先輩Tさん、青春の門+NO.6
結局私はデザイン学校では勉強していない。
先輩のNさんを追って東京に行ったり、そのための資金を貯めるために北海道の酪農家や福岡での土方のバイトをしたことも、ほんとは何をしたいのかわからないから、いわば人生勉強だったかもしれない。
でもこのアルバイトがやっぱり面白かった。
北海道の酪農家は仕事先からバンバン電話して、受け入れてくれる農家を探したが、一番は札幌から一番近いところを条件にした。なるべく、旅費がかからないように。実際札幌についたときの私の持ち金は230円だった。これは当初の予定通りだったから。全然気にしていなかったが、問題は実践だった。
朝、4時半起床。朝飯の前に牛糞のかたずけ、搾乳。そしてやっと休憩と我々の朝飯が来るという具合。いや。きつかったのなんの、おまけにバイト代が超安価。4か月ほどでダウンしたの、男はつらいよの寅さんみたいだった。
その後福岡の友達のところから、まずは大濠公園ウエストでバイトをした。1週間はうどん屋、次の週は焼肉屋さんの繰り返しだった。焼肉屋のシェフに気に入られて休みにはごちそうになったりした。ポークチョッパとかほかの豚肉料理だった。超うまかった。でもその材料費はたぶんただではなかったかと思う。
その後は九州管内をあちこち土方で回った。数人のグループで集まったり、離散したりの繰り返しだったが、どこでも金廻はよかった。何より班場で暮らすので食費はタダ。仕事と寝泊まりだけだったので、金はたまった。時には休みの前に近くのキャバレーに大酒のみに連れて行ってもらったりした。
それでたまった百万円で東京に出た。一応デザインの勉強が目的だったが、やっぱり仲間との遊びとバイトに明け暮れた。でも、下宿で自分の手や足をモデルにデッサンの練習をしたり、ビートルズメンバーの似顔絵をかいたり、完全に独学ではあったが、やはり勉強はしていたかもしれない。
絵と書道は小学校の頃から得意だった。この素地がたぶん私をデザインの道へ導いたと思う。最初のテレビ局では一般社員として入社していたので、一般事務が仕事だった。ただ、デザイナーNさんが時々手伝いをしてくれと頼んだので、喜んで手伝っているうちに、この仕事面白いなと思いだしたのだった。
それで、Nさんが東京の会社に転職したのが、自分の進路を変えるきっかけになり、北海道、東京、福岡へのアルバイト兼デザイン勉強、仲間づくりと、人生勉強になったと思う。
そしてこの後地元に戻り、M印刷会社で最初の奥さんと出会ったことは以前書いた通り。そして本来目指していたものがわかり、デザイナーとして一本立ちすることができたのだと思う。
これからが最も楽しくなった私の人生だったのかな。 つづく。