丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

一周忌

2008年01月28日 | 四方山話
 父の一周忌の法事をした。早いものだ。大騒動で父を送ってからもう一年が経つ。この一年、ものすごく色々な事があった。
 母が介護福祉士の免許を取り、父の介護が終ってまもなく他の人の介護を始めた。「三十年近くも父の介護していたのに、まだ足りんか~?」と、さんざん私に笑われながらもデイサービスとグループホームで働いている。大したバイタリティーだと自分の親ながら感心してしまう。
 私は何がどこでどうなったのか、小説家デビューすることになった。思えば、父がいたからこそ、私は小説を書くなどという趣味を持ったのだ。日常の全てに見守りと介護が必要だった父のお守りのために、なかなか外に出られない十代の私は「小説」という世界で「外出」して遊ぶことを覚えた。自由で思い通りの世界。未来にも過去にも、宇宙にすら飛んで行ける素敵な世界。そこに架空の自分を置いて好き勝手な遊びをする。それがいつの間にか趣味になり、「物書き」という職業が密かな憧れになった。それから二十年近くが経ち、ついに「出版」という形になった訳だ。もしかしたら、今回の幸運は父からのプレゼントなのかもしれない……。そんな気がする。
 父の居た部屋には今、ベッドの代わりに仏壇が置いてある。へんな話だが、ベッドがあった時とあまり変わらない感じがするのだ。ベッドの上の父に「ういーっす」と声をかけるのも、仏壇に向かって手を合わせ「ういーっす」と挨拶するのもまるで同じ感覚で、あまりにも違和感がなくて自分でもおかしい。
 法事が終って実家に帰り、夜遅くになってから仏壇の前で弟とその友人達が宴会を始めた。父がまだ寝たきりになる前も、よく私や弟の友人が来て宴会をし、その輪の中に父や母が(何故か)一緒にいたものだ。うちを訪れてくれる友人達は皆、父のことを受け入れてくれていた。きっと夕べも父は輪の中にいたのだろう……。弟達の莫迦話を聞きながら、笑っていたにちがいない。
 人の「生」はきっと、肉体の存在のみではない。その人を知っている人々がその人を覚えていて、時々思い返すということでも、ささやかに続いていく……。そんなことをふと思った一日だった。


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