脳梗塞・・・
父が倒れてからもうすぐ1年になる。
2006年の半分が病院へ通う毎日だった。
家族に病人が居るということは、病人本人のみならず、
それを世話する家族の負担と
肉体的、精神的な疲労というものは
言葉では言い表せないほどのものである。
年が明けて元旦に、自分の家で、
家族みんなが揃って「あけましておめでとう」と言い、
2006年より、はるかに幸せな年にしたいとみんなで願った。
「もう少しで1年だね、
去年の今日はまだ元気にお酒も飲んで、
歩いていたのにね。」
健康は失って初めてその重要さに気づく。
父が今、右手右足が自由にならなくなってから、
自分の健康への注意が足りなかったことを後悔しても、
もう遅い!
右手右足は自由には動かない。
どんなに肩に力を入れようとも、
しかめっ面をして手足に力を伝えようとしても、
動かない。
どんなに口惜しいことか・・・
と見ていて思う。
この一年、母は本当に父の面倒をよく見ている。
元気な頃はさんざん母を泣かしてきた父なのに・・・
本当によくケンカをし、怒鳴り、時には暴力も・・・
やはり「夫婦」なんだね。
それなのに父を見捨てず、呼ばれれば
「んん、もう!」
と文句を言いながらも父の言うことを聞いてあげている。
父が倒れたのは
2月14日(父のお誕生日)の夜中12時過ぎ、
救急車で病院に運ばれてから、
脳外科のドクターが現れるまで4時間近くも待たされた。
狭心症があったので、
「心臓発作が起こった時にはこうしてああして」、
と考えることはあったのだが、
脳梗塞に関しては、私を始め、誰もが無知だった。
もし、知っていれば24h救急受付の脳外科専門病院に運んで、
「血栓溶解療法」
が受けられたかもしれないと思うと、悲しくなる。
これはt-PAという薬を点滴するのだが、
発症して3時間以内に行わなければならないという条件がある。
約50%の人は後遺症が残らないで済むそうだ。
「この治療を受けていれば・・・」と今でも後悔しきりだ。
倒れたばかりの頃(病院に到着した時も)、ベッドの上で
「いいか、北京に行っちょ(行くな)」
と私に言うほど、意識ははっきりしていたのに、
だんだんと身体は動かなくなる、
呼吸も苦しくなる・・・
心の中で「やめてー!」と叫びたくなるほどの恐怖を感じた。
隣に居る母を見た。
今考えると母の頭の中は真っ白になっていたに違いない。
「かわいそうなお母さん・・・」
1ヵ月半の治療入院と4ヶ月近くのリハビリ入院を終え、
杖をついて自力歩行が出来るようになったので、
夏の暑い日に家に帰ってきた。
それからは在宅のリハビリやマッサージを今も続けている。
倒れた直後のあの苦しい表情
(正直な話、死んでしまうかも・・・と思うほど)が嘘のように、
冗談を言い、
怒り、
泣き、
身体に残った障害を除けば、以前の父に戻ったようだ。
左手でPCを使い、仕事の書類を作る事だって出来てしまう。
「さすがだね!」
・・・今日は何を書きたかったのだろう・・・?
父が倒れてもうすぐ一年・・・
今日は阪神大震災の日、ご冥福をお祈りします・・・
もう12年も前の出来事らしい・・・
時間というのは待っていてはくれないんだね、
「time is go on…」
一日一日を大事にしないといけないな。
父が倒れてからもうすぐ1年になる。
2006年の半分が病院へ通う毎日だった。
家族に病人が居るということは、病人本人のみならず、
それを世話する家族の負担と
肉体的、精神的な疲労というものは
言葉では言い表せないほどのものである。
年が明けて元旦に、自分の家で、
家族みんなが揃って「あけましておめでとう」と言い、
2006年より、はるかに幸せな年にしたいとみんなで願った。
「もう少しで1年だね、
去年の今日はまだ元気にお酒も飲んで、
歩いていたのにね。」
健康は失って初めてその重要さに気づく。
父が今、右手右足が自由にならなくなってから、
自分の健康への注意が足りなかったことを後悔しても、
もう遅い!
右手右足は自由には動かない。
どんなに肩に力を入れようとも、
しかめっ面をして手足に力を伝えようとしても、
動かない。
どんなに口惜しいことか・・・
と見ていて思う。
この一年、母は本当に父の面倒をよく見ている。
元気な頃はさんざん母を泣かしてきた父なのに・・・
本当によくケンカをし、怒鳴り、時には暴力も・・・
やはり「夫婦」なんだね。
それなのに父を見捨てず、呼ばれれば
「んん、もう!」
と文句を言いながらも父の言うことを聞いてあげている。
父が倒れたのは
2月14日(父のお誕生日)の夜中12時過ぎ、
救急車で病院に運ばれてから、
脳外科のドクターが現れるまで4時間近くも待たされた。
狭心症があったので、
「心臓発作が起こった時にはこうしてああして」、
と考えることはあったのだが、
脳梗塞に関しては、私を始め、誰もが無知だった。
もし、知っていれば24h救急受付の脳外科専門病院に運んで、
「血栓溶解療法」
が受けられたかもしれないと思うと、悲しくなる。
これはt-PAという薬を点滴するのだが、
発症して3時間以内に行わなければならないという条件がある。
約50%の人は後遺症が残らないで済むそうだ。
「この治療を受けていれば・・・」と今でも後悔しきりだ。
倒れたばかりの頃(病院に到着した時も)、ベッドの上で
「いいか、北京に行っちょ(行くな)」
と私に言うほど、意識ははっきりしていたのに、
だんだんと身体は動かなくなる、
呼吸も苦しくなる・・・
心の中で「やめてー!」と叫びたくなるほどの恐怖を感じた。
隣に居る母を見た。
今考えると母の頭の中は真っ白になっていたに違いない。
「かわいそうなお母さん・・・」
1ヵ月半の治療入院と4ヶ月近くのリハビリ入院を終え、
杖をついて自力歩行が出来るようになったので、
夏の暑い日に家に帰ってきた。
それからは在宅のリハビリやマッサージを今も続けている。
倒れた直後のあの苦しい表情
(正直な話、死んでしまうかも・・・と思うほど)が嘘のように、
冗談を言い、
怒り、
泣き、
身体に残った障害を除けば、以前の父に戻ったようだ。
左手でPCを使い、仕事の書類を作る事だって出来てしまう。
「さすがだね!」
・・・今日は何を書きたかったのだろう・・・?
父が倒れてもうすぐ一年・・・
今日は阪神大震災の日、ご冥福をお祈りします・・・
もう12年も前の出来事らしい・・・
時間というのは待っていてはくれないんだね、
「time is go on…」
一日一日を大事にしないといけないな。