ハクエイ・キム / トライソニーク
麺や食堂が「ブラジル」という名でラーメン屋を始めたころの売り上げは1日¥3000前後でした。
東京オリンピックの頃、(高卒の初任給9000円から12000円くらい)で¥10000円くらいでした。
現在では物の値段が違いますから比較はできませんが、面白いです
煮干しは今も昔もいいものは高い、ただ値段は桁が一つ違う。
現在¥12000円ぐらいで買える煮干しが、40年前は¥1200円ぐらいで買えました。
品質は昔のほうがよかったですね。今より少ない量でおいしい出汁が取れました。もちろんスープを取るのに煮干しだけではありませんから単純に比較はできませんが、今は複雑になりました、煮干しだけでも種類が豊富でいろいろ使えるようになったのはいいですね.凝ったスープを作るラーメン屋が多くなったのはいいですね。私にも刺激になります。
東京オリンピックの頃、(高卒の初任給9000円から12000円くらい)で¥10000円くらいでした。
現在では物の値段が違いますから比較はできませんが、面白いです
煮干しは今も昔もいいものは高い、ただ値段は桁が一つ違う。
現在¥12000円ぐらいで買える煮干しが、40年前は¥1200円ぐらいで買えました。
品質は昔のほうがよかったですね。今より少ない量でおいしい出汁が取れました。もちろんスープを取るのに煮干しだけではありませんから単純に比較はできませんが、今は複雑になりました、煮干しだけでも種類が豊富でいろいろ使えるようになったのはいいですね.凝ったスープを作るラーメン屋が多くなったのはいいですね。私にも刺激になります。
麺や食堂が開店した昭和30年、31年当時のラーメンは普段は気楽にお昼ごはんとして、食べる人は少なかったです。お客さんが来たときに出すお昼ご飯みたいな感じでした。
値段はラーメンが40円でした。(ちなみにタバコでいえばピースが40円。コーヒーが40円。)
具はナルト巻き、メンマ,ホウレンソウ、長ネギ,チャーシュー(もも肉)でした。
麺を茹でる火はコークスを使っていました。火力が強く安かった。しかし手間がかかりました。
コークス用の窯は手作りで耐火煉瓦と耐火モルタルで作りました。
コークスの火力は凄いというか、すさまじかったです・
維持するだけでも大変でした。
戦後10年経ってまだまだ食べることも満足にできなかった。そんな時代の中で生き抜いてきた
麺や食堂ですが、今も相変わらず頑張っています。
値段はラーメンが40円でした。(ちなみにタバコでいえばピースが40円。コーヒーが40円。)
具はナルト巻き、メンマ,ホウレンソウ、長ネギ,チャーシュー(もも肉)でした。
麺を茹でる火はコークスを使っていました。火力が強く安かった。しかし手間がかかりました。
コークス用の窯は手作りで耐火煉瓦と耐火モルタルで作りました。
コークスの火力は凄いというか、すさまじかったです・
維持するだけでも大変でした。
戦後10年経ってまだまだ食べることも満足にできなかった。そんな時代の中で生き抜いてきた
麺や食堂ですが、今も相変わらず頑張っています。