春の連休が終わる頃になると、山里の夕暮れも一時間位延びて、午後5時頃とゆうのに外は明るい。
それでも夕方になると、晴れた日ほど山脈から吹き降ろす風が冷たく、道端の小川の流れも雪解け水を含んで流れも早く、瀬に当たって砕け散る水が夕日にきらめき一層冷たく感じられる。
雪解けの遅い山麓の川端には、早くもフキノトウが今を盛りと黄色く可愛い蕾の顔を覗かせており、心を和ませてくれる。
音楽とダンスの親睦会も楽しく無事終えて、ほどよい興奮の余韻を残しながら、狭い農道を四人が揃って家路に向かって歩き、鎮守様のところで秋子さんと別れるとき、彼女が節子さんを呼び止め少し離れたところで、なにやら二人で話しあっていたが、その隙に、理恵ちゃんが健太郎に対し、会場で話したことが言い足りないのか、再び、話を蒸し返して
「おじちゃん、節子小母さんがダンスをしながら、途中から、おじちゃんの胸に頬を寄せて、なんだか泣いているように見えたので、わたし、驚いてサキソホーンを吹くのを止めてしまつたが、一体どうしたの?」
と言いながら、演奏中に見た様子について細々と話続けた。
理恵ちゃんは、普段、練習仲間で仲の良い隣の徹君が演奏中に、わたしに「真面目にやれよ」と小声で注意し、いきなり、わたしの足の脛を軽く蹴ったので、わたし、気が動転していたのか「五月蝿いわね~」と言い返してやったら、徹君ったら「チエッ!今日のお前は朝からいやに気合が入っているな」「急に大人ぽっくなつて・・」と言いながらも、徹君も吹く真似をして小母ちゃんの方を見ていたが、時々、首をかしげながら「どうしたんだろうな~」と、独り言を言いながら、二人で演奏なんかやめて暫く見とれていた。と、そのときの状況を細かく話してきた。
最も、CD音楽中心で、演奏は伴奏程度なので影響はないが、演奏台の上なのでよく観察できたのかもしれない。
健太郎は、確かに、思春期の子供たちには、皆が楽しそうに踊っている輪の中での、自分達の一瞬の行動は、人々の目に異状に映ったかもしれない。
彼は、彼女の質問に少し戸惑いながらも、節子さんの雰囲気にのまれて高ぶったそのときの感情を説明する必要もなく「いや~、小母さんも久し振りのダンスだから興奮したのかな~」と、お茶を濁した返事をしておいたが、彼女は納得せず「わたし、お母さんにもっと詳しく言ってやろ~」と返事して、怪しげな目つきで「今晩、小母ちゃんをいじめないでね」と言っていた。
入れ替わるように、節子さんが秋子さんとの話が終わったようで、襟首を白い毛糸のストールで隠す様にしてきたので、健太郎は彼女に「なんの話しだったの?」と聞いたら
「寒いので、早く帰りましょう。あとで、ゆっくりと、お話しますわ」
と、少しこわばった顔で返事をするので、そのまま家まで語り合うこともなく帰った。
家に着くや、健太郎がお風呂の準備をしたあと、留守中にきた郵便物の整理や、明日からの株式動向等を新聞を広げて一通り見てから浴場に行った。
節子さんは脱衣場に着替えを用意した後、キッチンで夕食の支度をしていた。
彼は風呂から上がると炬燵に入り缶ビールを飲んでいると、彼女が柔らかいシシャモの焼き魚をつまみに用意してくれたので、早く風呂に入り身体を温めるように促すと「あとからにします」と言いながら、彼の脇に入って座り、今日のダンスの感想を話したあと、秋子さんとの話しに触れ
秋子さんが「もう、お二人は肌をあわせたの?」と、真面目くさった顔つきで、いきなり聞いたので、私ビックリして「いいえ、式を挙げるまで・・。部屋も別々にやすんでおります」と正直に答えておいたら、秋子さんは
「お二人とも、子供でもないのに、なぜそんなに遠慮をしているのょ」
「もつと積極的に、生活を作り上げなさい」「周囲の人達も、あなた方が御夫婦になることを認めているのだからさ」
と話したあと、秋子さんが入院中に考えいたらしく
「式の方は秋子さんが一切とりしきると言って、詳しい内容は近いうちに貴方と相談すると言っていたわ」
「だから式の前でもよいから、健さんと打ち合わせて荷物を運びなさい」
と、わたしの、新しい仕事のことに関係して心配して言ってくれたと説明しながら、彼の顔を見つめて「どうしましょうか」と返事を求めるので、健太郎は「そうだね。仕事を考えると準備は早い方が良いんではないかな」と答えた。
彼女は、健太郎の平然とした顔で答えてくれたことに安堵したのか、軽い笑みを浮かべて
「明日、実家に帰らせていただき、早速、母と悦子夫婦に相談しますゎ」
と機嫌よく答えていた。
夕食後、節子さんは、入浴をすませたあと、再び、炬燵に入り健太郎に寄り添いくつろいでいた。
健太郎は、これまでに断片的に話しをしてきた今後の生活のあり方を整理して再度まとめて話し込んだ。
勿論、彼女の考えも取り入れての具体的な生活説計を・・。
健太郎は床に入ると、自分も3年前に結腸癌をOPして、医師からステージから判断して一般的には医師のマニュアルから5年生存率70%と言われており、そのこととあわせて、あの元気な秋子さんが、まさか胃癌かもと思うと、さぞかしや自分と同じ悩みで色々と悩んでいるんだろうなぁ。と、彼女の心境を思いやり、今、自分に何がしてあげるかと思い悩んだ。
幸いにも、外科手術の助手として豊富な経験をつんでいる節子さんが、付き添いし気配りしてくれる。と、言ってくれているので、その一言が唯一の救いであった。