1600年9月の関ヶ原の勝利は豊臣政権下の主導権争いであった。
しかしその結果勝利した家康は反徳川勢力を、減封、
転封、改易して、封じ込め、京都から遠ざけた。
そして家康の豊臣体制からの独立と豊臣解体を急いだ。
秀頼を関白職から摂関家による家職に戻した。
これは位の上からも家康の下に、秀頼がいる形にした、
それが徳川の天下である事を認めさせた。
秀頼の領土も三分の一以下に減らした。
1603年家康が、征夷大将軍になると、次の征夷大将軍に秀忠を指名して、
征夷大将軍は徳川の襲職であるということを世に示した。
そして家康は早々と1605年秀忠に将軍職を譲った。
これで天下は徳川が代々天下人だと分からせた。
この辺の家康の凄さを垣間見る事ができます。
その後駿河の駿府城で大御所政治となる。
この大御所政治が、駿府城で約10年続いた。
なので1603年から1616年までを、駿河幕府か駿府時代としたらどうですか・・