カメラ大好きおばあちゃん パート2

写真を撮るのが大好きな、おばあちゃんのブログです。
(パート1はブックマークに登録しました‥よろしくお願いします)

今池水みらいセンター(下水処理場)横の 遊歩道 虹の広場 へ散歩がてらに‥

2022年12月29日 | 日記
2022年も今日を含めて残り3日になりました。先日大阪ではコロナ感染者が1万人を東京では2万人を超えても行動
制限をしない状態が続き、万博公園の太陽の塔が真っ赤にライトアップされた。
加えて来春にはコロナはインフルエンザと同等の5類に引き下げる検討に入ったようです。5類に移行すると今迄
のように全額公費で負担する法的根拠がなくなり、自己負担が生じる通常の保険診療となります。
来年は私の干支の兎ですがどんな1年になるのか何だか不安です。

ここはサクラがメインの場所なのでこの時期写真撮るには何もないだろうと、期待はせず取り敢えずカメラ持参で
出かけました。
処がたまにしか見かけないカワセミに出合え‥しかも何時もより近い場所に止まっていたので、初めて私のカメラ
で何とかほぼまともに撮ることが出来ました‥(^_^;)
その他遊歩道やその行き帰りで目に留まった光景を撮りました。











ブーツを履いてる‥











第2弾マイナポイントの申請手続きを市役所特設窓口で完了‥(^^♪

2022年12月19日 | 日記
第1弾は私のスマホにはマイナポイントアプリがなくパソコンにはカードリーダーもなく、対象のキャッシュレス決済
サービスの準備も出来てなかったのでパスしました。
(普段利用しているスーパーの電子マネーはマイナポイントに対応していない)

今回はキャッシュレス決済練習のためパソコン教室でPayPayの使い方を近くのスーパーへ出向き、 チャージの仕方か
らレジでの決済の方法まで手取り足取りで教えて頂き決済サービスにはPayPayがありました。
マイナンバーカードは身分証明書代わりに7年前に取得済み‥また健康保険証としての利用申し込みは2~3年前に市役
所で済ましていました。このような状態でマイナポイントを申請できるのか市役所の特設窓口へ行きましたが、担当の
若い女性の方は親切丁寧に対応して下さり最大20,000ポイント貰えることになりました‥(^_^)v
スマホで決済というのが何だか面映ゆく慣れてないのでつい現金で払ってしまう‥娘にどんどん使わなあかんでレジの
人は丁寧に扱ってくれるからと‥<(_ _*)>

プチ遠出で當麻寺へ行ったときにいいお守りがありましたので‥


我が家のスノーマン‥ローソクと身体の明るさはランダムに濃くなったり薄くなったりします。


最後に心療内科医 海原純子の新・心のサプリ掲載日は勘違いしてまして毎週日曜日でしたので訂正します。

心療内科医 海原純子 新・心のサプリ「ゆとりがないと‥」

2022年12月13日 | 日記
毎日新聞で毎週日曜日に掲載されます。日にちは記録するのを忘れましたが11月初めではなかったかと?

集合住宅のエレベーターから降りる時、操作盤の開ボタンを押し目でお先にと合図してくれる方がいる。荷物が多い時など
特に助かるのでちょっとうれしくて気持ちが和む。
そんな時は、軽く感謝の気持ちを伝えて降りるのだが、時には誰かが開ボタンを押して待っていても、全く気にも留めず当
たり前のように降りていく人もいる。
確かに別に頼んだわけでもなく扉を開けているのだから、その人の勝手ということもあるだろうが、先に降りることも出来
るのに周りの人が慌てずに降りられるようにボタンを押して、開けてくれている配慮に周りの人は助かっているといえる。
そんなことはどうでもいいという意見はあるかもしれないが、では無頓着な人とそうでない人の違いは、どんなところにあ
るのだろうと思った。
配慮に気がつく人と無頓着な人はどう違うのかと観察してみた。年齢や性別では、なさそうだった。男性でも女性でも高齢
でも若くても無頓着な人はいる。
まず比較的若い世代ではスマホを見ながらエレベーターに乗り、ボタンを押している人がいても気がつかず降りていく傾向
がある。いつも誰かがドアを開けてくれるのが当たり前になっているような立場の人なのかなあ、と思われる人もいる。人
のためにドアを開けるなどしたことがないのかもしれない。
というわけで、今のところ無頓着な人というのは、考えごとやスマホで頭がいっぱいでゆとりがなくなり、他人がしてくれ
ていることに気がつかない場合、いつも人がしてくれているから当たり前になり、他人がしてくれてもそれが当然だと思う
ようになる場合、他人のために何かちょっとした配慮などをした経験がない場合などがあるのかなという気がした。
後から来る人のためにちょっとドアを開けて待っていてくれたり、エレベーターの開ボタンを長押しして先に降ろしてくれ
たりするようなことは、日常のほんのささいなどうでもいいようなことかも知れない。
ただ、そのささいなことで私は一日がいい気分で過ごせたりするのだ。なぜそんなことでいい気分になるのかというとそれ
は単にドアを開けたり開ボタンを押してくれたりしたから身体的に楽だったということではなく、そうした行動をしてくれ
る人の心のゆとりを感じてうれしく思うからなのだ。
人の配慮に気がつかず当たり前な人が増えたら荒んだ社会になるだろう。長引く経済的な困難や先の見えない不安は心のゆ
とりを失わせる。しかし逆にちょっとした人への配慮をすることがゆとりを育てる力ににもなることを忘れたくない。

この記事が目に留まりUPすることにしたのは、私自身が同じような経験をし同じように考えていたからです。