江戸時代の百姓の生活は、身分制度によって逃げ出す事ができない形になり、年貢米を納める為に生まれてきたと言っても過言では無い。一度戦争が始まれば、雑役、兵隊として駆り出され、田畑は荒れ放題になり死んでも怪我をしても補償は無し。
此れらは信長辺りから兵農分離が進んではいましたが、まだまだ駆り出されていた。
そして年貢をスムーズに徴収出来る様にする為にも百姓を五人組と言う組織の中に組み入れて管理を徹底した。
年貢の
納め方も五公五民、六公四民、幕府、各大名ともその時々で変えることがあった。
米が出来ない時は有りとあらゆるものを売って、年貢米を調達し、最後は田畑、家屋敷を売って年貢を納めた。最後の最後払えない時は
退転即ち夜逃げです。
その先は地獄だろうと思います。
吉宗あたりの時代の五人組のお達し文が厚木村の庄屋さんから見つかっておりそれらの事柄が細かく載っていまして、その古文書に取り組もうと思っています。