夫の四十九日法要をとり行った。仏教的にはそろそろあの世にたどり着くころらしい。
亡くなって二週間くらい経った頃、霊界に通じておられる方から「ご主人、まだあっちに着いてないらしいで。なんか、まだ、寝てはるみたい」などという、いかにも夫らしい話を教えてもらった。実は、その話を聞く前の日に夢の中で夫に「…あんた、なにのんきなこと言うてん。あんた、死んでるねんで。わかってるか?」と突っ込んでいたという笑えるエピソードもあったりで、ほんまにうちの亭主はちゃんと行くところに行ったんやろかいな……といまだに少々不安であったりする。
ちなみに夢の中では私に突っ込まれた後、しばらく考え込んで「ほんまや~」と気が付いていたので、さすがにあの世に向かって走っていったに違いないとは思うのだが。ただ、すぐに寄り道をしてしょうもない買い物をしたりするのでやっぱりまだ目的地にはたどり着いていないんじゃないだろうか……。
そんなお気楽なことを考えながらの四十九日法要であった。奇しくも1月17日。阪神淡路大震災の日だ。七千人もの人たちが一斉にあの世に向かって歩いて行った日。誰もきっと納得できないまま出発していったのだろう。
先日は長野県でスキーバスの事故があった。たくさんの大学生がスキーを楽しむこともないまま、旅立っていった。
世界ではあちらこちらで突然のテロに巻き込まれ、何がなんだかわからないままこの世から追い立てられるように去っていく。
一方通行の道を歩きながら、みんなどんな話をしているんだろう。
「あんさん、どないして亡くならはったんでっか?」
「へえ、フグの毒に当たって……」
なんて会話を交わしながらの道行きを描いた落語もあるがww。
死に方はいろいろだけれども、そんなことを考えたら家の中でぽっくり逝った夫は幸せなんだろう。夢の中で妻に「あんた、死んでんねんで~」などと突っ込まれつつ、「あ、ほんまや~」などとのんきな返事をしてあの世に歩き出した夫は、きっと、幸せな部類なんだろう。嘆き悲しみながら歩んでいる人たちを慰めながら歩いているのだろうか。
そんなことをつらつらと考える四十九日の夜。
亡くなって二週間くらい経った頃、霊界に通じておられる方から「ご主人、まだあっちに着いてないらしいで。なんか、まだ、寝てはるみたい」などという、いかにも夫らしい話を教えてもらった。実は、その話を聞く前の日に夢の中で夫に「…あんた、なにのんきなこと言うてん。あんた、死んでるねんで。わかってるか?」と突っ込んでいたという笑えるエピソードもあったりで、ほんまにうちの亭主はちゃんと行くところに行ったんやろかいな……といまだに少々不安であったりする。
ちなみに夢の中では私に突っ込まれた後、しばらく考え込んで「ほんまや~」と気が付いていたので、さすがにあの世に向かって走っていったに違いないとは思うのだが。ただ、すぐに寄り道をしてしょうもない買い物をしたりするのでやっぱりまだ目的地にはたどり着いていないんじゃないだろうか……。
そんなお気楽なことを考えながらの四十九日法要であった。奇しくも1月17日。阪神淡路大震災の日だ。七千人もの人たちが一斉にあの世に向かって歩いて行った日。誰もきっと納得できないまま出発していったのだろう。
先日は長野県でスキーバスの事故があった。たくさんの大学生がスキーを楽しむこともないまま、旅立っていった。
世界ではあちらこちらで突然のテロに巻き込まれ、何がなんだかわからないままこの世から追い立てられるように去っていく。
一方通行の道を歩きながら、みんなどんな話をしているんだろう。
「あんさん、どないして亡くならはったんでっか?」
「へえ、フグの毒に当たって……」
なんて会話を交わしながらの道行きを描いた落語もあるがww。
死に方はいろいろだけれども、そんなことを考えたら家の中でぽっくり逝った夫は幸せなんだろう。夢の中で妻に「あんた、死んでんねんで~」などと突っ込まれつつ、「あ、ほんまや~」などとのんきな返事をしてあの世に歩き出した夫は、きっと、幸せな部類なんだろう。嘆き悲しみながら歩んでいる人たちを慰めながら歩いているのだろうか。
そんなことをつらつらと考える四十九日の夜。
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