
朝から雨。
今日は木簡を10時から夜8時まで、磨っては書く、磨っては書く。
多少の講義をしたり、フィードバックをしたりはするが。
おまけに書くサイズは半紙である。
そんななかで、原寸大の竹簡にも実際書いてもらったが、全紙2分の1サイズ2枚だけ渡して一文字を臨書してもらう。
そこに表れた書がさまになっている。10人、みんな。
さまになっているといったが、ここが書家っぽく技術をみせるわけではなく、思わせぶりに飛沫がとぶわけではない。また、大衆に媚びようともしていない書なのである。
一般の方が真剣に筆と向き合ったとき、書はまだまだ輝く。
こんな書が書きたい、こんなものがいい、と思えるのである。
そこには木簡の魅力もあるのかもしれない。
気負うことなく自然な流れのなかに入れば、いい形になってくれるのだ。
日本では弥生時代の頃の中国出土の肉筆のお話しでした。
今日は木簡を10時から夜8時まで、磨っては書く、磨っては書く。
多少の講義をしたり、フィードバックをしたりはするが。
おまけに書くサイズは半紙である。
そんななかで、原寸大の竹簡にも実際書いてもらったが、全紙2分の1サイズ2枚だけ渡して一文字を臨書してもらう。
そこに表れた書がさまになっている。10人、みんな。
さまになっているといったが、ここが書家っぽく技術をみせるわけではなく、思わせぶりに飛沫がとぶわけではない。また、大衆に媚びようともしていない書なのである。
一般の方が真剣に筆と向き合ったとき、書はまだまだ輝く。
こんな書が書きたい、こんなものがいい、と思えるのである。
そこには木簡の魅力もあるのかもしれない。
気負うことなく自然な流れのなかに入れば、いい形になってくれるのだ。
日本では弥生時代の頃の中国出土の肉筆のお話しでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます