人はいつかは死ぬのです
人は死ぬ、あたりまえだ(釈迦)
年寄りのぼやき
先日、柔道の古賀稔彦さん(53歳)ががんのために亡くなりました。
古賀さんは、バルセロナ五輪の71k級の金メダルリストです。直前にけがをしたにもかかわらず優勝しました。
日本国民に勇気と感動を与えました。
豪快な一本背負いが得意技で、「昭和の三四郎」と言われた名選手でした。
名選手でも病には勝てませんでした。
若い人が亡くなるのは悲しいことです。特に、親を残して先に逝くというのはやり切れません。
順番は守って欲しいのですが、時々狂います。
人は必ず死ぬのです
悲しいことですが、人は寿命が尽きたら天国(地獄?)に行きます。
人間の宿命です。
私は、後期高齢者(75歳)で、ここまで生きたことに感謝していますが、いつかお迎えが来ます。
20代30代、いや50代60代位まで、私自身は死というものは余り考えませんでした。
ただ、病気になるのが怖かったです。
最近は、死が徐々に忍び寄ってくると実感します。
また、まだまだ死なないという楽観も頭のすみにあります。
先日ブログの記事で、60歳位の女性の人(旦那さんを先に失くして一人身です)が、50歳から遺書を書いて毎年更新していると書いていました。
死を直面から向き合って生きているのですが、とても私にはできません。
逆に、私の友人(80歳位)は、若い頃は死の恐怖があったが今はそれが無くなったと言っていました。
死というのを、受け入れるようになったのでしょうか?
私の義理の母は、94歳で亡くなりました。直前までご飯を食べ、デイケア―に行くのを楽しみにしていました。
頭もしっかりして、足腰の衰えや少々のボケがある位でした。
ある朝、妻が母が死んでいると言ってきました。
見ると、ベッドで眠ったように亡くなっていました。かかりつけのお医者さんは、「自然死です。」と言われました。
大木が朽ちるように、自然に寿命が尽きるのは理想的な死に方だと思いました。
誰でも、病で苦しんで死にたくはありません。
偉人の死の名言集 Web検索
- 世の中は食うて稼いで寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりぞ(一休)
- だれでも死ななくちゃいけない。でも私は例外だと信じていた。なのに、なんてこった(ウイリアム・サローヤン)
- 死を待つ恐怖はただ一つ、それは明日がないということである(エリック・ホッファー)
- 人生は一歩一歩、死に向かっている(コユネイル)
- 人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる(坂口安吾)
- 生きるための唯一の方法は、自分がいつか死ぬことを忘れることだ(サマーセット・モーム)
- この世をばどりゃおいとまに せん香の煙とともに 灰左様なら(十返舎一九)
- 昨日まで人のことかと思いしが、俺がしぬのかそれはたまらん(蜀山人)
- 生涯をかけて学ぶことは、死ぬことである(セネカ)
- 死ぬ前に病気にならないとことを決めたよ。ぽっくり死ぬのが一番だ(ソルジェー二ツィン)
- 人の命なんて、心配しなくても、終わるときには無情に終わるもの(手塚治虫)
- 人生は旅行であって、死はその終焉である(トーマス・ブラウン)
- 生きてる兵士のほうが、死んだ皇帝よりずっと価値がある(ナポレオン・ボナパルト)
- 生まれるということは死ぬということの約束であって、死も格別驚くことではない(福沢諭吉)
- 死とは人生の続きであり、また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。死なないのです(マザー・テレサ)
- 人は死ぬ瞬間まで、もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている(武者小路実篤)
- 人はだれしも、自分自身の生涯を一人で生き、自分自身の死を一人で死ぬものです(ヤコブセン)
- ゼロの世界へ消えていくことでござる(やなせたかし)
- 虎は死して皮を残し、人は死して名を残す、保険に入っていれば金を残す(吉行淳之介)
- わが生涯に、一片の悔いなし(ラオウ)
- 終わった、何もかも・・・(あしたのジョー)
- 天国はすごくいいとこらしい、だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから(作者不明)
惚れた女が死んだ夜は
私の好きな曲でカラオケで歌います。
美空ひばりが死んだときの歌のようです。
小林旭が歌いますが、今回は作曲家の杉本真人が切々と歌ます。
すぎもとまさと 🎶惚れた女が死んだ夜は🎶「東京八重洲 居酒屋街」
わたしは福沢諭吉ですね、その後にやなせたかし、です。
ちなみに死んだら、天国も地獄も無いです、有るのは「無」だけです。
残された人間には何やらかにやら有るでしょうが、本人に待っているのは「無」それだけです。
わたしの家は、仏教ですが、わたし自身は神も仏も居ないと信じる人間です。
だって、死んだら「無」なんだから。
日本という国は、元々神道で、仏教なんて他所からやって来たものですよね、キリストも然り。
親父が75で死にました。
まあ、病気だったのですが。
それから余計に「死んだら無」と言うのを意識するようになりました。
いや、何書いてるんでしょうね、わたしは。
御無礼しました。
私も仏教です。同じように死んだら無と思いますが!なんとなく寂しいですね。
マザーテレサは、クリスチャンですが、死後の世界を肯定しています。
私の妻も輪廻思想で、あの世があると思っています。
死んでも魂が生き続ける、あの世があると思うことで、死ぬ恐怖心が和らぐのでしょう?
みんな死が怖いので、宗教などで死後の世界を肯定するのでしょう!
正直言って死については、余り考えたくないです。