大正から昭和にかけて娯楽の聖地として賑わった新世界、付近の「てんのじ村」には日本全国各地から芸人たちが集住して、昭和20~30年代の最盛期には300人以上もの芸人が暮らしていました。あなたが好きだった、思わずマネをした、なつかしの大阪芸人達の思い出に浸る、こんなまち歩きはいかが?(あそ歩資料より)
2012年7月にそんなまちを歩きました。
新世界稲荷神社 新世界誕生と同時期に、商売繁盛や新世界の繁栄を願って造られました。
釣鐘屋本舗 明治33年(1900)、地元有志から四天王寺に大梵鐘が奉納され、その奉納記念に釣鐘の形を模した饅頭を、四天王寺の門前で売り出したのが「釣鐘饅頭」のはじまりです。
ギャラリー再開(非公開) 昭和28年(1953)に建築家・石井修氏の設計で純喫茶「再開」として建てられたものです。「再開」の美しさに惹かれて、往年の銀幕のスターたちもよく遊びに来ていたそうです。2006年12月には国の登録有形文化財と、なりましたが現在は喫茶店としての営業はしていません。
朝日劇場 明治43年(1910)創業の100年近い伝統と歴史を誇る大衆演劇専門劇場で、過去には曾我廼家鶴蝶、宮城まり子、ミヤコ蝶々、藤山寛美、ディック・ミネ、といった錚々たる大物役者を育てたことで非常に有名です。現在でも、歌あり、芝居あり、トークありの約3時間ものエンターテイメントショーが、連日繰り広げられています。
ジャンジャン横丁 正式名称は「南陽通商店街」。通天閣から遊郭に向かう客に向かって、鳴り物の三味線で「ジャンジャン」と呼び込みをやったのが、名前の由来といわれています。新世界の名物串かつ屋をはじめ、レトロな将棋場がならんでいます。
上方演芸発祥之地「てんのじ村記念碑」 この付近が直木賞作家・難波利三氏の小説で有名になった「てんのじ村」の舞台です。道頓堀・千日前・新世界などの演芸街に近かったため、最盛期には300人以上もの芸人が集住していた。戦災にあわなかったため、戦後も古い長屋が残っていましたが、阪神高速松原線の建設や再開発によって取り壊され、当時の面影は殆ど残っていません。記念碑は上方を代表する漫才作家秋田實の筆で、台座部分には「大入り」と描かれています。
通天閣 明治36年(1903)開催の第5回内国勧業博覧会会場の跡地に、明治45年(1912)にパリのエッフェル塔と凱旋門を模した、初代通天閣が建設されました。東洋一の高さを誇りましたが、昭和18年(1943)直下の映画館の火災により強度不足となり、軍需用鉄材として解体されました。現在の2代目通天閣は昭和31年(1956)に完成したもので、高さ103m。設計者は名古屋テレビ塔、東京タワーを手がけた内藤多仲です。
2012年7月にそんなまちを歩きました。
新世界稲荷神社 新世界誕生と同時期に、商売繁盛や新世界の繁栄を願って造られました。
釣鐘屋本舗 明治33年(1900)、地元有志から四天王寺に大梵鐘が奉納され、その奉納記念に釣鐘の形を模した饅頭を、四天王寺の門前で売り出したのが「釣鐘饅頭」のはじまりです。
ギャラリー再開(非公開) 昭和28年(1953)に建築家・石井修氏の設計で純喫茶「再開」として建てられたものです。「再開」の美しさに惹かれて、往年の銀幕のスターたちもよく遊びに来ていたそうです。2006年12月には国の登録有形文化財と、なりましたが現在は喫茶店としての営業はしていません。
朝日劇場 明治43年(1910)創業の100年近い伝統と歴史を誇る大衆演劇専門劇場で、過去には曾我廼家鶴蝶、宮城まり子、ミヤコ蝶々、藤山寛美、ディック・ミネ、といった錚々たる大物役者を育てたことで非常に有名です。現在でも、歌あり、芝居あり、トークありの約3時間ものエンターテイメントショーが、連日繰り広げられています。
ジャンジャン横丁 正式名称は「南陽通商店街」。通天閣から遊郭に向かう客に向かって、鳴り物の三味線で「ジャンジャン」と呼び込みをやったのが、名前の由来といわれています。新世界の名物串かつ屋をはじめ、レトロな将棋場がならんでいます。
上方演芸発祥之地「てんのじ村記念碑」 この付近が直木賞作家・難波利三氏の小説で有名になった「てんのじ村」の舞台です。道頓堀・千日前・新世界などの演芸街に近かったため、最盛期には300人以上もの芸人が集住していた。戦災にあわなかったため、戦後も古い長屋が残っていましたが、阪神高速松原線の建設や再開発によって取り壊され、当時の面影は殆ど残っていません。記念碑は上方を代表する漫才作家秋田實の筆で、台座部分には「大入り」と描かれています。
通天閣 明治36年(1903)開催の第5回内国勧業博覧会会場の跡地に、明治45年(1912)にパリのエッフェル塔と凱旋門を模した、初代通天閣が建設されました。東洋一の高さを誇りましたが、昭和18年(1943)直下の映画館の火災により強度不足となり、軍需用鉄材として解体されました。現在の2代目通天閣は昭和31年(1956)に完成したもので、高さ103m。設計者は名古屋テレビ塔、東京タワーを手がけた内藤多仲です。