平方録

60年前の作品が暗示するもの

それにしても雨がよく降る。

この時期の作物にとって恵みの雨が「穀雨」。同様に、作物を育む「瑞雨」。草木を潤す「甘雨」。さらに「催花雨」「菜種梅雨」「卯の花腐たし」などと情感あふれる名前が付けられている。
これらの雨は現在の暦でいえば3月から5月にかけて降る雨を指すはずである。
しかし、どうしたわけか4月の限られた期間に集中的に降っているのではと思わせる降りようで、お天道様が恋しくてならない。

外に出られないから“雨読”を余儀なくされるが、昼ご飯を食べ終わる午後1時になると、NHKのBS放送で毎日映画をやっている。
雨降りの場合に見ることが多いのだが、案外佳作を流しているのである。
ここ10日ばかりの間に「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984年、アメリカ)、「ジュリエットからの手紙」(2010年、アメリカ)、「切腹」(1962年、小林正樹監督)を見た。

たまたまなのか、どれも退屈しない映画だった。外国作品は景色も楽しい。
そして昨日は篠突く雨を尻目に、なんと1954年制作、木下恵介監督の「二十四の瞳」を見てしまった。白黒映画である。
昭和29年といえばまだ6歳で、小学生に上がる前の年。青函連絡船の洞爺丸が台風で沈没し多くの犠牲者を出したのもこの年である。

原作が坪井栄の小説だとは知っていたが、瀬戸内海の小島の分教場での女性教師と子どもたちの素朴で心温まる交流を描いた、ほのぼのとした小説と思い込んで、手にしたことすらなかった。
どうして見る気になったかと言えば、チャンネルを回していった途端、白黒画面に「二十四の瞳」とタイトルが古めかしい音楽とともに現れたためである。
特にすることもなく、本を読むくらいである。ならば、時間つぶしに見てやろう、という気楽な気持ちだった。
スクリーンに映りだされる景色が、白黒とはいえ、妙に懐かしいようなものを感じさせたことも一因と言えば言える。

昭和3年に分教場に学校を出たばかりの女教師が赴任するところから物語は始まる。
そこで担任する1年生12人と先生自身が時代の大波に翻弄され、傷つき、悲しみと苦しみをくぐりぬけて敗戦を迎えるさまを、淡々と、実に淡々と描いている。原作もこんなに淡々としたものなのだろうかと思うくらい…
しかし、映画は画面で当該の人物の表情を映し出す。その表情がディテールなのだろう。
ほのぼのとした心の交流を描いた作品だなどと、どうして思い込んでしまったのか。それはごく一部分を指しての感想に過ぎない事を知る。
女性教師は「お国のために兵隊さんになるんだ」という教え子をたしなめたりする。そして校長から「余計なことを口にするな、教えるな」と厳しく注意されたりするのである。

この小説、映画の舞台は5年後か10年後のごく近い将来の日本の姿なんだろうなぁ、もう始まっているんだなぁ、ということをしみじみ感じさせられた。
過去を振り返ったものではないということが、そういう思いが胸に突き刺さる。

悲劇の歴史を繰り返してはいけないんである。




雨が降り出す前の庭に、1輪だけ珍しい色のチューリップが咲いているのに気付いた
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