南海・阪急・阪神電車で京都・大阪・神戸・堺を巡るまち歩きを関西あそ歩と言います。(以下各々の説明文は関西あそ歩の資料からです)
明治18年(1885)開業の南海電鉄の駅と平成5年(1993)開業の地下鉄堺筋線の駅が向かい合っています。南海天下茶屋駅は阪堺鉄道が難波~大和川 (現在は廃線)間を最初に開業したさいに設置されたもので非常に古い歴史を持っています。今回のまち歩きは、2011年10月上旬この駅からでした。

~達人たちの世界をたずねて~
山女庵(やまめあん)三重県出身の三池章義さんが昭和56年(1981)に鳥獣料理(フランスではジビエと呼ばれる)のお店として始めました。春は山菜、夏は天然うなぎや鮎、秋は数種類のきのこ、冬は鹿やイノシシ‥店主自ら山に入り、川を渡り、山小屋で獣たちをさばきます。普段は静かな語り口の三池さんですが、いったん山や川に入ると俊敏な動きとなって自然と一体化されるとか。


天下茶屋あられ 滋賀県蒲生町生まれの中島満男さんは、 19歳で大阪に出てきて西成のおかき屋で丁稚奉公の下積み時代を経て独立しました。備長炭を使い春夏秋冬手焼きのおかきを作って40数年!「焼いても焼いても満足のいくものがつくれまへん、生涯おかきの勉強ですわ」とのこと。


八絛工房 東映系の劇場(道頓堀パラスなど)で映画看板の制作を引き受ける工房です。先代・ 八絛孝昌さんは20歳の頃から手描きの映画看板ひとすじでした。時代の変化とともに映画館から手描き看板は消えつつありますが、今も長男の八絛祥治さんが父の意思を守ろうと頑張っています。




天下茶屋跡 豊臣秀吉が大阪城から住吉大社や堺へと往来すると、必ずこの界隈の茶店に立ち寄ったことから天下人の茶屋‥「天下茶屋」と呼ばれるようになりました。

聖天山正圓寺 地元では「聖天さん」と親しみを込めて呼ばれています。西成区と阿倍野区の境界にあり春は桜見物で賑わいます。


天神ノ森天満宮 応永年間(1394~1428)に京都・北野天満宮の分霊を奉祀したことに始まるといいます。境内には樹齢650年以上というクスノキの大樹があって室町末期の茶人武野紹鴎(じょうおう)が茶屋をつくり、風月を友に静かに暮らしたので「紹鴎の森」とも呼ばれました。彼の侘び茶は弟子の千利休へと引き継がれて、歴史に名を残しました。

境内には安産祈願に御利益のある「子安石」が置かれていて、豊臣秀吉が淀君が懐妊のときに安産祈願したと伝えられています。

明治18年(1885)開業の南海電鉄の駅と平成5年(1993)開業の地下鉄堺筋線の駅が向かい合っています。南海天下茶屋駅は阪堺鉄道が難波~大和川 (現在は廃線)間を最初に開業したさいに設置されたもので非常に古い歴史を持っています。今回のまち歩きは、2011年10月上旬この駅からでした。

~達人たちの世界をたずねて~
山女庵(やまめあん)三重県出身の三池章義さんが昭和56年(1981)に鳥獣料理(フランスではジビエと呼ばれる)のお店として始めました。春は山菜、夏は天然うなぎや鮎、秋は数種類のきのこ、冬は鹿やイノシシ‥店主自ら山に入り、川を渡り、山小屋で獣たちをさばきます。普段は静かな語り口の三池さんですが、いったん山や川に入ると俊敏な動きとなって自然と一体化されるとか。


天下茶屋あられ 滋賀県蒲生町生まれの中島満男さんは、 19歳で大阪に出てきて西成のおかき屋で丁稚奉公の下積み時代を経て独立しました。備長炭を使い春夏秋冬手焼きのおかきを作って40数年!「焼いても焼いても満足のいくものがつくれまへん、生涯おかきの勉強ですわ」とのこと。


八絛工房 東映系の劇場(道頓堀パラスなど)で映画看板の制作を引き受ける工房です。先代・ 八絛孝昌さんは20歳の頃から手描きの映画看板ひとすじでした。時代の変化とともに映画館から手描き看板は消えつつありますが、今も長男の八絛祥治さんが父の意思を守ろうと頑張っています。




天下茶屋跡 豊臣秀吉が大阪城から住吉大社や堺へと往来すると、必ずこの界隈の茶店に立ち寄ったことから天下人の茶屋‥「天下茶屋」と呼ばれるようになりました。

聖天山正圓寺 地元では「聖天さん」と親しみを込めて呼ばれています。西成区と阿倍野区の境界にあり春は桜見物で賑わいます。


天神ノ森天満宮 応永年間(1394~1428)に京都・北野天満宮の分霊を奉祀したことに始まるといいます。境内には樹齢650年以上というクスノキの大樹があって室町末期の茶人武野紹鴎(じょうおう)が茶屋をつくり、風月を友に静かに暮らしたので「紹鴎の森」とも呼ばれました。彼の侘び茶は弟子の千利休へと引き継がれて、歴史に名を残しました。

境内には安産祈願に御利益のある「子安石」が置かれていて、豊臣秀吉が淀君が懐妊のときに安産祈願したと伝えられています。
