夕食の片付けを終え、一息つきながらTVを観ました。
「こんなところに日本人 2時間スペシャル 」
TVは、いつも「ながら観」 のことが多いけれど、昨夜はじっくり観てしまいました。
戦争に翻弄された2人の日本人・・・
まずはオーストラリア在住の92歳の女性アキコさん。
終戦を迎えて、夫を亡くし、長女も栄養不足で亡くし、残されたアキコさんと3歳の長男。
その後、軍人だったオーストラリア人の男性と出会い、結婚をするのですが、
結婚の条件は「軍人を辞めること」
その条件を快諾して下さった旦那さまと、 日本から遥か遠いオーストラリアで結婚生活を始めます。
暮らしぶりは厳しかったようですが、何よりも、人種差別がそこにはありました。差別はアキコさん1人に向けられるものではなく、その夫、旦那さまにも向けられていました。でも、旦那さまはそんなことは生涯一言も言ったことはないそうです。
オーストラリアに渡って、初めて連れてきてもらったというゴールドコーストの海辺。
そこで泣いて泣いて泣いて泣いて・・・もうこれ以上は泣けないというくらい泣いたそうです。
そしてハッキリとした口調で「覚悟を決めたの」と。「この海を見て覚悟を決めたの」と。
ゴールドコーストの波立つ海の映像とアキコさんの力強い言葉が重なって、ガンガンと胸に頭に響いてきます。
アキコさんの強さがヒシヒシと伝わってきました。その時の、彼女の悲しさや絶望感は想像を絶することでしょう。
でも、それを乗り越えて、「覚悟」という心の力にする。
あぁ・・・なんて感動的でしょう。
涙が止まらなくなってしまいました
最後に旦那さまのお墓に行き、旦那さまの隣のボックスを指差して
「私はここに入るの」「死ぬことは何にも怖いことはないの」と笑って話していました。
いつか旦那さまがいる天国に行くことが、嬉しくてたまらないようにも見えました。
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もう1人は中国の黒竜江省牡丹江市の外れ、林口というところに住む74歳の男性。
「大地の子」を思い出す彼の生涯でした。
満州国の開拓団だった家族は集団自殺をしてしまい、その母親の横で泣いていた彼は、中国人に拾われてそのまま中国人として中国で育ちました。
当時、彼は3歳くらい、名前も生年月日も、何もかも記憶はありませんし手がかりもありません。
幸いなことに2組の養父母はとても優しく、いい人たちだったそうで、家を売ってまで彼に教育を受けさせてくれたそうです。
彼は2番めの養父母の名前で「席」さんと言います。
18歳の時に近所のおじいさんから自分は「開拓団の集団自殺をした日本人の子どもだ」と聞かされ、自分が日本人だと確信したそう。
でも、それは胸の中にしまい、自分は中国人として中国で生きていくことに逆らおうとはしませんでした。
ここで席さんは「覚悟」を決めたのですね。
黒竜江省の冬は厳しい。過酷な環境の中で席さんは精いっぱい日本人であることを隠しながら、懸命に生きてきたのでしょうね。
日本を恨んだことがあるそうです。それはそうです。日本が戦争を始めなければ、彼だって本当の家族との幸せな生活を送ることが出来たのですから。
彼は養父母の期待に応えるべく、猛勉強して努力して、数学の先生になり、校長先生にもなり、退職するまでは教育委員会の書記を務めました。
書記って言ったらすごい上の立場の人ですよ。TVでは言っていませんでしたが、教員時代には優秀教員に選ばれたり、最後は教育局長も歴任されたようです。
席さんは、日本に肉親探しに来たことがあります。日本語は遠い昔に忘れてしまいました。
でも、手がかりは何もなく、一緒にやってきた人たちは次々と肉親が現れて会いに来るのですが、席さんには誰ひとりとして現れることはありませんでした。
その時の席さんの心情を思うとつらい気持ちでたまらなくなります。
この時日本から帰国すると、養母が「やっと帰ってきたんだね。お前のことを思うとたまらなかったよ」と抱きしめて泣いていたそうです。
その時、「自分は一生お母さんのそばを離れない」と、誓ったと言います。
「自分は中国で生きるしかない」と、ここで、席さんは2度目の「覚悟」を決めたのだと思います。
とても素晴らしい養父母に巡り会えたことは幸せでしたね。寂しいと思うことがあれば血の繋がった家族は1人もいません。
しかし、その後ご結婚され、3人のお嬢さんに恵まれ、そしてお孫さんも。
何もなかったところから、血と絆で結ばれた家族が出来ていました。なんて素敵なことでしょう
とても幸せそうな席さんですが、やはり自分のルーツの話になると少しお顔が曇ってきます。
やはり、自分がどこの誰なのか、どうにかして知りたいのでしょうね。
知ったからどうする、ということではないんです。自分が何者なのか知りたいだけなのですよね。
いつの日かわかるといいなぁ。
この2つのドキュメンタリーに、涙が止まりませんでした。
ポタポタ涙が落ちてくるんです。
気づいたことがあります。
人は「覚悟」を決めることが肝心なのね。
決断と同時に覚悟が決められるかどうか・・・
私は「覚悟」がなかった。
だから中国には居られなかったのね。
いつも帰るところ、逃げる場所を用意していたから。
甘い・・・
私はここで生きていく
私はこれをやり遂げる
という「覚悟」
今もってない気がします。
何に「覚悟」を決めればいいのか?
この歳になって、こんなことを思うことを恥ずかしく思っています。