おかげでこちらも冷たい雨と強い北風が吹いて、気温は5度くらいまで冷え込んでいる。
もっとも厳寒の時期になれば黒潮に近い南関東でさえ、氷点下を記録することがあるのだから、まだ序の口と言えば序の口だが、寒さに慣れ切っていない身体には、これからの数カ月をどうやり過ごすのか、いささか気が重い。
しかし、冬来たりなば春遠からじで、やがて春になり、待望の夏が控えていると思えば、冬も希望がほの見える季節なのである。
かくなる上は一刻も早く冬が過ぎ去ってくれることを願うばかりだ。
今冬は暖冬だという気象庁の御託宣だが、暖かい冬は大いに結構。是非そう願いたいものである。
この時期、二十四節気でいうと「小雪」。七十二候では「朔風葉を払う」と言うんだそうな。
冷たい北風が木々の葉を払い落すころ、という意味合いである。
そのとおりで、わが家の黄色く色づいたカツラの葉はだいぶ吹き飛ばされ、庭と通りに降り積もっている。
落ち葉が散っているのは、わが家とその隣家あたりの前の道路だけで、二女のところから久しぶりに帰ってきた妻は「まぁ」と気にするが、何せ濡れ落ち葉なので、掃除のしようがないのである。
願わくば落ち葉が渇いたころを見計らって、1、2時間北風でも南風でもいいから、ちょっと強めに吹いてくれたら、わざわざ掃除することもないのだが…
わが家に2本も植わっているナンキンハゼは赤や黄色に紅葉するが、冷え込みが弱ければ綺麗に色づかない。
奈良公園一帯はナンキンハゼの高木が茂っていて見事なのだが、あちらは盆地で、朝晩の冷え込みもそこそこあるはずだから、今年もきれいに色づいているのではないか。
この樹種は寝坊で、新芽が吹き出すのは5月の連休過ぎから。そのぶん紅葉も初冬からという具合に後ろにずれているのである。
したがって、わが家のナンキンハゼも、色づき始めた程度で、本番はこれからである。
都会に住む現代人は落ち葉を忌み嫌うが、そういう無粋な人種とは組みしないのである。
落ち葉が散って何が悪い。落ち葉がなければ、いい音楽も、良い文学作品も生まれて来なかったぞ。
そればかりか、若かりし頃の失恋の傷んだ心に、どれだけ落ち葉が慰めになったことか。
ああいう切ない気持と言うのはとっくの昔に身辺から消え去ってしまっているが、落ち葉は変わることなく来る年も来る年も傷心の青年を励ますために、降り積もるのである。
「山行」
遠上寒山石径斜 遠く寒山に上れば石径斜めなり
白雲生処有人家 白雲生ずるところ 人家有り
停車坐愛楓林晩 車を停めてそぞろに愛す 楓林のくれ
霜葉紅於二月花 霜葉は 二月の花よりも紅なり
秋の深い山に登れば、岩場の小径はこう配が急になり、
白雲をはき出す辺りに人家が見える。
車を止めて、何とはなしに楓樹に見入る
寒さで色づいた葉は、春の花よりもいっそう紅く見える。
(赤井益久訳)
この季節になると必ず、この晩唐・杜牧の詩が思い浮かぶ。
午後は晴れてきて、江ノ島の灯台から東の空には澄みきった青空が広がった
同じく西の空を眺めるとまだ厚い雲が…
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