OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

始皇帝

2015年10月27日 | 文化・芸術
黄土高原を行く車窓から、「広いな~」とつくづく感じたのは四半世紀前。
しかし、そんなのは点にすぎず、いくつもの国に分かれていたものを、全部統一した始皇帝。

天が動いているのが当たり前の頃で、宇宙からの地球を見ることもなく、今のPCやグーグルマップがあるわけでなく、始皇帝は天下統一を成し遂げた。
今でいうなら、地球一個は軽く統一した気分だろう。

宇宙的視点でなければ、広すぎる概念だと思う。今から見れば、あの頃の始皇帝は、宇宙人ではないのか、とさえ思う。


四半世紀前、二度ほど始皇帝が都を置いた咸陽も、兵馬俑も観てきた。
正直、もういいかな、とも思っていたが、

今日10月27日からはじまった東京国立博物館平成館「始皇帝と大兵馬俑」は、お先に観させていただいたが、思う他、いい展覧であった。

始皇帝が作った秦という統一国家はわずか数十年で漢に時代を譲る。
だが、秦という国そのものは、その500年以上前に建国されている。
そこから始皇帝までの、秦を中心とした時代の流れを見せてくれる展示は歴史好きにも、書の方々にもみてほしいところである。

石鼓は、歴史や文学や書道関係者なら有名なものだが、拓本しかみたことのない方はみてほしい一点。
だが、複製である。だが、本物とみてもいいほどなのだ。
一応、北京の故宮に本物はあるというが、故宮でみるものも、複製ではないか、とさえいわれるほどよくできているのでよくわからない。今回の石鼓は、違う所からの借りた複製なのだが。



上部がえぐられて、石臼として利用されていたことが分かる一点だが、石鼓は唐の詩人韓愈もうたい、現代では、国民党の蒋介石の石鼓移動大作戦(という用語はないが)と、時代に翻弄されてきた石鼓は、秦の統一の前の、戦国時代のもので周りに詩が刻されていて、「小篆」といわれる始皇帝の文字統一の前の、貴重すぎる「大篆」の遺品である。

ほかに装飾、食器などの工芸も見ごたえあるが、全体を通してビジュアルでみせてくれるので、理解が早い。

兵馬俑そのものが、時の兵士を真似た模型ではなく、始皇帝の宇宙観までみえてくるのが、今回の「大」がつく兵馬俑展である。
正確な兵馬俑の数はわからず、約8000体だといわれている。

冒頭写真は代々木からの日の出。これで充分広いなと思ったのだが、始皇帝が隣りにいたら、何と言っただろうか。
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