丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

命の讃歌 

2012年02月08日 | ゴスペル
 ゴスペルを歌い始めてかれこれ七年になる。歌う事は大好きだし、元々コーラス部にいたので大勢で歌うのも大好きだ。一万人の第九にも四回ほど出たし、自分の結婚式では亭主と義兄、私の友人とでユニットを組んで、一緒に歌ったという(笑)あり得ない披露宴をしたくらいだ。新郎新婦が参加して余興って珍しいよね~(爆)。ちなみに企画は私ではないことを明記しておく。うん。
 ゴスペルとの最初の出会いは市の広報に載っていたワークショップへの参加がきっかけだった。衝撃的だった。とにかく大声で、それも裏声ではない大声で歌うなんてコーラスでは考えられない事だ。二時間の練習が終わる頃にはすっかり喉をからしていた。その代わりに、今まで味わった事のない爽快感と達成感に包まれて、その感覚にすっかりやみつきになった。
 ワークショップのイベントが終わってもゴスペル熱は冷める気配がなく、それどころかますます歌いたくなって今のクワイアに参加する事になったという訳だ。そして今に至るまでずっと歌い続けている。

 ゴスペルを歌っていて何が一番すごいかと言うと、やはり自分のリミッターを外して、全てを開放して歌うところだろう。それは声の出し方だけではない。心の鎧を全て脱ぎ捨てて、心の中で渦巻いているエネルギーを放出して歌うのがゴスペルなのである。
 今まで味わった喜び、悲しみ、苦い思い、希望、全てを含めて、今のこの瞬間を生きている事を讃美し感謝する。そこにはなんの雑念も制限もない。滝の水がなんのためらいもなく、一気に流れ下って行くように、自分の心の思いの全てがうねるように流れて行く。
 練習、ステージに関係なく、時々自分でもびっくりするくらい声が出ていると実感する時がある。自分の声に質量があるという事を感じる瞬間があるのだ。もちろん喉の調子にもよるのだけれど、それ以上に自分の心がすこーんと開放出来ている時なのだろうと思う。開け放った窓から、たくさんの鳥が一斉に空へ向かって飛び立っていく。そんなイメージだろうか。

 鳥もクジラも、歌を歌う。それは鳴き声ではなく明らかに「歌」なのだそうだ。そう、歌はこの世界の生き物全てにとっての命の讃歌。なんの制限もない無限の広がりを持つ讃歌なのだ。


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