人はみな、思い込みで生きている
そう言われて、そうかもしれないって
思い始めたのはつい最近のコト。
思い込んで生きてるってことすら気付かない。
そんな思い込みを変えなさいって突然言われても
多分、今までやってきたコト
180度、変換!!!
っていうくらいな勢いで変えなくてはならないだろうな。
180度、一度に変えられる人もいるだろう。
しかし、少しずつ変わりたいって思って
変わって行く人もいると思う。
今まで過ごしてきた人生が
たとえ他の人から見たら甘っちょろいモノだとしても
それでもその人なりに頑張って生きた年月なのです。
それは、でも 過去 なのです。
どんなに頑張っても「 あのとき 」は変わらない。
本を読みました。
その本には
「 世間にはどんなに許されないコトをした人だとしても
必ず、それを行った理由がある。 」
と、書いてありました。
許す許さないとは別なコトとして、理由が必ずある。
理由があるから許す、理由があるからって許せない の観点ではなく
理由が存在する、というコト。
むずかしいですね~。
自分の問題は世の中で一番大変な問題です。
自分の家族の問題も一番大変な問題です。
他の人から見ればそんな「 大したことない 」 レベルだったとしてもです。
子どもが社会の宿題で、考えて考えて考え抜いたけど出来なかった。
学校に行きたくない! って 思うことも
その子にとっては 世の中が無くなればいい!! って
思いこむほどのレベルの大問題かもしれない。
大きな事件ではなくても
自分のまわりの人たちの行動や
ううん、
むしろ 自分 が何気なく普通にとっていた行動の中に
他の人から見た時に 許されないなにか がなかったかな?って。
そう気が付いたら そこから始めたらいい。
180度って、やっぱりむつかしい~~。
でも、がんばって変えたい!! って 。
それは、傍から見ればきっともどかしいことで。
何回もぐるぐるしているように見えるだろうな。
それでも、気付いたらがんばっている。
それは分かっているけど、やらない~っていう人もいると思う。
分かって「やらない」をやっているなら、それはその人の生き方。
そして、少しずつでも変えようって思っているけどなかなか…。
それも その人の生き方。
変えたいって思って頑張っているなら
私は過去は見ない。
変えようって思って努力しているって感じた時点で
過去は流す。
いいか、悪いかではなく、そんなこた、私が決めることではなくて
かみさまが判断してくれること って
思っているので、甘いのかもしれないけどそこは触れない。
過去はどんながんばっても変えられないから。
あのときそう言っていたことは事実であっても。
「 そうではなかったな 」 って
気付いて何かをしようとしている人にも。
その時、そうしなければならなかった理由がね
多分、あるはずだから。
人にも厳しいコトを言う人はね、
大抵の場合、自分が一生懸命生きている人。
たとえ、ココロをスパッと切られるような内容であるとしてもね
その時はちょ~~痛くてもね
その通りなコト 言ってくれています。