平方録

忘れ得ぬ人

鎌倉駅6:25発の電車でM元社長の葬儀に向かう。
隣駅が始発だから、さすがにこの時間、ここら辺りの車内はまだガラガラである。
7:50に船橋に着くと月曜日の朝の通勤ラッシュが始まっていて、押し寄せる人の波と完全に逆行になって、改札を出るにも一苦労である。
葬儀は8:30から始まった。

「このたびは、びっくりさせてしまい大変申し訳ありませんでした」
こういう書き出しで始まる二女の文章が参列者に配られた。
不明だった死に至るいきさつが丁寧に記されている。
「3月3日のまだ暗いうちに、いつものように、自転車に乗って出かけました。釣りに行ったことはあとからわかりました。釣り道具がなかったからです。その日、父は帰ってきませんでした。胸騒ぎがした母と私は警察に届けを出しました。次の日も帰ってきませんでした。父が帰ってきたのは3月5日です」とある。
そして船橋港で水死体となって発見されたそうである。
「釣りをしていて、何らかの理由で(心臓マヒだろう…)海に落ちてそのまま力尽きたと思われます」

ボートのオリンピック選手だったMさんは退職後もテニス、登山、スキー、釣り、サイクリングで過ごしていたようである。
一方で腰がしびれる持病も抱えていたらしい。排泄障害も伴い、3月17日には手術する予定だったそうである。
そんなことから、手術がうまくいかず、寝たきりになってしまったり、排泄障害が改善しなかった場合には「延命はせず、緩和ケアにしてほしい」などと語り合ったそうである。
「その中で父に教わったことは『自尊心』です。父が尊厳ある死を望んでいることもわかりました」と綴られていた。

スポーツマンで元気いっぱいに暮らしてきた人が、出歩けないほどの不自由な身体になったり、ましてや寝たきりになることなど、到底受け入れられるものではない。
難しい手術に立ち向かうことを理解し、その結果に対する覚悟も決めていたということのようである。
そんな矢先の突然死だった。享年75歳。

早朝にもかかわらず300人近い参列者が最後の別れを惜しんだ。
棺の中の顔はさすがに膨れていたようである。
死は終わりではない。これからも家族や友人知人の心の中に生き続ける。生も死もない。円覚寺の横田南嶺老師がそう説くのを聞いたばかりである。

ボート部時代の友人たちだろう。東大ボート部の歌を朗々と唱和する声に見送られて出棺していった。
Mさん、お世話になりました。さようなら。



わが家のスミレ
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