クヌギの森にて、クヌギはふかふかの土から生えている。

2008-09-02 20:51:19 | コドモオトナ(開墾日誌)
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 本を借りに行ったら、一戸に行くことになった。高速を走り、しばらくしてクヌギの森を歩くことになり、カタカタと動く山繭に怯えたんだ。何故か、手には絶版のアルマイト製薬缶が握られていた。僕は、もう、…引き返せない。帰り道を忘れたんだ。

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 引き返せない…、冗談の様に懇意の友達と話すことがある。何処で、どの時点で、僕は「引き返せないライン」を越えたのか分からない。いかつい制服を着た誰かが、教えてくれなかったから、僕は無防備にも、そのラインを越えてしまった。

「森を歩く」とか、「自然と一体化」するとか、いつの間にかそういった『行為』を越えた『概念』が、僕の中心部分に侵入してしまった。雨の音にリズムを見たり、虫の声にメロディーを感じたり、風の音に偏った真理を見出したり、それらは僕が目標としていたものではないのだけれど、自然に…、それこそ自然に、僕の中に侵入し居座っている。まま、リラックスした表情で。そんな奴らに、僕は快適な環境を提供し続けている。


 生存競争に勝ち続けた大木が自信満々に僕を覆って、生存競争に投げ出される若木が足元で怯えている。

 生存競争そのものを経験したことのない僕は彼らのリアルに向き合うことはできない。上も下も、リアルだから、僕の顔は所在を失う。そういえば、いつも、そうなんだ。半分やけになり、何とか生存競争に関わらぬよう、まま慎重に、ふかふかの腐葉土を飛び跳ねた。リアリテイーを蔑視するように。リアリティーを蹂躙するように。


 人間のエゴに翻弄されながらも、常に新しい均衡を生み出す腐葉土の上で、僕をここまで連れてきた、腐葉土から生えたようなカメラマンがファインダーをのぞいている。混乱を避けるため、その真似をして、僕も自分の持っていたカメラをのぞいてみたけれど、圧倒的なリアルの前で、やはり混乱を避けることはできなかった。でかいカメラの性能に『混乱を静める機能』があることを初めて知った…と、間違った解釈をした。…縮尺された世界を前にして、そのリアリティーに、僕は、取り乱してしまったんだった。

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