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貞之助はうんざりした。無性に腹が立った。憤怒といってよい。
…ってやんでえ、いってエいつまで武士だ侍だ士族の出だってンだ。そんなもんが自慢になるか、誇りになるか、駄洒落じゃねエが埃をかぶった矜持だろう。まったくもって時代錯誤もはなはだしい。
それにそもそも侍だ士族だが、そんなに偉エものか。そもそも侍が世の中の役に立ったことがどれほどある?
だいたい江戸の世も中頃には侍身分なんてもんは金で買えたのだ。聞くところによりゃあ、あの千代田城を西郷に明け渡した勝安房守の侍身分も、何代か前(めえ)に金貸しの検校が旗本の株を金で買ったもンだと言うじゃねえか。確かあの本所亀沢の男谷(おだに)道場が実家の本家だアね。また学問やヤットー習って、それにちいと秀でた百姓の小倅が、藩や旗本から士分に取り上げられた例は山ほどあらア。備中高梁藩の山田ってエ偉い御家老は百姓だったってエじゃあねえか。え、またなんだ、ホレ、幕末にゃア百姓が勝手に腰に刀を差し、攘夷だ勤王だ佐幕だって侍づらして天下国家を論じ、人を殺めて騒いでたじゃあねえか…。騒ぎに勝ったその人殺しどもが藩閥の天下を極めてらア。何が武士だ侍だ士族だってエんだ。それに俺が生まれたのは御一新の時分だ、サムライの世が終めえになったときよ。
何もかもが大瓦解する前から、天下の御家人も藩の徒士(かち)もみんな酷(しで)え暮らしをしていたらしいぜ。膳の上にゃアろくに食う物(もん)もねえくせに、見栄と体面ばかりはつくろってサ。親父殿なんざあ、おい喜べ僅かばかりだが御加増になったぞって、その加増が実施される前(めえ)に廃藩置県だったってよ。
俺が物心つく時分にゃあ、月代剃って丁髷をして刀を差した侍なんてえのは一人もいなかったぜ。それなのに世ン中の時の流れが読めねえで、士族の矜持ったって下らねえ体裁ばかりでよ、相変わらずみんな酷え暮らしをしていたぜ。
べらぼうめぃ、え、物づくりがそんなに駄目なのか、商売人がそんなに嫌か。士族ってえのは職業じゃあねえぜ。時代遅れの身分だあね。御維新以来、士族身分の職業ってえのは官吏と軍人と警官ばかりじゃあねえか。オイコラって威張り腐ったのがそんなに偉えと思ってか。人間の格が上だと思ってか。それが物を作る人間よりだんちに上だってえのかい。官尊民卑なんざあ時代遅れの心得だ。さっさと捨てたがいいぜ。大事(でえじ)なのは人格、質朴の風儀、篤実な姿勢じゃねえのかい。…
明治三十五年のことである。常日頃もの静かな貞之助が大きな力の籠もった声音で、こんなべらんめえ調で怒りを露わにしたので、年老いた謹厳な父も口やかましい母も気圧されて押し黙った。妻のタケは大きな眼をつり上げて彼を睨み返した。たまさか居合わせたタケの両親は屈辱に顔を引きつらせた。まだ幼い長男は、滅多に見ることもなかった父の剣幕に怯えて隣室に身を潜めた。
清水貞之助は神田小川町にあった常陸土浦藩、土屋采女正の上屋敷の徒士長屋で生まれた。すぐに草履下駄屋、古着屋、駄菓子屋、古道具屋、畳屋、羅宇屋、指物師、鳶、大工などの、町屋の並ぶ深川三十三間堂の小さな仕舞屋風の家に越し、さらに小名木川近くの空いた町屋に移って、辰巳風(たつみっぷり)の気風の中で育った。周囲にはいわゆる士族出の家も多かったが、どの家も路頭に迷いでもしたかのように汲々としていた。
普段の貞之助は落ち着きもあり、物腰も柔らかく、丁重な口を利いた。当時としては上背もあり、常に背筋がのびて姿勢が良く、まるで古武士を偲ばせて、実に堂々とした偉丈夫だった。しかし腹が立つと、町人風の伝法な口のきき方になり、思考もまた、そんなふうになった。祖父も父も確かに武士だったが江戸詰めで、三代も江戸生まれの江戸っ子だったのである。そういえば、科白に登場した勝安房守つまり海舟も、その父勝小吉も本所深川辺りの生まれで、普段は伝法な物言いをしていたらしい。
貞之助のこの憤怒は、タケと所帯を持った頃から十数回も繰り返されてきた。
タケの実家は小身ながらも幕臣であった。幕府瓦解のおり、一家をあげて駿府に移ったが、すぐに住居と暮らしに窮し、東京と名を改めた「江戸」に舞い戻った。そしてタケが生まれたが、武家の娘として過剰なほどに厳しく躾られた。貞之助とタケの結婚は両家の親同士が決めた。士族であることが両家の条件であった。タケの実家は幕臣であるこちらが家格は上だと胸を張った。貞之助はそれを耳にし、ってやんでえ、まったく下らねえ話しだぜ、と呆れたものである。
貞之助は必死に時代を読もうとした。家族を養わねばならなかった。新しい世の中の役にも立ちたい。彼は子ども時分から、家の周囲に居職の大人たちの根気仕事を見て育った。その職人達の手業は見飽きることがなかった。
貞之助も新しい時代に適う物づくりの仕事をしたいと思った。世の中の進歩は凄まじい。これからは電気の時代かも知れない。電気器具、電信機器づくりはどうだろう。理科学・理化学の時代である。それ向きの実験器具、計測器具などはどうだろう。西洋医学の進歩の速さは凄いらしい。医療器具づくりなどはどうだろう。貞之助は理科実験器具や医療器具の製造販売の商売を始めた。タケはその商売を小馬鹿にした。
「私たちは士族の家柄です。もっと貴男様にふさわしいお仕事がおありでしょう」
と言った。
「お願いですから、そんな職人や商人のようなまねはお止めくださいまし」
と詰め寄った。
「そんな時代ではない。私は世の中のお役に立つ物を作っているのだよ」
と貞之助は静かに言った。しかしタケは職人仕事も、作った物を売る商売も、頭から軽蔑して嫌がった。「みっともない」と言うのである。しかも彼女の両親も、そして貞之助の両親までもが物作りや商売を蔑視し、タケと同じことを言った。
貞之助の仕事は試行錯誤が多かった。利も薄かった。評価を得るまでが大変だった。朝から晩まで働きづくめで、製品作りと商売に熱中した。やがてなかなか良い物を作るという評判を得た。陸軍の医局に評価されたのである。先ず貞之助の作る製品に高い評価を与え強く推奨してくれたのは、森林太郎という陸軍のエリート軍医だった。貞之助の注射器のピストンはやっと軌道に乗り始めていた。
明治三十一年に長男の桂が生まれた。タケは桂を厳しく躾ようとした。桂誕生の二年後に二男の隆二が生まれた。桂への躾はますます厳しいものになった。桂は士族清水家の跡取りだからである。タケの鯨尺が桂の手の甲や膝に容赦なく飛んだ。痛さにべそをかくと「男子がめそめそ泣くものではありません」ときつく叱責した。桂が何かを欲しがると、タケは「男は質実剛健」と厳しい声で告げ、彼はとりつく島もなかった。こんな小さな子どもに言ってもわかるまい。貞之助は呆れた。幼い桂にとって、「シツジツゴーケン」とは「駄目です」「我慢なさい」と同義なのであった。この言葉を聞くと我慢しなければならないのだった。
ときにタケは隆二と桂を二人並べて、本を読んで聞かせることもあった。タケが二人の子どもにお伽話しを読んで聞かせていると、祖父が厳かに言った。
「そろそろ桂に、わしが四書五経を教えてやろう」
「それはようございます」
とタケがにっこりと頷いた。
隆二が二歳でにわかに病死した。当時の子どもの命は儚かったのである。タケは悲嘆し激しく自分を責めた。同時に桂にますます厳しく当たった。それを咎めた貞之助に、タケの怒りの矛先が向いた。タケは早朝から深夜まで「職人、商人風情の仕事」に熱中する貞之助を責めた。彼の物づくりと商売を「賤しい」と詰り、喚いた。タケの情緒は極めて不安定になっていた。心が壊れ始めていたのだろう。
「桂は清水家の嫡男です。士族の子として恥ずかしくないよう厳しく躾けなくてはなりません。あなたのように職人や商人風情になってもらいたくありません」
とタケは言った。
「どんな仕事に就くかは大きくなったら桂自身が決めるこったが、まっつぐ正直な料簡で働いてくれりゃあそれでいい。まあ俺は桂に、これからの時代に合った教育を受けさせたい。商業や工学とかね…」
と貞之助は言った。タケは貞之助を憎々しげに睨んだ。そして嗚咽し「隆二、隆二」とつぶやき続けた。…
貞之助はタケを離縁した。
家の中から可愛い弟がいなくなり、母もいなくなった。厳しい母でもいなくなると、やはり桂はどこか淋しげだった。彼はまだ四歳だったのである。そんな桂に「男は質実剛健」と祖母が言った。桂は健気に「はい」と返事をした。母のいないことを我慢しなければならないのだった。しかし突然片親がいなくなった子どもの、心に負った傷の深さと喪失感は、今も昔も変わることはない。
三年経った。二月の日曜日のことである。滅多にとらぬ休みをとった貞之助が桂を散歩に連れ出した。珍しいことである。前日まで寒い日が続いたが、その日は冷え込みもゆるんだ。父子は木場や深川辺りをゆっくりと歩いた。大川端に出た。さすがに吹く川風は冷たい。
二人の立った河畔の近くに先客がいた。青白い細面の少年で、まるで幽鬼の如くである。少年は思い詰めたように水面を凝視めていた。だいぶ前からいたのに違いない。貞之助はその少年の様子を気にかけた。桂より三つ四つは歳上にちがいない。
桂はこの大川の眺めが好きだった。ゆったりとした水の流れを見つめていると飽くことがない。川の流れとは時間の流れにも思えた。何もかも流れて、哀しみも淋しさも忘れさせてくれるようである。なぜか、ふと泣き喚いた母を想った。
痩せた少年が川風に揺れる柳のように動いた。風が彼の髪を悪戯し、その額と眼差しを隠した。少年は背を屈めてぎこちない歩き方で立ち去っていった。まるで川からあがってきた「河童」のようではないか。貞之助の視線は彼の背を追った。
この少年も大川の水の流れを見るのが好きだったのである。その日も水面を見つめながら、狂った実母のことを想っていた。自分には狂気の血が流れているのだという恐怖が、彼の心を捉え続けていた。…芥川龍之介は早熟な少年だった。
その月の末、清水一家は本郷元町に越した。四月から、桂は私立の習性尋常高等小学校に通い始めた。本郷には理化学機器の製造に携わる町工場が多かった。貞之助も本郷春木町に小さな工場を構えたのである。
ある日、東京帝大の寺田寅彦という物理学の先生が貞之助を訪ね、自ら描いたスケッチ風の実験器具と装置の設計図を見せて、その製作を依頼した。授業用の器具らしい。貞之助はいっぺんに彼の人柄が気に入り、それを引き受けた。その日寅彦はしばし談笑してから帰っていった。彼はその足で夏目漱石の家を訪ね、またしばらく談笑したようである。漱石は寅彦が好きで、彼の物理科学や専門の地球や地震学の話を聞くのを楽しみにしていた。突然訪ねて書斎に招じ入れられるのは、彼くらいなものであった。寅彦と話をしていると、何故か胃の調子も良くなるようなのだ。捗らぬ小説の原稿のことも忘れるのだった。
貞之助は周囲から熱心に再婚を勧められた。相手は埼玉県北足立郡白子村の農家の娘でアサという、おっとりとして健康的な女性で、貞之助は大いに気に入った。彼は息子の桂を連れて白子村のアサの家に行った。アサの桂への接し方を見て、貞之助は結婚を決めた。明治四十三年のことである。一家は本郷の春木町に移った。貞之助の経営する工場にもほど近い場所である。
それは桂が十二歳の時である。彼は新しい母に対する接し方にとまどった。すでに桂の裡では、実母の貌ははっきりとした像を結ばなくなっているものの、幼い頃の記憶に刻まれた「母」という「存在」は、厳しいものだったからである。それからしばらく、彼は「母」というものを知らなかったのだ。
新しい母アサは大らかで優しく、よく笑った。自分のへまや無知も、あけすけに大声で笑い飛ばした。「呆れたやつだ」と、父の貞之助もつられてよく笑うようになった。桂も新しい母につられて、よく笑うようになった。
アサが本好きの桂を誉め、自分は野遊びに夢中なお転婆で、読書とは無縁だったからこんなお馬鹿さんな大人になったのだと笑ったとき、彼はふと実母のことを想い出した。厳しかった母ではなく、弟の隆二と自分にお伽話を読んでくれたこともある母である。たしかに凛とした女性だった。いまはその顔の記憶も薄れている。桂は何か申し訳なく、切なく思った。記憶が曖昧だが、母が読み聞かせてくれたのは、巖谷小波の童話だったように思うのだ。そう思うようになったのは、桂が巖谷小波と会うようになってからのことである。
桂は数年前から、児童図書や図書館普及の運動を展開していた竹貫佳水の、竹貫少年図書館に参加していた。たくさんの本と出会い、作文を書き、児童文学者らの話を聞いた。この竹貫の運動に共鳴し、子どもたちを指導していたのはドイツ文学者で博品館編集長だった巖谷小波や児童文学者の久留島武彦、若い編集者の鹿島鳴秋らであった。鳴秋は、かつての桂の家とは川一本隔てた深川の生まれで、そのことを知るとずいぶん可愛がってくれた。
習性尋常高等小学校も間もなく卒業である。漠然と好きな文学方面の勉強をしたいと思ったものの、進路はまだ何も決めていなかった。父の貞之助が言った。
「ロシアに勝ったと言っても、あれはたまたま運が良かったに過ぎない。本当は、ありゃ痛み分けだな。調子づいて、忠君だ愛国だ、大和魂だ、武士道だ、もののふだと、軍人がでけえツラして威張りちらす世の中は、きっとろくなことが起こらねえよ。…桂、これからは商工業の時代だよ。あの渋沢さんという実業家の言う通りさ。偉いねえ、あの人は。どうだ桂、おまえも商業の勉強をしてみたら…」
桂はこういう父・貞之助の背を見て育ったのだ。幼時に別れた実母の「士族」教育の影響などほとんど受けていなかっただろう。また桂は年の離れた弟たちをたいそう可愛がり、その面倒を見た。彼等に本を読んで聞かせ、手をつないで散歩に出た。この弟たちとの接触の方が、桂に大きな影響を与えたのではなかろうか。
父の勧めか彼は京華商業学校に入学した。しかし実業の道には進まなかった。彼の興趣は児童文学に向かい、少年少女雑誌の編集者となり、やがて数多くの童謡詩を書いた。
「清水かつら」は、当時としては上背もあり、闊達で物腰が柔らかく、いつも背筋が伸びて端然とし、長時間の正座でもその姿勢は崩れることがなく、まるで古武士を思わせたらしい。しかし、優しく美しく、楽しく、そして時に切なく、優れた童謡の詩を、数多く残した。昔は誰もが口ずさめた歌だ。「靴が鳴る」「叱られて」「雀の学校」「緑のそよ風」などである。
お手つないで 野道を行けば
みんな可愛い 小鳥になつて
歌をうたへば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
叱られて
叱られて
あの子は町までお使いに
この子は坊やをねんねしな
夕べさみしい村はずれ
こんときつねがなきゃせぬか
チィチィパッパ チィパッパ
雀の学校の 先生は
むちを振り振り チィパッパ
生徒の雀は 輪になつて
お口そろへて チィパッパ …
みどりのそよ風 いい日だね
蝶蝶もひらひら 豆のはな
七色畑に 妹の
つまみ菜摘む手が かわいいな