八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信307号をアップします。

2016年02月28日 | 八障連通信
八障連通信307号です。今回は第3回となる知的学習会報告とコラム連載となります。


八障連通信307号【PDF版】はこちらから



これより、八障連通信307号の本文となります。




【事務局通信】
新年あけましておめでとうございます。2016年が始まりましたが、皆様にとって2015年はどんな年でありましたでしょうか。八障連も代表が変わり、新体制でスタートした年でありました。事務局としても不慣れなことが多く、皆様にもご迷惑をおかけしながらの運営となりましたが、なんとか新しい年を迎えることができました。八障連の活動として、市や関係機関が開催する多くの委員へ会員団体より担当者派遣を継続しています。福祉課との懇談会では、地域活動支援センター、視覚障害の方が活用する点字ディスプレイ、日中活動系への運営安定化の補助事業について意見交換を行いました。市議懇談会でも地域活動支援センターなど現行の給付サービスではカヴァーしきれないニーズ、課題について、また住宅マスタープランを切り口に地域福祉、街づくりについて意見交換を行いました。例会では会員団体の皆様から貴重な活動の報告をお聞きする機会を開催しました。施策では障害者差別解消法が本年4月より運用が開始するにあたり準備が進んでいますが、八王子市でも先行して制定された差別禁止条例の改定を進めています。差別については多くを考えさせられる一年でもありました。まず知ることから理解が始まりますが、まだまだそれさえもままならないのが現状と思います。また知ったことをどのように受け止めるのかは人それぞれです。基本的人権に基づいた価値観を私たちがいかに共有していくかということも重要と考えます。自分自身に置き換えても、私たち自身がまだまだ他の障害者の現状を深く理解できていないように思えます。そう考えると八障連の活動は障害種別を超えて学びあえる重要なつながりです。年明けの活動として新年会、第4回となる知的障害者支援の学習会、団体活動報告、福祉フォーラムと続きます。本年もお世話になりますが、引き続きのご協力をいただき、共々に障害者理解を進めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(事務局 有賀)



【今後の知らせ】
八障連新年会
1月28日(木)18:00~20:00 バーミヤン(八王子北口店)
八障連2月例会
2月18日(木) 18:00~20:00 クリエイト
八障連主催第4回知的学習会
3月12日(土) 14:00~16:00 クリエイト第2学習室
福祉フォーラム(「風は生きよという」上映会)
3月19日(土) 13:00~17:00 労政会館大ホール


【第3回 知的に障害のある人の地域生活を考える学習会報告】
<高齢化を迎えた今>
グループホームはどうすればできるのか?という声にお応えして
「わたしたちは、こうしてグループホームをはじめました」
― またまた70名を超える参加がありました ―

2015年1月に開催した第2回学習会から約1年経ってしまいましたが、第3回学習会を2015年12月に開催いたしました。今回は、前回の学習会でご意見をいただいた「グループホームはどうすればできるのか?」という声にお応えして、2015年度にグループホームを開設された2つの法人とこれから建設するという法人の方に、開設までの経緯や開設にあたってよかったこと大変だったことなどをお話いただきました。
参加者は、これまで同様、保護者関係が3分の2、従業者関係が3分の1といった比率で総勢70名ほどでした。ショッパー等のタウン誌を見てきてくださった方も多く、お子さんがまだ小学部という方や市外の方もいらっしゃいました。少しでも雰囲気が伝わればということで、報告の際には最初にグループホームの外観や内部の写真を見ていただきました。
最初の報告は、2015年の5月に上壱分方町にグループホームくろーばーを開設されたNPO法人八王子うらら会の橋本理事長でした。うらら会さんは、40年近く作業所を運営してこられた団体で、親の高齢化がすすみ家庭での介護が難しくなってきたために、開設を決めたそうです。当初は、作業所のある長沼町や上野町の近くで探したそうですが、市街地は地価が高くて現在の場所に落ち着いたそうです。それでも何千万円もの土地購入費用は、全額法人が負担したそうです。建設にあたっては、バリアフリー法や消防法の規制が厳しくて、廊下や階段の幅をかなり広くしなければならず、その分居室に充てられる面積が少なくなり居室数が少なくなってしまったそうです。
建物の周りは四方道路になっていて、近隣の方にはとてもスムーズに受け入れていただけたそうで、良好な関係が築けているそうです。輝もそうですが、外から玄関までのアプローチには、長いスロープが設置されていてかなりの面積を占めていました。開設までの困難としては、土地の選定取得はもちろんですが、スタッフの確保も大変で、とくに開所直前にサビ管の方が辞められた時はかなり困ったとのことでした。入居者の選定については、法人内で親御さんの高齢化、介護の大変さを基準に決めたとのことでした。今後は、向かい側にも建設できるスペースがあるので、男性棟の開設を検討しているとのことでした。
次に、2015年11月に開所したグループホーム輝を運営する社会福祉法人多摩養育園の支援員石岡さんにご報告いただきました。輝は2006年小比企町で開所されたのですが、借地だったため、今回寺田町にあった法人の土地に新築し2015年11月に移転開所しました。たくさんの施設を運営する社会福祉法人ということで資金面での不安はなかったとのことですが、近隣の方との関係づくりについてはいろいろと気を遣ったとのことでしたし、夏には広いウッドデッキを開放してバーベキュー等を地域の方といっしょに楽しみたいといった抱負を披露してくださいました。入居者については、元々の方以外には、地域の方を公募しており、現在も2名を募集中とのことでした。職員体制については、生活支援員は法人職員ですが、世話人さんは委託という形を取られているとのことでした。
最後に、現在グループホームを建設中のNPO法人まゆだまの細野理事長に、お話をしていただきました。うらら会さん同様に、親の高齢化を受けて法人としてグループホームの開設を決定し、当初は賃貸を探したのですが、最近では用途変更を求められるため建築確認済証が必要なのですがそういった物件はなかなかないため購入に切り替えたそうです。最終的には、法人役員の土地を借りてはじめることになったそうですが、近隣の方にご理解いただけるよう時間をかけていたため、当初の予定よりかなり遅れての着工となったとのことでした。
後半は質疑応答を中心にすすめました。土地の購入や建物の建設に何千万円もの費用がかかるとのことでしたので、会場からは「入居者も入居にあたって金銭的な負担があるのか?」という質問がありましたが、くろーばーや輝の場合は一切ないということでした。また、家賃や食費といった利用料や夜間の職員配置等具体的な質問がたくさん出されました。うらら会さんでは、定員5名ですが区分が高いこともあり、利用者さんがいる時間帯は職員を2名体制にしているとのことでした。そんなお話を伺ってのことでしょう。アンケートには「お金もうけではなく、志をもって取り組んでいらっしゃることがわかり心強く思った」「安心した」といった感想がありました。
最後になりましたが、お忙しいところご報告くださった3名の皆さまに厚くお礼申し上げます。また、次回学習会を下記の次第でおこないますので、ぜひご来場ください。



【連載コラム B型肝炎闘病記  パオ 小 義久】

《闘病史 2015速報》 

あけましておめでとうございます。今回は前回の続きではなく、2015年12月14日に始まったことを記している。実は、この日は私の67回目の誕生日だったのだが、どういう訳か虎の門病院に入院することになり、今病室にいる。9月に撮ったMRIが気になるとの主治医の直感で11月末に再検査をしたところ、1㎝強の陰が出現しており、癌マーカーが上昇、異常値を示していた。12月7日の外来で、入院手続きをして帰るよう言われ、病室があき次第入院と宣告された。肝臓での10回目の入院であり、3回目の肝臓癌の治療である。もう1回、悪性とも良性とも判断が付かない腫瘍の治療もあった。早速8日に明日入院できますかと電話があったが、生憎8,9、10日と外部の仕事が組んであったので、断った。昨日の今日に入院できる人っているの?いろいろ準備ってものがあるでしょと内心つぶやいていたが、勿論口には出さなかった。仕事とは言え、親切に電話を掛けてくれている女性に悪態をついてもお互いに馬鹿を見るだけである。11日に再度電話をもらった時に、14日には入院できる旨伝え、3度も電話してもらったお礼を申し上げた。若くかわいらしい女性の声はざわつく心を穏やかに包み込んだ。
 33年前に偶然に出会った新聞記事から付き合いの始まった熊田Dr(以下熊さん)とは相性が良く、肝臓のことは全てこの人にげたを預けようと決心するまでにそれ程の時間は要しなかった。それ以降肝臓病のことについては殆ど勉強していない。何かあれば、彼の意見を聞き、それを私が確かめ、決断するという形で過ごしてきた。今回ほど熊さんに感謝したことはない。普通の病院にかかっていたら、11月のチャンスを見逃し、癌細胞が大きくなってから発見されていただろうし、手遅れになっていた可能性が大である。そう言えば、20年くらい前に彼は、「肝臓では死なせないよ」と言ってくれていた。死ぬこと自体を恐れてはいないのだが、20年ほど前に叔父が毎日悲鳴をあげ乍ら死んでいったのを見ているので、肝臓癌では死にたくないと考えているからである。
 60歳位を過ぎてから、生きることを楽しめるようになってきた。とくにこの1~2年はテニスを始めて面白さが増し、コートに行くのが待ち遠しいくらい。そのテニス仲間がスキーに誘ってくれており、15年位前に卒業したつもりのスキーがこの1月に再開される予定。人生がこんなに楽しいものだとは生まれて初めて感じる感覚である。
既に肝硬変になっていると知らされたのは38歳に入院した時。八障連を立ち上げて間もない頃だった。あと10年の命。医療技術の進歩で20年くらいは持つかなとも感じていた。残された命を考えると、家族と過ごす時間を増やさないといけないとも感じ、八障連の代表を降りさせてもらった次の年、45歳の時に最初の肝臓癌になった。生活費稼ぎ以外の公的な活動から前年に一切手を引いていたのも何か虫の知らせのようなものがあったのかもしれない。いよいよだなと覚悟した。



通信本文はここまで。

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