1939年大阪道頓堀に生まれる。29歳で渡米、肉体労働をしながら各地を放浪する。帰国後長友啓典と共にデザイン事務所「K2」を設立。日本のグラフィックシーンを席巻する。
作家、演劇人、詩人、舞踊家、ミュージシャンとの交流を深め、 ジャンルの垣根を飛び越えてこれまでに1,000回以上のライブペインティングを開催。
阪神淡路大震災で被災した神戸に、ライブペインティングや、仮設商店の看板作製などで何度も訪れる。その後も継続的に、被災地に赴いて絵でできる活動を続けている。
81歳になった今もその手は止まらず精力的に制作を続け、 現在は人が捨ててしまった廃材を使った新シリーズに取り組んでいる。 (黒田征太郎展パフレットより)
最終日(10月31日(日))前日の土曜日に行って来たが、最寄り駅大阪メトロ中央線阿波座駅の最寄り出入口 ⑧ への通路の壁面が大きな絵本になっていた。これは黒田征太郎が塗り絵の原稿を地域の小学生に提案し、小学生達が色を付けたようだ。
黒田征太郎に付いてはよく知らなかったが展示された夥しいそれらの作品から、「絵をかく。ただカキタイから。」という黒田征太郎の迸る思いが伝わってくる。
阿波座駅構内出入口 ⑧への通路の絵本‥通路は曲がったり小さく上がったり下がったりと変化に富み面白い絵本になっている。
阿波座駅構内出入口⑧方向へ歩く














⑧出入口‥府立江之子島文化芸術創造センターへは、西へ歩いて2~3分で建物は直ぐ見えてくる。

作家、演劇人、詩人、舞踊家、ミュージシャンとの交流を深め、 ジャンルの垣根を飛び越えてこれまでに1,000回以上のライブペインティングを開催。
阪神淡路大震災で被災した神戸に、ライブペインティングや、仮設商店の看板作製などで何度も訪れる。その後も継続的に、被災地に赴いて絵でできる活動を続けている。
81歳になった今もその手は止まらず精力的に制作を続け、 現在は人が捨ててしまった廃材を使った新シリーズに取り組んでいる。 (黒田征太郎展パフレットより)
最終日(10月31日(日))前日の土曜日に行って来たが、最寄り駅大阪メトロ中央線阿波座駅の最寄り出入口 ⑧ への通路の壁面が大きな絵本になっていた。これは黒田征太郎が塗り絵の原稿を地域の小学生に提案し、小学生達が色を付けたようだ。
黒田征太郎に付いてはよく知らなかったが展示された夥しいそれらの作品から、「絵をかく。ただカキタイから。」という黒田征太郎の迸る思いが伝わってくる。
阿波座駅構内出入口 ⑧への通路の絵本‥通路は曲がったり小さく上がったり下がったりと変化に富み面白い絵本になっている。
阿波座駅構内出入口⑧方向へ歩く














⑧出入口‥府立江之子島文化芸術創造センターへは、西へ歩いて2~3分で建物は直ぐ見えてくる。
