも「あるように見える」のは何故でしょう。中国もインドも、世界の国々は次々と「近代化」していきます。この「近代化」というトレンドは「法則じゃない」のでしょうか。

日本では戦前皇国史観が主流だったようです。今でもその傾向は存在します。朝廷への尊皇度が「法則」になります。朝敵だったから滅んだ。尊皇の度が低いから駄目だったという法則です。

戦後建前上はこの法則は否定されました。否定は、あくまで建前で、今でも同じようなことを主張する人はウヨウヨいます。

しかし形式的には否定され、そして唯物史観が主流になりました。封建制を経て、近代化し、資本主義になり、その資本主義が最高点に達したところで社会矛盾が解決できなくなり、共産主義に向かうという「法則」です。

「共産主義に向かう」ところは日本にとっては未来ですから、そこはあまり言われません。むしろ経済から社会の動きを見るという形になりました。唯物史観も建前上は否定されましたが、経済や民衆の生産性から歴史を見る事自体は、方法の問題なので、これも当然生き残っています。

どっちにせよある程度の「法則はある」ということで進んできたわけです。

ところが「建前上であっても」、2つとも否定されてしまいました。とどのつまり、法則はないということになっていきます。すると歴史の叙述が難しくなります。事件だけを並べるわけにはいかないからです。で、法則に変わって、権門体制論とか2つの王権論とかが言われているようです。それについては叙述しません。叙述する力がありません。

「法則がない」にしては、世界の国々はグローバル経済によって「同じような国」に向かって進んでいるように見えます。伝統や宗教を乗り越えて、進んでいるように見えるのです。その反動として、日本でも各国でも、伝統主義の復活は一部見られます。しかし大きな流れとしては、効率的な経済システムを目指して進んでいます。

しかし日本史学者の記述は、どんどん「法則を見つけない」という方向に向かって進んでいるように見えます。「偶発的だった」「たまたまだ」「そんな劇的なことはないよ」「突発的でしょう」と言うと、なんだかトレンドに乗っているように見える。そしてそういう叙述をする学者が増えている。

ただでさえ「専門を絞りに絞って」、通史を書かず、非常に細かいところにこだわって研究をする学者が存在する。それに加えて「偶発的だった」という叙述が増える。これでは歴史というものを「つかむ」ことができなくなっていくのではないか。そんな危惧を抱きます。

浅井長政が「あさい」か「あざい」かなんてことがそんなに問題なんでしょうか。日本史の核心なんでしょうか。どーでもいい問題に思えてなりません。

いまこそ通史を、と思いますね。学者さんには、もっと大きく歴史をみて、日本史全体の中で、どう位置づけられるかの叙述をしてほしい。素人としてはそう思います。