『アフリカのサイを守れ~続く苦難と成功の道(後編)
アフリカ各地で紛争や内戦が多発した1960年代以降、クロサイとシロサイは、
政局の混乱に乗じた大規模な密猟の犠牲になってきた。クロサイは10万頭から
2410頭に激減。2200頭いたシロサイの亜種キタシロサイもほぼ姿を消した。
しかし、絶望的な危機の中、保護に取り組みは決して途切れることなく、
続けられた。WWFにとって一つの原点ともいえるサイ保護活動。
前回に続き、その軌跡を追う―
「絶滅の縁から」
東アフリカを中心に壊滅的な状況が続く中、希望の火が灯されていたのは、
南アフリカ共和国だった。19世紀末、南アフリカは20頭あまりが
生き残るのみとなっていた、シロサイのもう一つの亜種ミナミシロサイを
手厚く保護し、1968年に1800頭、1998年には8000頭以上に回復させたのである。
100年におよんだこの努力はアパルトヘイト(人種隔離政策)をめぐりゆれ続けた
同国において成功した、輝かしい取り組みの事例として、世界の自然保護史に
刻まれることになった。
また、この成功は、遅れて展開されたクロサイの保護にも、重要な示唆を
もたらした。南アフリカでは、大規模な密猟が比較的少なく、野生動物を保護できる
環境と、海外からの支援を受け入れる体制が維持されていることを、
示していたからである。
ここで保護が進められた結果、1980年に630頭だった南アフリカのクロサイは、
97年までに1000頭以上に増加。隣国ナミビアがこれに続き、一度はクロサイが
激減したジンバブエ、ケニア、タンザニアでも1997年以降、活動が加速し、
数が微増し始めた。
そして2006年、全アフリカのクロサイは、3725頭まで回復した。
この小さいが確実な成果は、紛争で使う自動小銃や四輪駆動車で武装し、
国境や保護区の境を越えて進入する密猟者と時に命がけで戦ったれんジャーや
兵士たち、政情不安の中で保護政策を実現した人々、それを支え続けた世界の
人たちの支援が、もたらしたものだった。
「続く挫折と成功の道」
WWFも1964年の設立直後から、サイの保護活動を開始した。その最初の
試みとして、ウガンダでの密猟防止活動を展開。以後、未整備だった保護区の
新設や改善に重点を置き、欧米の研究機関の協力を仰ぎながら、サイの生息国に
おける調査やレンジャーの育成、管理計画の策定、保護区のパトロール活動を
支援してきた。WWFがこれらのプロジェクトに充当した、世界各国からの寄付は、
活動の初期にあたる1965年から3年間だけで14万ドル以上にのぼった。
この実績は保護のノウハウや経済的余裕を欠いた国や地域の活動を支え、
後に激減し保護区以外ではほとんど生きられなくなったサイを守る上での
大切な拠点となる。
サイ角の密猟を食い止める活動も重要な柱になった。
WWFは、1971年に実現した、絶滅のおそれのある野生動植物の取引を規制する
「ワシントン条約」の発効を強力に促進。さらに、従来は無かった新しい活動と
して、野生動植物の取引を国際的に監視する「トラフィック・ネットワーク」を
設立し、過剰な流通と需要を抑えることで、現地アフリカの密猟に圧力をかける
取り組みを展開した。
それでも、得られた成果が十分だったわけではない。密猟や密輸は跡を絶たず、
過去にWWFがウガンダやスーダン、コンゴ民主共和国で
傾けてきた保護の努力は、いずれも紛争の勃発により無に帰した。
2006年には、カメルーンのクロサイ亜種個体群がついに姿を消
キタシロサイも紛争の続くコンゴ民主共和国内に4頭が残るのみ、
という絶望的な報が流れた。いずれもWWFが長年、保護を目指してきた
個体群である。
活動は現うまく行っている地域とて、一たび動乱は起きれば、
どうなるか分からない。内戦の武器が密輸に使われ、象牙やサイ角が売られて、
新たな武器が購入される悪循環は、今もアフリカが抱える紛争や貧困などの
問題と根強く結びついているからだ。
課題は多く、道は遠い。それでも、ここまでの取り組みは、前に進むための
確かな教訓を残してきた。それは、諦めないこと。歩みを止めないことだ。
「野生の大陸」はこれからも、私たちの挑戦の場であり続ける。(WWFマガジン)
アフリカの紛争の原因は貧困。
先進国の企業が支配するプランテーション(農園)には換金できる植物が
植えられている。その植物で地元の人が潤うことはなく、わずかなお金で
土地を手放した人々は、食物を栽培することもできず飢えている。
そのプランテーションでできる植物は、先進国の人々の口へ、安価な値段で
入っていく。
外国からの輸入品が、国産の地元の野菜より安いという矛盾。
「人件費が安いから」「仕事ができて喜んでるよ」・・とか
無知な私は話したりしていました。
輸送費もかかる外国からの輸入品なのに、その安さがおかしいとさえ思わない
鈍感な私でした。
安い野菜を作るために、多くの農薬を使い生産量を上げる、人件費を使わない。
チョコレートの原料であるカカオを作るために、子ども達を買う(人身売買)こと
さえ行なっているプランテーションもあるそうです。
『フェアトレード』安定した適正価格で買い取る。
今、私たちが買う安価なものは、すべてがフェアなものではないとは
言えないかもしれませんが、でもおかしいって思う値段の物もあるはず。
地産池消、地元のものを地元で消費する。
すばらしい考えだと思うのです。
地元で手に入らないものは、適正な値段で買う。
安いチョコレートは、助かるけれど・・その裏で泣いてる人々がいる。
自分さえ良ければいいのか。
アフリカ各地で紛争や内戦が多発した1960年代以降、クロサイとシロサイは、
政局の混乱に乗じた大規模な密猟の犠牲になってきた。クロサイは10万頭から
2410頭に激減。2200頭いたシロサイの亜種キタシロサイもほぼ姿を消した。
しかし、絶望的な危機の中、保護に取り組みは決して途切れることなく、
続けられた。WWFにとって一つの原点ともいえるサイ保護活動。
前回に続き、その軌跡を追う―
「絶滅の縁から」
東アフリカを中心に壊滅的な状況が続く中、希望の火が灯されていたのは、
南アフリカ共和国だった。19世紀末、南アフリカは20頭あまりが
生き残るのみとなっていた、シロサイのもう一つの亜種ミナミシロサイを
手厚く保護し、1968年に1800頭、1998年には8000頭以上に回復させたのである。
100年におよんだこの努力はアパルトヘイト(人種隔離政策)をめぐりゆれ続けた
同国において成功した、輝かしい取り組みの事例として、世界の自然保護史に
刻まれることになった。
また、この成功は、遅れて展開されたクロサイの保護にも、重要な示唆を
もたらした。南アフリカでは、大規模な密猟が比較的少なく、野生動物を保護できる
環境と、海外からの支援を受け入れる体制が維持されていることを、
示していたからである。
ここで保護が進められた結果、1980年に630頭だった南アフリカのクロサイは、
97年までに1000頭以上に増加。隣国ナミビアがこれに続き、一度はクロサイが
激減したジンバブエ、ケニア、タンザニアでも1997年以降、活動が加速し、
数が微増し始めた。
そして2006年、全アフリカのクロサイは、3725頭まで回復した。
この小さいが確実な成果は、紛争で使う自動小銃や四輪駆動車で武装し、
国境や保護区の境を越えて進入する密猟者と時に命がけで戦ったれんジャーや
兵士たち、政情不安の中で保護政策を実現した人々、それを支え続けた世界の
人たちの支援が、もたらしたものだった。
「続く挫折と成功の道」
WWFも1964年の設立直後から、サイの保護活動を開始した。その最初の
試みとして、ウガンダでの密猟防止活動を展開。以後、未整備だった保護区の
新設や改善に重点を置き、欧米の研究機関の協力を仰ぎながら、サイの生息国に
おける調査やレンジャーの育成、管理計画の策定、保護区のパトロール活動を
支援してきた。WWFがこれらのプロジェクトに充当した、世界各国からの寄付は、
活動の初期にあたる1965年から3年間だけで14万ドル以上にのぼった。
この実績は保護のノウハウや経済的余裕を欠いた国や地域の活動を支え、
後に激減し保護区以外ではほとんど生きられなくなったサイを守る上での
大切な拠点となる。
サイ角の密猟を食い止める活動も重要な柱になった。
WWFは、1971年に実現した、絶滅のおそれのある野生動植物の取引を規制する
「ワシントン条約」の発効を強力に促進。さらに、従来は無かった新しい活動と
して、野生動植物の取引を国際的に監視する「トラフィック・ネットワーク」を
設立し、過剰な流通と需要を抑えることで、現地アフリカの密猟に圧力をかける
取り組みを展開した。
それでも、得られた成果が十分だったわけではない。密猟や密輸は跡を絶たず、
過去にWWFがウガンダやスーダン、コンゴ民主共和国で
傾けてきた保護の努力は、いずれも紛争の勃発により無に帰した。
2006年には、カメルーンのクロサイ亜種個体群がついに姿を消
キタシロサイも紛争の続くコンゴ民主共和国内に4頭が残るのみ、
という絶望的な報が流れた。いずれもWWFが長年、保護を目指してきた
個体群である。
活動は現うまく行っている地域とて、一たび動乱は起きれば、
どうなるか分からない。内戦の武器が密輸に使われ、象牙やサイ角が売られて、
新たな武器が購入される悪循環は、今もアフリカが抱える紛争や貧困などの
問題と根強く結びついているからだ。
課題は多く、道は遠い。それでも、ここまでの取り組みは、前に進むための
確かな教訓を残してきた。それは、諦めないこと。歩みを止めないことだ。
「野生の大陸」はこれからも、私たちの挑戦の場であり続ける。(WWFマガジン)
アフリカの紛争の原因は貧困。
先進国の企業が支配するプランテーション(農園)には換金できる植物が
植えられている。その植物で地元の人が潤うことはなく、わずかなお金で
土地を手放した人々は、食物を栽培することもできず飢えている。
そのプランテーションでできる植物は、先進国の人々の口へ、安価な値段で
入っていく。
外国からの輸入品が、国産の地元の野菜より安いという矛盾。
「人件費が安いから」「仕事ができて喜んでるよ」・・とか
無知な私は話したりしていました。
輸送費もかかる外国からの輸入品なのに、その安さがおかしいとさえ思わない
鈍感な私でした。
安い野菜を作るために、多くの農薬を使い生産量を上げる、人件費を使わない。
チョコレートの原料であるカカオを作るために、子ども達を買う(人身売買)こと
さえ行なっているプランテーションもあるそうです。
『フェアトレード』安定した適正価格で買い取る。
今、私たちが買う安価なものは、すべてがフェアなものではないとは
言えないかもしれませんが、でもおかしいって思う値段の物もあるはず。
地産池消、地元のものを地元で消費する。
すばらしい考えだと思うのです。
地元で手に入らないものは、適正な値段で買う。
安いチョコレートは、助かるけれど・・その裏で泣いてる人々がいる。
自分さえ良ければいいのか。