OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

 枯れ蓮

2013年11月03日 | 文化・芸術
枯れ蓮には人の世を重ねやすい。
そんなことを思わせたのは、日展、そして書道界、ひいては文化芸術の世界にまで蔓延している人間の業の深さである。
私には他人事にしてもいい話題であるが、そんな気分にはなれない。

また泥沼から抜け出して再生の大輪を咲かせてほしい。
まずは、徹底的に膿を出し切るしか信頼の道はないだろう。
この一か月、期待できないという声のある内部調査委員会の仕切りに注視していこう。

さて、そんなドロドロした芸術の闇の世界とはうって変わって、枯れ蓮の三渓園には、工芸作家たちが集まって、いい気が充満していた。

白倉さんの陶の狛犬が玄関まわりでお出迎え。作者がいい人すぎて、すっきりしすぎる部分がある。逆に、この方には、人間の業が必要か?
新潟からの建具屋さんまでいて、ここは木のぬくもりなのだが、ここは五十嵐さんの人としての温もりが上回っていた。アクセサリーといわず古代装身具という片桐さんはもともと文化人類学の学究のためネパールにいたとか。桃子の鴛の日本刺繡も深みが合ってよかった。
山本さんの運針のワークショップは、基礎を学ぶことの大事さを違う角度から体験したかったが日が合わず残念だった。

そして、中島さんの「国家珍宝帖」にある色名を当時の絹から再現し草木染めした「いにしえの色」のワークショップは、すばらしかった。
実作者であり、研究者である中島さんの誠実さ、これこそ貴重な日本の財産であると思う。
権威にこだわってきた方々には、見習ってほしいもんである。

中国の本をみながら、絹にもいろいろあることはわかったていたが、どんな違いがあるかはよくわからず。
ちょっとしっかり中島先生の話しが身についてはいないが、
綾は、二種以上の織柄があって、後染めして模様となるもの。絁は粗い平織りで日本では関東方面で税として納められていた。
羅は、言葉で再現できないが、織り方がちがうらしい。
そして私は、紫の根を椿の灰で煮て染めた「紫」の匂い袋をいただいた。

芸術文化の力は美しい。
いきいきと、作家もお客さんも輝いていた。
そう思える文化の日であった。
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