クリエイターズ・オブ・ザ・イヤーの8人のメダリストの中に、私に「こんなイメージで」と筆文字を書かせた方が入った。心から祝いたい。
賞というものに縁もないし信用もしないことが多いが、広告の賞は一般大衆の感性が後押ししてくれる。
ちなみに私の受賞歴は、小学校の時の校内水泳大会(田舎の小学校にあったその中でも水泳レベルの低い学校)の3位と高校の時の何かの美術展銀賞(その他大勢の部類である)しか覚えがない。
もうひとつ、ちなみに、お習字や書道で、校内でさえ金銀はおろか銅(赤)の紙も貼られたことがない。
お習字を習うこともなく、貼られたいとも思わなかったが、中学校の頃には、「もっといいものがある」と筆文字に対してわけのわからない希求があって、「俺はうまい」と勝手にうぬぼれていたところがある。いやいや、好きだったんだね。どこが、何が、ともわからぬままに。
技術を伴わぬまま、その頃より私にとって、書は心の中を表現できるアイテムだったような気がする。
だけど書は、心の中を表現するだけではなく、さまざまな場面で活用され日本文化を支えるもの。書は大きく学びたい。
賞というものに縁もないし信用もしないことが多いが、広告の賞は一般大衆の感性が後押ししてくれる。
ちなみに私の受賞歴は、小学校の時の校内水泳大会(田舎の小学校にあったその中でも水泳レベルの低い学校)の3位と高校の時の何かの美術展銀賞(その他大勢の部類である)しか覚えがない。
もうひとつ、ちなみに、お習字や書道で、校内でさえ金銀はおろか銅(赤)の紙も貼られたことがない。
お習字を習うこともなく、貼られたいとも思わなかったが、中学校の頃には、「もっといいものがある」と筆文字に対してわけのわからない希求があって、「俺はうまい」と勝手にうぬぼれていたところがある。いやいや、好きだったんだね。どこが、何が、ともわからぬままに。
技術を伴わぬまま、その頃より私にとって、書は心の中を表現できるアイテムだったような気がする。
だけど書は、心の中を表現するだけではなく、さまざまな場面で活用され日本文化を支えるもの。書は大きく学びたい。
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