ただの碁好きな麺や親父の雑記

麺や食堂爺のひねもすのたりのたりかな

ラーメンのどんぶり

2011-10-26 21:05:38 | 日記
麺や食堂と名前を変える前は(ブラジル)という屋号で、約40年ラーメン屋をやってきて、
麺や食堂になって15,6年経ちました。当時はラーメンが結構贅沢な食べ物であったらしい・
店売りだけではそんなに売れなかったので、出前もやりました。これが結構大変です。
雨の日、雪の日、夏の暑い日差しの中、寒い冬の夜。辛かったことが思い出されます。
当時のラーメンの配達は、なにもカバーをしないのでバランスを崩すとラーメンがこぼれてしまい
売り物にならないこともありました。今考えてみると凄いことができたものだと思っています。
ラーメンの出前にサランラップみたいなものを使いだしたのは最近です
ラップを使い配達するようになってからは出前が大変楽になりました。
ラーメンのどんぶりも時代とともにいろいろ変わってきました。
ラーメンのどんぶりは基本的には熱いものを食べていただくものですから、さめにくいどんぶりであることが一番大事です。
丈夫であることこれも大事です.いろいろなどんぶりを数多く使ってきましたが、これといったどんぶりに巡り合ってません。
それと美味しそうに見えることこれも大事です。
価格も今は高いですね。いま麺や食堂で使っているどんぶりはラーメン10杯分より高いです。
20年前に使っていたどんぶりに比べると20個位買えます。ですから大事に使っています。

自衛隊とお米

2011-10-25 20:04:20 | 日記
最近昔のことをよく思い出します。特に5歳ぐらいから10歳までのことを思い出す。
そのころは朝鮮動乱があり特に自衛隊が活発に訓練をしていた頃なのでしょうか??・
家の前を戦車とか高射砲とかトラックに自衛隊員がすし詰めに乗って最後の方にジープがいて、
助手席に隊長らしき人がふんぞり返って座って走り去る様子をよく見かけました。
家が揺れるんです、戦車が通るのですから揺れるのは当たり前ですけど、今の時代だったら大変でしょうね。
マスコミが騒ぎますよね、あの頃の時代はまだ日本が近代的な生活をする前の準備をしている状態なのかなー
家でも稲刈りをして田んぼに干して脱穀してそれをよく道路に筵を引いて圃しました。
畑で脱穀した藁を燃やしますとわらについていたコメが焼けてぱちぱちと撥ねてそれをよく食べました。
夕方でおなかがすいていますから美味しいんです。
現在ソニー厚木工場がある場所に家の畑がありました。

時には母のない子のように カルメンマキ 2009

2011-10-16 21:26:23 | 日記
10月7日厚木のキャビンにカルメンマキさんの、ライブを聴きに行きました。
よかったですね40年間歌い続けてきた人の重みを感じました。
吉田桂一(p)、永田利樹(b)とのコンビもよかった。
カルメンマキさんの声がいいですね。ライブが終わった後で少し話をしました。
気さくで明るい人で歌うことに真正面から取り組んでいるように感じさらに好きになりました。
カルメンマキさんの歌を聴いてください。



時には母のない子のように カルメンマキ 2009