OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

紙一重

2013年02月18日 | 書道・筆文字
文字がたんなる記号でおわることなく、人が書くことで、心が反映されていく。そうしたなかで、ペンより筆が相当な相棒になって、私の表現となる。桃太郎のお話しに似て、筆だけでなく、そこに墨や紙もついてきてくれる。

でも誰がそれを感じ取ってくれるのか。
今日は市内の小中学校のお習字や絵や工作の発表を見た。

お習字は技術が尊ばれるのはいたしかたない。
ただ、それだけで終わってしまっていいのだろうか、とあらためて思う。
技術でいうなら、元気溌剌のみの技術であって、小中レベルでは、多様な技術をも獲得している中国に遠く及ばないし。

感性をどう育てるか、ここが要なのだが、感性だけだと、今時のありがちな、それっぽい、で終わるのだ。

じゃ、修練か。これも、ほどほどでないと、いけないのだろう。
今時じゃなく、今までの書家像も、結局、技術のみみて公募展をかけぬけていくことになってきているのである。

もっと人間的な豊かさを書に表すことはできないのだろうか。
嘘はつけない。
嘘をつくのが苦手なのが書である。
他のジャンルよりよっぽど作品に心持ちがでる。

それが分かる感性は持っていたいのである。
子どもでも、お習字は上手く学ばなければ、一生の損になってしまうかもしれない。

書は、どちらにしろ、紙一重、の芸術であるのだけれど。


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2 コメント

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Unknown (美鼓)
2013-02-18 12:39:05
天の岩戸のような写真ですね。
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普遍 (小熊)
2013-02-19 00:39:03
美鼔さんは普遍的な価値を大事になさる。

これは、「川」である、という書家もでないとも限らない世の中である。

光の教会というのは安藤忠雄氏で、コンクリートの壁をクルスの型抜きして、十字の光が差し込む。いいね。
返信する

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