2011年3月11日。
あの日の事はよく覚えています。
3日前の3月8日。
祖母が92歳で亡くなりました。
1ヶ月後には93歳をむかえるはずでした。
葬儀が終わり、2011年3月11日。
祖母が利用していたデイサービスに挨拶に行った帰り道、震災が起こりました。
家でテレビをつけると津波の恐ろしい映像。
私は
『こんな恐ろしいとこ、祖母が見なくて良かった。祖母が見たらさぞ悲しんだろうな』
そんな事を思ってました。
90歳を過ぎたころからほぼ寝たり起きたりの毎日。
最初は週1回のデイサービスも92歳になった頃には週5回利用していました。
トイレに行くのも難しい状態。
朝、夕食は祖母の部屋に食事を運び後片付け。
衣類の洗濯。
夜中には大丈夫かな?と数回部屋に様子を見にいく。
休みの日は布団一式洗濯したり部屋の掃除。
私の手が祖母の尿で汚染することも何度もありました。
10年前の私は介護で疲れに疲れきっていました。
同時に祖母に対する愛しさも増してました。
今、思えば最期が近いゆえの感情だったと思います。
仕事に行く準備は出来ても疲れきっていて起きる事ができず家を出る時間の1分前まで横になってる日々。
もうこのままじゃダメだ。
私がダメになる。
祖母を老人ホームに申し込もう。
順番まで1年かかるか2年かかるか・・
老人ホームに申し込みをしよう・・
そう私が心の中で決心した日に祖母は亡くなりました。
祖母は私につらい思いをさせないために旅立ってくれたと思いました。
たくさんの思い出があります。
今、こうして仕事が出来るのは間違いなく祖母がいたからです。
私に自由な時間をくれました。
10年前の私は山に行ってませんでした。1年に1回、雄山に登ってただけ。
山に登りだした頃は山に癒しを求めていたような気がします。
祖母は私に時間をくれました。
祖母の人生最後の言葉は
『ありがとう』
幸せな人生だったと思います。
祖母は4人いる子供のうち末っ子の叔父が先に亡くなっています。
子供が先に亡くなる悲しみを味わっています。
叔父の死を祖母に伝えたのが私。
『おっちゃん。病院で今、亡くなったって』
伝えた私は言葉になりません。
その時、祖母の目から大粒の涙がポツンと流れました。
あの涙を忘れれません。
仏壇の前に座る事がなかった私。
祖母の死から10年。
毎朝、線香をあげてます。
山に行く前後は
行ってきます。
無事に帰ってきました。
報告。
はるみんのあれから10年でした。