いち子ばーばのお針箱Ⅱ

昭和一桁のばーばが、虜になったウクライナ刺繍を主に、エッグ・アートなどの作品をご紹介して居ります

初めての人形

2014年03月21日 | 昔のはなし

散歩道で見る椿です直径が20センチ近くの大輪です

 

 

刺繍が進まないので又古い写真です

お正月に祖父の家に行った時に頂いた

布製の抱き人形

大きな目のこんな人形が戦後も暫くありましたが

今は見かけませんね

 

夏服を着てポーズをとって

お正月に貰った人形を抱いて

人形に負けないほどに目を開いて

 

長年使った目は今は半分の

大きさになってしまいました

 

 

 

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ハイ・ポーズ、あのね、あーア・・・・・

2014年02月05日 | 昔のはなし

福寿草はお天気が大好き・・・・

 

 

昔の昔のばーばです

母が編んだあったかいコートを着て

碑文谷公園で「ハイ・ポーズ」

ご機嫌でしたが・・・・・

 

 

「あのね・・・」お父さんは撮影に夢中です

寒い日でした・・・・・

 

あーあ、やっちゃったー お漏らし・・・・

父は箱型のカメラを操作するのに夢中でした

この時のパンツがジワーっと暖かくなった感覚を

この写真のお陰?で、今も覚えています

 

 

 

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今日はポツダム宣言を受諾したと知らされた日です

2012年08月15日 | 昔のはなし

暑い盛りが好きな百日紅です

 

 

今日は終戦の日

毎年同じ事を書いて居ると思いながら

戦争の事を忘れないために又書いてみます

何時も太陽が照るのですが

今日の東京の空は曇っています

倉敷の動員先で天皇陛下の放送が有ると

工場の広い作業場に集められて聞いた放送は

音が悪く何を話されたか判りませんでした

工場長は日本が負けたとは言わず

ポツダム宣言を受諾したと話しました

ポツダム宣言の内容の説明は無かったので

只戦争は終わったという嬉しさだけが有りました

東京に帰れるという嬉しさだけがあったのを

覚えています

空襲警報もならなくなったのです

空襲警報が鳴るたびに工場から避難した

お寺の境内に咲いて居た松葉ボタンの

鮮やかな色を覚えています

夏になると松葉ボタンの咲いて居るところを探しますが

最近見かける事が少なく

この写真は5年程前のものです

敗戦記念日の思い出にアップしました

 

 

ご感想のコメントを楽しみにして居ます

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いち子ばーばの七五三

2011年11月15日 | 昔のはなし

満開と言うより枯れ始めたフジバカマです

 

 

75年前の七五三の写真が見付かりました

当時一寸裕福だった祖父が整えてくれた着物は

上品なクス玉模様

私のは紫と黄色、妹のはオレンジと黄色で

同じ柄でした

帯は丸帯、重ねの模様は赤のさや型

帯締めは赤と白の丸絎け

赤の絞りの帯揚げは確か姪の所に行っています

成人になるまで仕立て直しをしながらの

正月の晴れ着になりました

この写真を御覧になったら不思議におもわれませんか?

このとき妹は五歳だったのです

三歳の妹と七五三に揃った時

祖父は一人だけ晴れ着を着ないのは可哀想と

揃えて晴れ着を調えてくれたのです

頑固で怒ると怖い祖父でしたが人情深い人でした

三歳の妹は私の宮参りの時の着物でした

家の前から円タク(今のタクシー)に乗って

中目黒の伊勢脇通りに有った写真館に行った道中を

今も切れ切れに覚えています

其れと写真館の叔父さんに「お腹を引っ込めて」と

何回も言われた事は忘れません

 

 

 

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昨年の展示会に出品したテーブルランナーを フォトチャンネルにしました

ウクライナ刺繍のテーブルランナーとテーブルセンター

 

 

クリスマスの準備に如何ですか?

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クリスマスクラフト&ローズ・ウインドウ (シュタイナー教育クラフトワールド)
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デンマーク手工芸ギルド 著 山梨幹子 監修
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敗戦の日

2010年08月15日 | 昔のはなし


先日の黄色ねむの木の実です





今日は敗戦の日、未だアメリカ軍が駐留して居るのですから

戦争は終わっていませんね

敗戦を迎えたのは、疎開先の

学徒動員されていた工場ででした

其の朝、特別の放送が有るからと

広い工場に従業員が集められました

放送は電波の具合が悪く

天皇のお言葉は聞き取れませんでした

放送が終わった時に工場長が話したのは

ポツダム宣言を受諾したという事だけ

ポツダム宣言の内容の説明は有りませんでした

戦中威勢のいい話で軍国少女に教育されていた

女学生達は、負けたとは思わず

泣いている大人を訝しく見ていました

只戦争が終わって、親元に帰れる事が嬉しかったのです

この話は去年も書いたと思いますが、ばーばの繰言とお許し下さい




工場で働いていて時に、空襲警報が鳴ると

避難したお寺の境内に咲いて居た

松葉ボタンの美しさは今でも記憶に残っていて

子供の頃の思い出と重なっています

この松葉ボタンは昨年の物ですが

会社が撤退して今年は雑草が生えるままになって居ます

散歩道に松葉ボタンが無くなって残念です




いち子ばーばのショップへもどうぞ

初心者用のキットを8点アップしました 

刺繍キットの第2集アップしました


 
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White Work: Techniques and 188 Designs (Dover Needlework Series)
Carter Houck
Dover Publications
Danish Floral Charted Designs
Gerda Bengtsson 
Dover Publications
Beginner's Guide to Drawn Thread Embroidery (Beginner's Guide to Needlecrafts Series)
Patricia Bage
Search Pr Ltd


母の遺品から・・・・・・

2010年08月13日 | 昔のはなし


赤色のクレマチスが口笛吹いているようでした





探し物をして居ると思わぬ物が出てきますが

今日お目に掛けるのも其の品です



母の遺品の中にあった雑誌の切り抜きと言うより

破き取ったものです

正月号の特集なのでしょう

新年の挨拶がフリカナ付きで印刷されています

英語は左から、日本語は右から

書いてあるのが微笑ましいですね



此れは表紙の裏なので楽譜の最後になって居ます



此方が楽譜の右部分です



唄に付けた踊りの振り付けは

土川五郎となって居ます

左部分が無いのが残念です

作詞は野口雨情、作曲は中山晋平です

題名は「鶯の夢」

梅の小枝で、梅の小枝で鶯は

雪の降る夜の夢をみた

間奏が有って

野にも山にも雪ばかり

サーラサーラと雪ばかり

2番

雪の降る夜に、ユキの降る夜に鶯は

梅の花咲く夢を見た

間奏が有って

野にも山にも梅ばかり

サーラサーラと梅ばかり

この歌詞の中の梅はムメと書いて有ります

昔はムメに近い発音だったのですね




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燕の里親だった時の

2010年04月26日 | 昔のはなし

赤いアジサイ

 

燕の便りが聞ける時期に 

燕の里親をして居た時の写真がやっと見付かりました

駅に有った燕の巣から落ちたツバメの雛を

貰って来て買いはじめた頃のしゃしんです

雀の雛を飼った経験で、餌を食べる様になるのに

時間は掛かりませんでした

靴の空き箱に綿を敷いて夜は寝てもらいましたが

朝早く軽く乗せて有る蓋を突いて起こされるようになりました

夜なべ仕事に5時頃の起床は辛く

起きた燕は仰向けに寝た私の喉元で寝て貰いました

体温が気に入ったらしくよく寝てくれました

末の妹と姪が遊びに着た時のスナップです

手に燕を止らせているのが姪です

 この姪は結婚して3人の男の子のお母さんです

ベランダの洗濯機の上に置いたお皿で水浴びをする燕です

大分羽も伸びて燕らしくなって着た頃です

 

何時もの様にお皿で水浴びをして居た燕ちゃんでしたが

この写真を撮った直後勢いよく飛び出しました

少し経って裏のアパートの屋根に帰って来たので

口笛を吹いたら手の上に戻ってきましたが

糞の中に虫が入って居たので

自分で餌を取る事が出来ると思い

次の日、ベランダから外を見せましたら

飛んで行って帰って来ませんでした

でも暫くの間、口笛を吹くと電線に止って居る燕の中に

近付いてくる鳥がいました

この燕は里子としては2羽目です。

 

 

  

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昨日の続き小学校の新学期

2010年04月16日 | 昔のはなし

あじさいシリーズ、八重ピンクの花です

 

 

今日は小学校の新入生です

朝日が眩しくて皆、目を閉じています

学芸大学商店街は店の数が少なく

突き当たりは駅ですが、高架で無いので見えません

左から我が家前の、関東配電(今の東電)の出張所の

臼井政子ちゃん

次は、お隣工務店の佐々木喜久子ちゃん私

右は直ぐ下の妹、

政子ちゃんのお母さんは沖縄生まれの美人さんでした

一寸教育ママで、政子ちゃんのお兄さんと弟さんは

その頃はやっていた、メンコやビー玉などは

斯け事だと、買って貰えませんでした

この頃は新築住宅の建設が多くて

電柱を運んだり、工事の叔父さんたちを乗せたトラックが

よく止り、その車の運転をして居た父は

仕事の序に、家に寄っては工夫さん達に

お茶を振舞っていました

 

バスケットを持っている妹は

懐いていた先生がお止めになった後

暫く私と一緒に学校へ通っていました

受け持ちの蓼原先生が許してくださったのですが

今思うと、鷹揚なことですね。

でも何方からか文句が出て

通学禁止になってしまったのですが。

 

 

  

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いち子ばーばの新学期

2010年04月15日 | 昔のはなし

変わり咲きのアジサイ

 

 

新学期の季節なので

ばーばの幼稚園の新学期の写真です

昭和十年四月でした

お寺さんが経営していた松葉保育園の入園式が終わって

その頃有った宅地造成されていた空き地で

父が撮ってくれた、記念撮影です

名前を覚えているのは後ろ左から

酒屋の中山照代ちゃん、小学校でも同じクラスでした

勉強が出来て級長さんを度々していましたが

意地悪な子でした

その隣は八百金の中村光代ちゃん同じクラスでした

3女だったのですが、長女が嫁に行ってしまったので

養子を取って家業を継いでいましたが

子供を残して若くして亡くなってしまいました

その隣2人の名前は覚えていません

右端が私、母が作ってくれたレースの付いた

エプロンが得意でした

前列左は佐々木喜久子ちゃん

家が隣だったのと同じクラスなので仲良しでした

2人で、授業が始まる合図のオルガンの曲を

弾いて友達を騙したりしました

喜久子ちゃんは日航スチワーデスの一期生です

中山さんと優劣を争っていました

喜久子ちゃんの隣は上岡元子ちゃん

小学校に入って直ぐに急病で亡くなってしまいました

その時、食べた桃が原因だったという噂が有って

暫く桃を食べなくなった事があります。

 

撮影場所は、暫く空き地だったので、

猿回しが来たりしていた遊び場でしたが

その内、家が建つことになり

地固めの、よいとまけのおばさん達が来て

綱を引きながらの歌を聴きました

美輪明広のよいとまけの歌の様な陰気な歌ではなく

即興で歌う歌が楽しみでした

見ている私の事まで歌ってくれるのです

声も好かったですね。

 

  

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僕はピーコです

2010年03月17日 | 昔のはなし

以前は匂い水仙と言って花だけ、束にして売られていた水仙

 

今日御紹介するのは

父が温泉で拾ってきた木の葉ずくです

僕は、置物では有りません

れっきとしたミミズク、金目木の葉ずくです

下が滑るので一寸不恰好に見えますがね

 そもそも僕を連れて来たのは勝造さんです

犬の鳴き声がひどいので、

庭に出てみたら温泉宿の動物の檻の

隅に落ちていた僕を見つけたらしいです

人間を怖がらぬ様に手ぬぐいで目を塞がれて

連れて来られました

最初の内は部屋隅や押入れに隠れていたけれど

お腹がすいた時にはお母さんの後を

追いかけるて行くと、餌をもらえる事を覚えました

ピーコという名前は、ピロピロと鳴くので

勝手に呼ばれて居ただけです

時々お姉さんが牛乳を飲ませて呉れました

美味しかったなー

書き忘れていました

ピーコは拾われた時下の嘴が長くて食い違っていましたが

父が工具で手術してやって普通の嘴になりました

  

この満足げな表情に50年振りに逢えて

ピーコの色々な仕草を思い出しています

面白いエピソードの一つ

何時もピーコの餌に鳥のレバーを買っている

鶏肉屋さんがお休みだった日の事

出来たばかりの大手スーパーマーケットで買ったレバーを

食事の時間にやりましたが

一口食べて、吐き出してしまうのです

仕方が無いので、その日は魚で済ませました

人間様が何も言わずに食べて仕舞う物を

ピーコは不味いと食べなかったと

笑い話になりました

お気に入りのお店のレバーだと

冷蔵庫から出して冷え切っていても

震えながら食べていた姿が忘れられません

ミミズクは瞼が人間と同じに上の瞼が閉じるのです

透明な下の瞼が先に目を覆い

それから上瞼が閉じるのでそう見えるのですが

首はぐるりと回るわけでは無く

真後ろを見た首が素早く反対に回るだけなのを

実験で知りました

  

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