芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

なかにし礼さんの言葉

2016年09月15日 | 言葉

 改憲論者とは戦争をしたい人たちなんですよ。日本には米軍基地がまだある。だから、真の独立のために戦争するというのであれば、まだわかる。しかし、彼らは集団的自衛権を行使して米国と一緒に戦争をするために憲法を変えたいわけでしょう? 論理破綻しているし、美しくもなんともない話です。安倍さんはただ祖父、岸信介が活躍した戦前の軍国主義の世の中に戻したいのでしょう。これは極めて個人的な心情で、岸信介を神とする信仰のように見えます。
  (日刊ゲンダイのインタビューより)

                                                             

ちばてつや さんの言葉

2016年09月12日 | 言葉
                                                   

 非常に私は不安に感じてますね。そっちの方向に行っていいのかな? そっちの方向に行かない方がいいんじゃないのかな? 日本はもっと良い方向がある。戦争をしない国っていうふうにみんなが認め始めてるんでしょ。日本には憲法があるんだから、絶対戦争できないんだよあの国は。戦争をしない代わりに、色んなところでね、橋つくったり、井戸を掘ったり、そういうことで困った人に薬をつくってね、この間もノーベル賞でいい仕事しましたよね。そういうことで世界中の人に、みんなから尊敬される国になったらいいのに…

赤川次郎さんの言葉

2016年09月10日 | 言葉
                                                                

 書き手として独立した精神をもっているということより、逆に、大きな権力にすり寄って、権力のなかに入りたいというような作家が目立つようになってきました。作家だからといって反体制であるべきとは思いません。しかし、権力から独立していることは、ものを表現する人間としては最低限のモラルです。

 ものを書くということは、ある意味で人に対する挑戦です。意見を表明することは、おおやけの場での反駁を覚悟していることでもあります。上からの目線で発言するのではなくて、下の目線に立って、上に向かってものをいう、ということが、かつては作家というものの当然のあり方でした。
    (「三毛猫ホームズの遠眼鏡」)

小沢昭一的「反戦のこころ」

2016年09月09日 | 言葉
                                                            

 小沢昭一がラジオで長く続けていた「小沢昭一的こころ」という番組があった。平成4年の末から平成5年の正月にかけて「20周年記念 小沢昭一的こころ『唄う小沢昭一的こころ』」がある。その中の「正月気分は反戦気分」という傑作は、おおよそこんな話である。
「あの愚かな戦争が敗色濃厚になった頃、帝国海軍は予科練というのをつくったんですな。〽赤い血潮の予科練の〜 …頑是ないといっていい年頃だ。送り出す方は年寄りだ。若者たちの純情を利用して…悲しみというより憎しみが湧いてくる…」
「戦意高揚歌というのが作られて…二大戦時歌謡は 〽みよ東海の空開けて〜という「愛国行進曲」と「露営の歌」…」
彼は「愛国行進曲」をがなり立てるように唄う。
「〽正しき平和打ち建てん、いいですか、正しき平和打ち建てん…断固と守れ その正義(彼はそのフレーズを敢えて繰り返す)断固と守れその正義〜」
「露営の歌」も唄うというよりがなり立てる。「〽東洋平和のためならば、なんの命が惜しかろう(彼はまた敢えて繰り返す)〽東洋平和のためならば〜」
 そして言う。「正義の戦争、平和のための戦争と言うんですな。正義の戦争より、不正義の平和がいい
 
 小沢昭一はある雑誌に投稿している。
「じっさい、何が「いのち」を粗末にするといって、戦争ほど、人間の「いのち」を軽く見るものはなく、もう無残にも「いのち」は踏みつぶされ蹴散らかされるのです。
 でも、そのことに、私たちは、あの戦争に負けた時に、はじめて気がついたのです。あの時、不思議と頭の中がスーッと澄んで、モノが実によく見えました。あれは、多くの「いのち」を失った代償だったのでしょう。私たちは、それまでの無知を恥じ、もうコンリンザイ戦争はごめんだと思ったものです。「戦争放棄」の憲法は、アメさんから押しつけられたにせよ何にせよ、あの時、日本人の皆が、ごく自然に、素直に、そうだ、それが一番いいと、心底、納得したことだったのです。
 だから、世の中の、大抵のことは、何がどうなってもいいから、戦争だけはごめんこうむりたい、「戦争放棄」だけは守り抜きたいという、これが、私の人生で、たった一つだけ出た明白な結論です。人間、長い人生の間には、考え方も少しずつ変化するものですが、この考えばかりは変わりませんでした。
 ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘る」ですか、このごろ「憲法見直し論」がチラホラ顔を出してきて、私はとても心配です。いえ、見直しも結構ですが、第九条ばかりは、そのまま、そのまま、でありますよ。
 「戦争放棄」は、政治に哲学がないなんていわれる日本が、唯一、世界に先がけて打ち出した、まことに先見性のある政治思想と思われるのでありまして、この、百年か二百年先の時代にツバをつけた新思想を、なんとか保持したいものです。世界の先頭切ってやっていることですから、そりゃいろいろ障害も出てきましょう。そこを何とかやりくりするのが先駆者のつらいところで、それを、ほんの五十年ぐらいで取り下げちゃいけません。
 戦争は病気と同じです。病気はかかったらもうおそい。かかりそうになったら、でもおそい。それよりふだんの、かかる前の予防が大切だとお医者に教わりました。
 戦争も、私たちはよく知ってますが、はじまってしまったらもちろんのこと、はじまりそうになったら、もう止められません。戦争のケハイが出ても、もうおそいのです。ケハイの出そうなケハイ、その辺ですぐつぶしておかないと・・・つまり、戦争は早期予防でしか止められません。しかも、その戦争のケハイなるものが、判りにくく、つかみにくいのです。戦争の反対は平和ですが、平和のための戦争、と称えるものもありますしね。いえ、おかしなことに、いつもそうなんです。あの戦争の時も、
 ♪ ・・・東洋平和のためなら、なんの、いのちが惜しかろう(「露営の歌」)
 と、毎日歌って戦いました。ですから「国際貢献」「国際協力」「世界平和を守るため」というのも、こわいケハイです。 ♪ 国際貢献のためならば、なんの、いのちが惜しかろう・・・ということにならないように、なんとしても、予防しなくては!」

 いま一度「小沢昭一的 反戦のこころ」を。

大岡昇平さん、戦争指導者を憎悪する

2016年09月07日 | 言葉
                                                            

 われわれの死に方は惨めだった。われわれをこんな下らない戦場へ駆り立てた軍人共は全く悪党だった。芸妓相手にうまい酒を飲みながら、比島決戦なんて大きなことをいい、国民に必勝の信念を持てといい、自分達はいい加減なところで手を打とうと考えていた。
  (「ミンドロ島再び」)

 彼は対談集の中で、こういうことも言った。


 戦後25年、おれたちを戦争に駆り出したやつと、同じひと握りの悪党どもは、まだおれらの上にいて、うそやペテンで、同じことをおれたちの子どもにやらせようとしている。


 彼らを「戦争に駆り出したやつと、同じひと握りの悪党ども」の孫たちが、祖父の時代を「美しい日本」と呼び、その美しい「日本を取り戻す」のだと獅子吼している。彼らが再び国民を戦争に駆り出しかねない異常な空気が、いま日本を覆い始めている。特定秘密保護法を成立させ、安保法制を強行採決し、閣議だけをもってして憲法解釈を捻じ曲げ、都合の悪い意見を持つ内閣法制局長を更迭し、NHK会長や経営委員は全て総理の友人で固め、メディアを恫喝、圧力をかけて政権に批判的キャスターたちを降板させる。両院ともに三分の二を確保したので、いよいよ憲法9条の削除をはじめとする壊憲が始まっている。