台風6号が発生し...
宮古島へ向かっている模様...明日のお昼頃には強風に
こんなに快晴で
あっついのに...
ホントに台風来るんだろうか...
確かに...涼しい風が吹いてる...嵐の前の静けさか
上の写真は宮古島市の市役所...元の北市場から...
西辺(ニシベ)地区へ向かう急カーブの角に建てられているもので
交通安全の表示で注意を呼び掛ける看板です
僕が幼稚園児くらいからあったので
もう30年以上建っているかなぁ...
今では...色んな立て看板や雑木で見えにくくなってるけど...
僕ら鼻垂れ小僧軍団には...ある意味
集合場所の目印だった
今では学校
団地もでき道路もきれいになってるが...
僕らが幼い頃は...豚小屋とドブ川で臭く...畑しかなかったし
それに
昔の防空壕跡であろうと思われるのがアチコチにあった
ある意味不気味な所だった...
なぜか...この看板から先は恐い所という少年たちのイメージだ
とは言っても...興味関心の高い少年軍団は...なぜかスイカ
や野イチゴ
それにトマトをこっそりちょうだいしに行く場所でもあった


その看板の近くに“宮古駒(コマ)”を造っている店がある...
大和井(ヤマトガー)の近くにあります...
僕のブログの『なんだこの輝き!』(宮古の湧き水)に紹介
店はいっつも暗いしドアも閉まってるけど...
話はズレましたが...その宮古駒で思い出す少年がいる
僕の中学時代の同窓生(高校から逢ってない...)
その少年は...いつも宮古駒を白い体育ズボンのポケットに入れ
それも5~6個くらい
少年軍団が遊んでいる場所を転々とし
宮古駒で賭けをするギャンブラーだったのだ
僕らの少年時代は...
男の子はコマかビー玉(僕らはメダマと言っていた)
女の子はオハジキかゴム飛び...が定番だった
そのコマを“円だし”と言ってケンカ駒をする遊びです...コマを回しながら円から相手のコマを出したらコマをもらえるゲーム...今考えたらすっごく危険な遊び
...釘がものすごく尖ってて...それを円の中にたくさんあるコマめがけて投げていた
少年たちは毎日
雨が降ろうが風が吹こうが夕方のテレビ番組“ヒョコリヒョウタン島”が出るまで遊びほうけていた
...テレビもNHKだけで...しかもモノクロだったんだ
そのコマの遊び“円だし”をアチコチ転々として回ってくるのが
僕の友達...駒ギャンブラーだ
彼は至る場所で円だしが行われていることを知ってて...
賞金稼ぎ
ならぬ
駒稼ぎ
をするのだ...
つまり...多くの駒を持ってる少年は羨望の眼差しを浴びていた
勝ち気な僕らは何度も駒ギャンブラーに挑戦した
何度も何度も挑戦したが勝率では勝てなかった
駒ギャンブラー
僕らは彼にニックネームを付けていた...
彼のニックネームは
だっきょうプリチンチン
なぜそういうあだ名がついたのか分からないが...
...今思えば恐ろしいあだ名...
あの頃は“ニックネーム(あだ名)”は当たり前で...変てこな名前でもケンカはしなかったし...友達をバカにすることもなかった...もちろん先輩(年上)との上下関係のイジメはあったけど...友達同士は助け合っていた
そんな良き少年時代
70年代
80年代を過ごせた僕らは幸せだったのかもしれない
どうしてるかなぁ
だっきょうプリチンチン
宮古島へ向かっている模様...明日のお昼頃には強風に

こんなに快晴で

ホントに台風来るんだろうか...

確かに...涼しい風が吹いてる...嵐の前の静けさか

上の写真は宮古島市の市役所...元の北市場から...
西辺(ニシベ)地区へ向かう急カーブの角に建てられているもので


僕が幼稚園児くらいからあったので

もう30年以上建っているかなぁ...
今では...色んな立て看板や雑木で見えにくくなってるけど...
僕ら鼻垂れ小僧軍団には...ある意味


今では学校

僕らが幼い頃は...豚小屋とドブ川で臭く...畑しかなかったし
それに



なぜか...この看板から先は恐い所という少年たちのイメージだ

とは言っても...興味関心の高い少年軍団は...なぜかスイカ





その看板の近くに“宮古駒(コマ)”を造っている店がある...
大和井(ヤマトガー)の近くにあります...


店はいっつも暗いしドアも閉まってるけど...
話はズレましたが...その宮古駒で思い出す少年がいる

僕の中学時代の同窓生(高校から逢ってない...)
その少年は...いつも宮古駒を白い体育ズボンのポケットに入れ

それも5~6個くらい
少年軍団が遊んでいる場所を転々とし
宮古駒で賭けをするギャンブラーだったのだ

僕らの少年時代は...



そのコマを“円だし”と言ってケンカ駒をする遊びです...コマを回しながら円から相手のコマを出したらコマをもらえるゲーム...今考えたらすっごく危険な遊び


少年たちは毎日


...テレビもNHKだけで...しかもモノクロだったんだ

そのコマの遊び“円だし”をアチコチ転々として回ってくるのが

僕の友達...駒ギャンブラーだ

彼は至る場所で円だしが行われていることを知ってて...




つまり...多くの駒を持ってる少年は羨望の眼差しを浴びていた

勝ち気な僕らは何度も駒ギャンブラーに挑戦した

何度も何度も挑戦したが勝率では勝てなかった

僕らは彼にニックネームを付けていた...
彼のニックネームは


なぜそういうあだ名がついたのか分からないが...
...今思えば恐ろしいあだ名...

あの頃は“ニックネーム(あだ名)”は当たり前で...変てこな名前でもケンカはしなかったし...友達をバカにすることもなかった...もちろん先輩(年上)との上下関係のイジメはあったけど...友達同士は助け合っていた

そんな良き少年時代



どうしてるかなぁ

