OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

2011年02月02日 | 書道・筆文字
漢字の部首の「月」は、夜に出る「月」だが、部首の「肉」には「月」も同時にあって、体の骨肉をイメージした「肉づき」と呼ばれている。
そして夜に出る「月」の方には、もう一つ、今は存在感を無くした「舟づき」が混じっている。「服」や「前(部首はりっとう)」などである。

そこまでは、いいが、旧活字ではそれぞれ、夜の「月」は3・4画目は右側をつけず。舟「月」は今の舟の最終画を取り除いた感じになるが、3・4画目はななめ点点とする。そして肉「月」は今の活字のように3・4画目をつける。となるようだ。

そうはいっても、筆文字だと、篆隷時代が終わると、そういうかき分ける区別は古典をみてもないようだ。漢字に限らないが、日常よく使うものは省略されたり、混同したりしても問題がなくなる。
江戸時代の候文の「候」は、なになに候なになに候って日常すぎて最後は「ゝ」になっちゃった。

さて、では、朋子ちゃんの「朋」はなんの「月」?
これはそれぞれ2つというか左右というか一対に、貝を重ねて連ねさげた形から来ているのだというのだから貝「月」にでもしたいもんだ。貝がらは財宝だったので金「月」か。いやいや財宝は人。だから仲間のことを「朋友」というんだ(ちょっとこじつけになっているか)。中国語では今でも友達を「朋友(ポンヨウ)」という。
さてさて、じゃ「青」はなんの「月」?
これも月の形をしているけど、今の漢字に直すと「丹」で、鉱物である。丹だけなら辰砂や朱砂の「あか」を意味するが、白丹や青丹があっての「青」は上に「生」があって、草色やセイという音を表した字。青も旧字の「」の方がまだわかりやすいのかもしれない。

だから「青」は「月」ではない。
楷書では「青」の「月」部の一画目は、抜かない。じゃなく、払わない、が正確か。学校でも。
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2 コメント

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宇宙!? (美鼓)
2011-02-05 02:30:45
お返事をいただき、感激です!!字を書く事に慣れすぎて、生まれ持った感覚が麻痺している事に恐怖を感じます。ひとつひとつの字を心から大切に書きたい。小熊先生のブログを読んでいると、もっと書のこと、字の成り立ちを知りたいという意欲が沸いてきます。こんな世界があったとは…
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木に登るⅡ (小熊)
2011-02-06 00:53:00
書道人口は減ったとはいえ、一般の方が知らない大家や、書や文字の研究者も含めてまだまだたくさんいます。地道に研究している方々のおすそ分けで私もいろんなことを学ばせてもらっています。
ただ、書とどう関わるか、これが難しい。
関わり方によってはすごい力を発揮するものだと感じています。
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