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日々の移ろい

やつと叶った 義兄と姑の面会

特養に入所する姑(要介護5 98歳)に会いたい 義兄は、

ここ2ヶ月、面会に関して あれこれ私達に尋ねたり、
姑の「好きな曲を聞かせたいから 何だ?」等と メッセージの往来がありました。

義兄は76歳、小脳に手術出来ない腫瘍があり、身体のあちこちに麻痺が現れていて、歩行にも不自由していますし、
生活全般も助けの必要な身体になっています。

4月28日に面会予定をしていましたが、運転してくる娘さんが面会6日前にノロウイルスに罹り、延期、

3度目にやっと実現するか?
と こちらも 義兄とのやりとりが一段落すると、ほっとしていました。

義兄は、
自分が運転するのでもないけれど、「どこのインターで降りたら良いか!?」と、相変わらずの夫へ上から目線です。


特養の駐車場の陰で一時間ほど待つと、

車から降り、
歩行器に支えられ 身を屈めて歩く義兄が見えました。

義兄嫁は玄関先で待ち、

面会は施設から 2人のみ との決まりがあり、
姪と義兄が二階の姑の部屋へと車椅子を借りて、
上がって行きました。

その間待つ 義兄嫁と話すことができました。

現在の義兄は、

要介護2になる前から 歩行器を3台借りていて、

しかし筋力が落ちることを嫌い車椅子を 検討もしていない、

平衡感覚も落ち 突然バタンと倒れたり、

お下も 間に合わず 紙パンツを使い始めて1年ほど、


身体が、自由に動けない苛立ちを義兄嫁にぶつけ、

突然切れて、
入浴中も大きな声で「〇〇は何処にある?」とか、

寝ていても、「〇〇はどうなった?」とか 妻を気づかうどころか 未だ横暴な部分は変わらず、

「小さな頃からこんな気質だったのですか?」と、夫に尋ねる義兄嫁。

「俺は不幸な男だ お前はいいな」と、

「健康な私を恨むような発言なんていつもですし、
病気前から 横暴で、奴隷のような日々でしたし、

離婚を考えたことも度々ありましたが、

子どもの為に我慢し続け、
今に至り、
私の人生何だったの?
とも思います、、」


私から したら、

「我慢すること無いわよ どうしてここまで我慢し続けたの?」と、友になら 質問できるのですが、
さすがに兄嫁には、
頷くだけでした。


面会時間を終え二階から降りてきて、フロアーに顔を出す前に、

私も夫も 「兄に会うのは怖い」と伝え
兄嫁も 合わないほうが良いだろう との判断から

ここで別れました。

義兄は姑に、
何度も打ち直し書き終えた数ページに及ぶ手紙を読ませて、
その場で捨てさせ、又は兄が持ち帰る(我々に読ませたくない)とも 聴いています。


恨みつらみが残る義兄の人生終盤、

自分の母に何を伝え 何を話したのか、

何よりも、
懸案だった 面会を終えられたこと に安堵した私達夫婦でした。




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