19日火曜、夜6時半からの、書のワークショップは、墨磨りが上手くなった、に違いない。
長い方は1時間磨った。
墨磨りは書の基礎ではない、のかもしれない。中国では墨を磨る方がどれほどいるのだろうか? 見かけるのが難しい。日本の教育現場でも、磨る行為は省かれ、書道セットの硯の多くは、プラスチックになってきた。
しかし、磨り方によれば、それは、書の基礎であるばかりでなく、身体活動の基礎力まで身についてしまうかもしれない、心の持ち方次第では参禅にも似る、と確信に近いものを感じている。
さて、担当の方にレジメをメール添付したら、余計なものまで添付してしまい、それごとレジメになって配布された。「回収しますか?」ときかれたが、「そのままで」とした。
表も裏も横も下もみんな自分である。
そして、その日のテーマである8人の「創」ができた。創造の「創」であった。短い時間にたいしたもんである。
そして私はレジメのポカで心に「創(きず)」を負った。
こころに絆創膏を貼って、「創」の原義を体感したのである。
次回は「青」をテーマに、線にこだわってみようと思っている。
4月16日火曜夜6時半~。
大塚・マスミ東京、マスミ道場にて。
長い方は1時間磨った。
墨磨りは書の基礎ではない、のかもしれない。中国では墨を磨る方がどれほどいるのだろうか? 見かけるのが難しい。日本の教育現場でも、磨る行為は省かれ、書道セットの硯の多くは、プラスチックになってきた。
しかし、磨り方によれば、それは、書の基礎であるばかりでなく、身体活動の基礎力まで身についてしまうかもしれない、心の持ち方次第では参禅にも似る、と確信に近いものを感じている。
さて、担当の方にレジメをメール添付したら、余計なものまで添付してしまい、それごとレジメになって配布された。「回収しますか?」ときかれたが、「そのままで」とした。
表も裏も横も下もみんな自分である。
そして、その日のテーマである8人の「創」ができた。創造の「創」であった。短い時間にたいしたもんである。
そして私はレジメのポカで心に「創(きず)」を負った。
こころに絆創膏を貼って、「創」の原義を体感したのである。
次回は「青」をテーマに、線にこだわってみようと思っている。
4月16日火曜夜6時半~。
大塚・マスミ東京、マスミ道場にて。
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