マダムヤンのひとりごと

香港が大好き!中国の情報を発信したいと思っているのですが…ごめんなさい!子どもの話題ばかりになっていますね。

香港時代

2020-05-07 | 思いつき
家の片付けをしていると、
こんな写真のシールが現れました❣️
with nice guys at Bar“ watering fall🍸🍺” in Hong Kong 💓

もう20年以上の年月が過ぎました😥
みんなどうしているかしら?

私も若い❣️
仕立てたチャイナドレス風のワンピースを着ているわ💓
香港が、まだイギリス領🇬🇧でね。
みんなが明るかったなぁ🥰
思い出す、若かりし日々…

昨年の、あの騒ぎには心が痛みました😭
3月には行こうと思っていたのにね。
この、コロナが収束したら、直ぐに行くよ‼️
日暮れの時間からずーっとね、インターコンチのバーでマンゴーダイキリを飲みながら100万ドルの夜景を眺めるのよ…

私の大好きな街❤️
I love Hong Kong💕💕 



即位の礼に思う

2019-10-22 | 思いつき

年齢の話

あと何年かで60歳、リタイアの歳なのよ。

でも、今日、即位の礼に参列した
カナダ在住のサーロー節子さんは御年87歳。
”87歳でも飛行機に乗って外国に行ったりするんだなぁ”って感心してました。

「あぁもうすぐ還暦」と、この世の終わりのように感じていたことが
彼女をみて、
「まだまだ、あと30年もあるのね」って思えるようになりました。
そうよ、「私が87歳の時に」、どこに住んで暮らしているのか、わからないものね。
今からでも、何か新しい挑戦ってできるのかも。
今からでも何かできるかしら???

希望をいただいた即位の礼でした。

でもね、「もうすぐ饗宴の儀が始まります」
TVには雅子様のおきれいな姿がありました。
と同時に
私はお父さんのポータブルトイレの処理を、息を止めながらしていて
やるせない気持ちになりました。

「これが現実!」

一歩踏み出したくても、そう出来ない!
こんなモヤモヤを心に抱えて、もう何年になるのでしょう?
13年?

やっぱり他人が羨ましい。
貧乏くじって、あるんだね。

ryuryuにはそんなくじ、引かせたくないね。私で十分。






 


介護の難しさ

2017-10-12 | 思いつき

父の介護
11年前の2月14日、父の68歳のお誕生日の夜に脳梗塞で倒れました。
その日は友人ご夫婦と家から車で20分ほどの温泉に泊まっていました。

夜中にケイタイが鳴り、駆けつけるとそこにはまだ話も出来る、身体もまだ動く父がいました。
病院について朝まで、脳外科の先生がいらっしゃるのを待ちました。
その間に、父の身体はだんだん動かなくなり、とても深刻な状態になってしまいました。

今でもハッキリと覚えています。その夜のことも、それからの入院生活も。

その数カ月後には私もryuryuを連れて北京に戻る予定でしたが、父の世話をする母を助けるために日本に留まることにしました。
この時戻っていたら、きっと今頃家族3人で北京で暮らしていたかもしれませんね。

それから3年後の夏、母が突然脳腫瘍が見つかり、手術の甲斐もなく亡くなってしまいました。

さぁ、大変です。それまで母を助けていただけなのに、今度は私が全部介護を請け負うことになりました。

身体半分が麻痺しているというのは、本人はとても辛く、生活も大変です。
頭ははっきりしていて聡明なままの父なので、精神的にどんなに参っていることでしょう。自分の思う通りにならない身体になってしまい、今までの自由が全て奪われてしまったのですから。
もともと、自由人で、人の言うことは聞かず、頑固で、短気ですぐに大声を出して威張る。寅年生まれだけあって、本当に虎のように吠えます。

いったん脳梗塞を患った身体能力は回復はしません。6年前には脳出血も患ったので、ますます身体の調子は悪くなります。衰えていきます。しっかりと歩けていた杖歩行も、今ではフラフラ、いつ転んでもおかしくありません。
「現状維持」を目標に、毎日生活していたのに・・・


とうとう、4日前に骨折をしてしまいました。骨折と言ってもほんのちょっと。レントゲンではわかりません。動かない右足の小指の付け根を痛めてしまいました。

動かない足でも、杖をついて歩く時には床につきます。痛くてつけません。
もうアウトです、歩くことが出来なくなりました。

一昨日、いつもの通院の日だったので、病院に行き、その帰りには介護施設に入居することになりました。

さてさて、「介護の難しさ」としたその「難しさ」についてお話しますね。

父と私は干支も血液型も同じで、性格がまそっくりです。
なので、いつもケンカが絶えません。
私がお嫁さんなら、少しは遠慮というものがあって、言葉も選んで優しく接してあげるかもしれません。が、実の親子です。言いたいことはそのまま、オブラートに包むこともなく直球で投げかけます。もちろん、父もそれに答えて直球を投げてきます。

そんな時に、私は反省をするわけです。
もっと優しくしてあげなきゃ・・・あんなことは言ってはいけないな・・・
毎回毎回、反省の連続です。そして、そんな自分に自己嫌悪を感じて、とても嫌な気持ちになります。
そこなんですね、「難しさ」というのは。

父は父で、私に介護してもらうことが当然のことだと思って、感謝の態度はありません。
朝、一日分のお茶を作りますが、全部ポットに入れたのでは重くて大変だから朝と夜に分けて、夜、また温め直してポットに入れておく。
お皿は縁が高く、滑り止めのあるものを使う。ポットやコップの取っ手など、全て左に向けておく。
お料理もお皿の右側には、縁を使ってすくえるものをおく。お魚の骨は取り除く。一口大に切る。
などなど、食事の準備一つをとっても色々とあるわけです。
そういうこともわかってないのよね。だから、私もなにかあるとすぐにカッ!となってしまいます。
今日の最高気温を気にして、窓を開けて出かけるか、閉めて出かけるか、エアコンはオンにする?タイマーをかけておく?なんてことも毎日気にします。
仕事をしていて、ケイタイにお父さんからの電話が入ると「何かあった?」と、ドキッとします。
夜は尿瓶のオシッコを捨てます、またこれが鼻が曲がってしまうほどの大変な匂いのするもので、息を止めながらします(笑)
それを最近はryuryuが代わりにやってくれるので、本当にryuryuには感謝です。
最近は、「こうやって毎日毎日オシッコを捨てながら私もお婆ちゃんになっていくのかな」・・・と思って、ちょっと悲しくなります。

デイサービスを利用するようになったので、家での入浴はヘルパーさんにお願いする1回だけになりましたが、以前は私やryuryuが介助していました。
ryuryuは本当によく私を助けてくれます。ありがたいですね。

どこに行くのにも、まず父の食事の用意をしてからですしね。思いつきでサッと出かけることも出来ません。

とにかく、毎日毎日、生きている人間をお世話しなくてはならないこと、気を遣うことはたくさんあるわけです。
それは、親子だから、子どもだからしょうがない、当然のこと。・・・ですか?
ですよね。でも、私の生活は?私の人生は?私の自由は?
そんなことを考えているうちに、私も歳を取って身体が動かなくなっていくでしょう。自分でしたいと思っていたことも出来ずに、お婆ちゃんになってしまいます。

こんなふうに、頭ではわかっていても、納得しきれないことがだんだんと多くなってくるわけです。
そして、そんなことを考える私は悪い娘だと思えてきて、落ち込んだり。
心のなかで様々な「葛藤」を繰り返しています。

それが「難しさ」なんです。

私が父にしてあげていることは、あっ、もうこれが間違いかも、「させていただいていること」と置き換えなければいけないですね。
させていただいていることは、全然大変なことではありません。簡単なことです。でも、それが続いていることで私の中に色々な考えが浮かんできては消え、浮かんできては消え、自己嫌悪を感じたり、怒りを感じたり・・・それをうまくコントロールして楽しく過ごすことが難しいんです。
1週間や2週間なら、うまく出来るかもしれません。もう8年です、そしてまだまだ続きます・・・今のところ無期限です。
心のバランスをとるのが難しくなりました。

ショートステイに行ってもらったことも、半分は「よかった」と思い、半分は「ダメだよね」と思っています。

病院の帰りが遅くなり、疲れてしまいました。遅いお昼ごはんは「牛丼がいい」って。
こんな可愛い顔していいおじいちゃんなんだけどね・・・
この写真を見ていると、泣けてくるのよ・・・憎ったらしいと思っているくせに涙がポロポロ出てくるの。そこが本当に難しいところ。

介護は大変なことではありません、少なくともうちの場合はね。
「難しい」んです。




 

 


睡眠効率抜群な私

2017-06-20 | 思いつき

昨夜のSleep Meisterの記録。

眠りにつくまで8分10秒、実際はセットしてから読書を数分していたのでもっと短い。
眠りに入ってからは、ずーっと深い眠り。
睡眠効率95.9%

毎日、寝たと思ったらもう朝なのです。
これが2サイクル出来るくらい眠る時間があるともっといいかも。
睡眠は大事です。睡眠の質も大事です。
私はきっと、よく眠っているのだと思われます。




庭でランチ

2017-04-29 | 思いつき

こんなにお天気がよいのに、家の中にいるなんてもったいない

よし、お父さんも連れ出して、庭でお昼ごはんを食べることにしよう

お父さんは準備が出来る前から、玄関まで出てきて座って待っています。
きっと嬉しいのね。

ryuryuが部活から帰ってくるまでに準備をします。今日はBBQではなくワンプレートランチの予定。

帰って来たryuryuは「えまたするの好きだね~」だって。
そう、私はイベントが大好きだから。今日みたいな日は何かしたくてたまらないのよ


さ、緑の風もおかずに召し上がれ

ビッグ唐揚げのワンプレートランチです。ryuryuの唐揚げはこれよりもビッグで数も多い。
ごはんは黒豆ごはんを炊きました。
黒豆は甘味平姓、脾肝腎に作用します。身体の中の血や水の流れをよくします。補腎作用のあるお豆さんなので、毎日食べるといいんだけどね。黒豆ごはんは煮汁も一緒に身体の中に入っていくので、とってもよいメニューだと思いますよ。

外でごはんを食べている私達に向かって、家の中からランちゃんがキャンキャン吠えています。なんだか可哀想になったので、ランちゃんも外に連れ出しました。

外に出ても、どうしていいかわからないランちゃん。あなたの世界は、家の中のリビング、あの狭い空間だけなのね。
そう考えると、ペットを飼うということは、とても身勝手で残酷なことだと感じます。
でも・・・可愛い

ごはんを食べていると、アレあれ???あんなに青かった空が、すっかり曇り空になってきましたよ。風も吹き始めました。
じゃ、お片付けをしましょう・・・すると ポツッ・・ポツッ・・・
雨が降り始めました。やな天気

お父さんもとても喜んでいた様子。
また、しようね。
わかってるよ~、明日の日曜日は「のど自慢」があるから外では食べられないってこと。
お父さん、何より好きだもんね、「のど自慢」。音痴なくせにね(笑)





高齢者の運転

2017-03-01 | 思いつき

期末テストが終わったので、ryuryuとカラオケへ。

でもね、帰ってくるなり
「テスト、出来なかった・・・」という報告。

一気に私のテンションは

そんな気持ちでカラオケを歌っても、イマイチ、イマヒャクくらい
気持ちがのらない

まぁ、カラオケは終わりました。

車に乗って、駐車場から道路に出ようとした時
「ガッタ~ン」とものすごい音と振動が。

そこは車の出入りの場所ではなく、
歩道と道路に分かれている、立派な段差があるところでした。

まっず~~~~い
車の底、ついちゃったかも 

そして丸亀製麺で夕ごはんを済ませ、帰るときも。
車止めに向かって停めたのに
何の迷いもなく前進して、車止めに止められました。

「ママ~~~、大丈夫?しっかりしてよね~~~」

笑い事ではありません。
本当に何の考えも迷いもなく、そのように運転していたのですから。

そのうちに逆走とかするかもしれない。
高齢者の運転する車の事故があとを絶ちません。
そういう人たちって、きっと何にも疑いも迷いもなく、それが正しいと思って運転しているのでしょうね。

高齢者の気持ちと行動が理解できた夜でした。
ほんと、笑い事じゃないです。怖くなりました。


 


こんなところに日本人!に泣いた

2017-01-18 | 思いつき

夕食の片付けを終え、一息つきながらTVを観ました。
「こんなところに日本人 2時間スペシャル 」

TVは、いつも「ながら観」 のことが多いけれど、昨夜はじっくり観てしまいました。

戦争に翻弄された2人の日本人・・・

まずはオーストラリア在住の92歳の女性アキコさん。
終戦を迎えて、夫を亡くし、長女も栄養不足で亡くし、残されたアキコさんと3歳の長男。
その後、軍人だったオーストラリア人の男性と出会い、結婚をするのですが、 
結婚の条件は「軍人を辞めること」
その条件を快諾して下さった旦那さまと、 日本から遥か遠いオーストラリアで結婚生活を始めます。

暮らしぶりは厳しかったようですが、何よりも、人種差別がそこにはありました。差別はアキコさん1人に向けられるものではなく、その夫、旦那さまにも向けられていました。でも、旦那さまはそんなことは生涯一言も言ったことはないそうです。

オーストラリアに渡って、初めて連れてきてもらったというゴールドコーストの海辺。
そこで泣いて泣いて泣いて泣いて・・・もうこれ以上は泣けないというくらい泣いたそうです。
そしてハッキリとした口調で「覚悟を決めたの」と。「この海を見て覚悟を決めたの」と。
ゴールドコーストの波立つ海の映像とアキコさんの力強い言葉が重なって、ガンガンと胸に頭に響いてきます。
アキコさんの強さがヒシヒシと伝わってきました。その時の、彼女の悲しさや絶望感は想像を絶することでしょう。
でも、それを乗り越えて、「覚悟」という心の力にする。
あぁ・・・なんて感動的でしょう。
涙が止まらなくなってしまいました

最後に旦那さまのお墓に行き、旦那さまの隣のボックスを指差して
「私はここに入るの」「死ぬことは何にも怖いことはないの」と笑って話していました。
いつか旦那さまがいる天国に行くことが、嬉しくてたまらないようにも見えました。

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もう1人は中国の黒竜江省牡丹江市の外れ、林口というところに住む74歳の男性。

「大地の子」を思い出す彼の生涯でした。
満州国の開拓団だった家族は集団自殺をしてしまい、その母親の横で泣いていた彼は、中国人に拾われてそのまま中国人として中国で育ちました。
当時、彼は3歳くらい、名前も生年月日も、何もかも記憶はありませんし手がかりもありません。
幸いなことに2組の養父母はとても優しく、いい人たちだったそうで、家を売ってまで彼に教育を受けさせてくれたそうです。
彼は2番めの養父母の名前で「席」さんと言います。

18歳の時に近所のおじいさんから自分は「開拓団の集団自殺をした日本人の子どもだ」と聞かされ、自分が日本人だと確信したそう。
でも、それは胸の中にしまい、自分は中国人として中国で生きていくことに逆らおうとはしませんでした。
ここで席さんは「覚悟」を決めたのですね。

黒竜江省の冬は厳しい。過酷な環境の中で席さんは精いっぱい日本人であることを隠しながら、懸命に生きてきたのでしょうね。

日本を恨んだことがあるそうです。それはそうです。日本が戦争を始めなければ、彼だって本当の家族との幸せな生活を送ることが出来たのですから。
彼は養父母の期待に応えるべく、猛勉強して努力して、数学の先生になり、校長先生にもなり、退職するまでは教育委員会の書記を務めました。
書記って言ったらすごい上の立場の人ですよ。TVでは言っていませんでしたが、教員時代には優秀教員に選ばれたり、最後は教育局長も歴任されたようです。

席さんは、日本に肉親探しに来たことがあります。日本語は遠い昔に忘れてしまいました。
でも、手がかりは何もなく、一緒にやってきた人たちは次々と肉親が現れて会いに来るのですが、席さんには誰ひとりとして現れることはありませんでした。
その時の席さんの心情を思うとつらい気持ちでたまらなくなります。
この時日本から帰国すると、養母が「やっと帰ってきたんだね。お前のことを思うとたまらなかったよ」と抱きしめて泣いていたそうです。
その時、「自分は一生お母さんのそばを離れない」と、誓ったと言います。
「自分は中国で生きるしかない」と、ここで、席さんは2度目の「覚悟」を決めたのだと思います。

とても素晴らしい養父母に巡り会えたことは幸せでしたね。寂しいと思うことがあれば血の繋がった家族は1人もいません。
しかし、その後ご結婚され、3人のお嬢さんに恵まれ、そしてお孫さんも。
何もなかったところから、血と絆で結ばれた家族が出来ていました。なんて素敵なことでしょう

とても幸せそうな席さんですが、やはり自分のルーツの話になると少しお顔が曇ってきます。
やはり、自分がどこの誰なのか、どうにかして知りたいのでしょうね。
知ったからどうする、ということではないんです。自分が何者なのか知りたいだけなのですよね。
いつの日かわかるといいなぁ。

この2つのドキュメンタリーに、涙が止まりませんでした。
ポタポタ涙が落ちてくるんです。

気づいたことがあります。
人は「覚悟」を決めることが肝心なのね。
決断と同時に覚悟が決められるかどうか・・・

私は「覚悟」がなかった。
だから中国には居られなかったのね。
いつも帰るところ、逃げる場所を用意していたから。
甘い・・・

私はここで生きていく
私はこれをやり遂げる

という「覚悟」
今もってない気がします。
何に「覚悟」を決めればいいのか?
この歳になって、こんなことを思うことを恥ずかしく思っています。

 








 


憂鬱の原因

2014-01-16 | 思いつき

お父さんは
・高血圧
・肥満
・糖尿病
・狭心症
・脳梗塞
・高カリウム血症
・高コレステロール  ・・・
1度/2ヵ月、お医者様に看ていただいたあとの
薬は、お買い物袋1つにいっぱいに入っています。
そして新たに、

慢性腎炎の治療薬が処方されました。

食事制限もしなくてはなりません。
・減塩
・減糖
・減油 
は、今までも気をつけてはいましたが
これからは、これに
・低タンパク質
・低カリウム
・低リンを、加えなくてはなりません。

ryuryuは育ち盛り
お肉もお魚も、野菜だってたっぷり食べなくちゃ。
私もカリウムが足りないので、高カリウム食がいい。
フルーツや野菜はたっぷりと食べたいわぁ

なんと、皮肉なことにお父さんが食べてはいけないものが
私とryuryuにはmustなもの。

今まで、サラダやレンジでチンした温野菜を食べていたのに
野菜をゆでこぼしたり、生野菜は小さくしたものをしばらくお水にさらして
カリウム抜きの一手間を加えます。

例えば、肉じゃがのじゃがいも。
お父さん用のは、じゃがいもを小さく切って、茹でこぼしをしてから作ります。
ミネストローネのキャベツ。
これも茹でこぼしてから作ります。
基本的に生野菜とフルーツはX
低タンパク食なので、お肉やお魚もなるべくX

私達が摂りたいものは、全部Xと言っていいかも。
・減塩
・減糖
・減油 
は私達も守ったほうが健康的なんだけれど・・・
甘いものだって食べたいし、たまにはコッテリしたものだって食べたいわ
特にryuryuには何でも食べて、大きく成長してほしいもの。

でもね・・・人工透析になったら大変なことなので、それを避けるためにも
食事で頑張らなくては。

昨日からね、食事を作ることを考えると
憂鬱になってしまうのよ・・・

健康な身体で、何でも美味しく食べることが出来るって
最高に幸せなことですね
つくづく思います。

 

 




お誕生日

2013-12-04 | 思いつき

あらあら・・・
またお誕生日がやって来ました。
「もう、この歳になると嬉しくないら?(ないでしょう)」
と、聞かれますが
いえいえ、何をおっしゃいます
嬉しいに決まっているではないですか 

私が誕生したこの日のために
お母さんは何日も何ヶ月も、私をお腹に抱えて
「この子のために」と
これを食べると健康な子になるんだよ~
これは身体を冷やすから食べないほうがいいかしら
風邪をひいてはいけないから冷やさないように
夜更かしはしないで早く眠りましょう
とかね。
おりこうさんな子になるから・・・
健康な子になるから・・・
朝から夜眠っている時まで
自分の大きくなるお腹を撫でながら
「この子のために」
の思いひとつで過ごしてきてくれたのよね。

ね、そういう思いに包まれて、私は生まれてきたんだから。
お誕生日は嬉しいに決まってます。
なんて幸せなことでしょう

そう、こんな私もryuryuを授からなければ、
これほどまでにお母さんへの感謝の気持ちはわかなかったでしょうね。
お母さんにも「ありがとう」を言わなきゃね。 


人が誕生するって素晴らしいこと。
それはそれは本当にAMAZING
だから、私は今年も来年も再来年も、またその次も・・・
自分のお誕生日には最大級の
「おめでとう」
を、自分に言いますよ。 
そう、今日はその日

"Happy birthday to me

 


烏兎怱怱(うとそうそう)

2012-12-19 | 思いつき

あっという間に12月。

何をやっていたんだか・・・この1年も。

「烏兎怱怱」

怱怱・・全くそのとおり。

慌ただしく過ぎてしまっただけのよう。

成長していく子どもと

老いていく父親

そんな2人を見ながら、自分は何も変わらず

ボーっとしてそこにいるだけの気分。

・・・で、気がついたら2012年もおしまい。

 

何日か前、お父さんの尿瓶の中のオシッコを捨てながら

ふと考えたことがある。

「こうやって、お父さんのオシッコを毎日捨てて

気がついたら、私はおばあちゃんになっているんだわ。」

ってね。

 

何も変わらず普通にしていられることが幸せ?

幸せなことが変わらないのなら幸せなこと。

私はどっちかっていうと幸せじゃないな。

だから、変わらないとダメってこと。

 

来年こそは、本当に来年こそは(って毎年思う)

自分の時間がもてるように。

自分のこと、きちんと考えないと

ryuryuのこともいい加減になってしまいそう。

 

「美しい子を望むなら、親が美しくなることだ。

子どもを幸せにしたいなら、まず親の自分が幸せになることだ。

不幸な親のもとで、幸福な子どもは育たない」

 

また、肝に銘じた。

 

暗いね・・・

大丈夫、B型の私、立ち直り超高速だから。

 

 

 

 

 

 

 

 


お誕生日

2012-12-04 | 思いつき

とうとうお誕生日を迎えてしまいました。

全体に抵抗できないことですね。

大人になると「お誕生日なんか嬉しくない」なんて。

それはウソ。

誰だって自分のお誕生日は嬉しいに決まっています。

私はとっても嬉しいもの

 

私は超高齢出産だったから

ryuryuのお友達のママたちよりずーっと年上。

ryuryuが、この歳になった私を慰めるかのように

「ママ、30代に見えるよ」とひと言。

「30代は◯◯くんやXXくんのママたちだよ。

   そんなに若くは見えないよ」

って私が言うと

「え~いいなぁ~~~」って。

(・・・どういうこと??やっぱり若いママがいいんだわ)

「ごめんね、ママは年取ってて」とかなりむくれて言うと

「だって、◯◯くんやXXくんは、

  ぼくよりママと一緒に長くいられるってことじゃん」

「ぼくはママとずっと長く一緒にいたいもん」

 

私がむくれたのは意外だったようでした。

 

「じゃ、ママがう~んと長生きすればいいでしょう」

「そうだね、ママ長生きしてよね」

 

嬉しいな、ずっとママといたいって

 

でも、いつかは私の懐を飛び出していってもらわないと。

どこかに飛び立っても羽を休めに戻るところ。

母はそんな存在になれば幸せですよ

 

今まで生きてきた時間と同じくらい生きたいね。

「もうこんな年」なんて思わずに

「まだこんな年」って思いましょっ

 

 

 

 

 

 

 


2012-09-03 | 思いつき

健康であること

それがいちばん。

自分の身体をいたわること

それは家族をいたわること

自分の命だけど、自分の命ではないって。

 

私が寝込んでしまったら?

お父さんとryuryuは、どう生活する?

寝込めない寝込めない。

 

健康でいなきゃ。

生きていなきゃ。

 

イヤなこと、つらいこと・・・いっぱいいっぱいある。

でも、健康でいれば何とか乗り越えられるって。

 

55歳の知り合いの女性が亡くなりました。

いろんな思いが頭の中を巡っています。

 

残された命の時間を知りながらの闘病生活。

子どもたちにしてあげたいこと

してあげなければならないこと・・・

まだまだあれもこれも、してあげられないまま

この世を去っていく無念さ。

 

残された2人のお嬢さま。

「お母さん」がいなくなるという現実は

とてもとても

「すーっ」

と受け入れられるものではない。

数年前にお父さまもなくされて

「お母さん」がお嬢さまたちの心の中の大きな柱だったはず。

「お母さん」がいなくなるなんて本当に悲しい。

これほど悲しいことはないと思う。

本当に悲しい。

お嬢さまたちが、どんな気持ちでいるのかと

考えるだけで涙が止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


白雪姫

2012-06-13 | 思いつき

今、観たい映画・・・

"Snow white"

"Mirror mirror"

どちらも原作は「白雪姫」

 

白雪姫はどちらも若くて美しい

 

私は継母に注目していますよ。

"snow white"の方は

"ライラの冒険"のニコール・キッドマンを思わせるような

上品で美しいシャーリーズ・セロン

映画自体も(と言っても予告編しか見ていませんが)

"Road of the ring"とか"ライラの冒険"みたいな感じ。

ちょっと重い感じがするけれど、

見応え充分だと思う。

 

"Mirror mirror"の方は

あの、ジュリア・ロバーツ

とってもキュートでしょ?

この映画はまだ日本では公開予定がないみたい。

残念だわ

ちょっと観た感じでは「笑える」

継母が白雪姫に対抗して奮闘するみたい

 

映画館も遠いのよね~。

よしっいくぞ

って、気合を入れないとなかなかね

 

また、映画を観ることができたらご報告いたします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


子ども→大人→子ども・・・

2012-02-24 | 思いつき

「年をとるとね、だんだん子どもにかえっていくのよね・・・」

 

本当にそう。

 

ryuryuが赤ちゃんの頃・・・

 

洋服を着せてあげたり脱がせてあげたり。

 

離乳食が始まった頃

テーブルの上を滑らないようにする吸盤の付いたプラスチックの器で

スプーンやフォークで食べさせたり。

 

ペットボトルの飲み物にストローを使ったり。

 

お風呂で身体を洗ってあげたり

シャンプーしてあげたり。

 

抱っこして起こしてあげたり。

 

今はお父さん。

 

全部が赤ちゃん用から大人用サイズに替わっただけで

私がすることは同じ。

 

言うことも、自分のことばかりが優先する。

 

人の一生ってこんなもんなんだな・・・

 

クレッシェンド<、そしてデクレシェンド>

 

私ももうデクレシェンド>に差しかかっているのかしら???

 

クレシェンド<が続いて最後はsubitoP(スビトピアノ)

私の最後はそう願いたいわぁ。