黒い唐辛子が花材になって花やにならんでいます
ししゅうが進まない時の古い写真です
裏の日付けが昭和二十二年になっています
田村魚菜さんを覚えていらっしゃいますか?
田村魚菜さんは終戦後学芸大学の商店街の
亀鶴食堂の栄養士をしておられました
その時のウインドウに飾られた野菜の細工物の
立派さは今でも目に残っています
その腕を見込んだ駅前の本やさんが
魚菜さんを主婦の友に紹介され
お料理を主婦の友に載せる様になり
魚菜塾を開かれたのです
御縁でしばらく父は魚菜塾のカメラマンをしていました
写真入りのレシピは父のアイデアで始めたと言うのが
父の自慢でした
その頃料理塾の生徒と
茅ヶ崎に地引網を引きに行った時のスナップです
当時私は17歳
生徒として2年間魚菜塾で習得した技術は
今でもおいしい料理を作る助けになっています
右の方は菓子部門の先生で
草餅や柏餅等和菓子を教えていただきました
和食は田村先生、洋食は外山先生でした