2日目
広島へ来た一番の目的は
戦争を学ぶこと
感じること。
朝一番の静かな気持ちで原爆ドームへ行きたくて 歩いて行くと
旧広島市民球場を通りかかって
折り鶴が展示されているって書いてあった。
入れらせてもらってその鶴を見た途端、
その数と、込められた思いがものすごく伝わってきて
なんか、ここに居るだけで色んなものがこみ上げてきちゃった…。
日本中、世界中から
送られてくる折り鶴。
こんなにも平和を願う人達がいるってことを知る。
それに感動したり、
色々な記事を読み、本当に心がえぐられるような苦しさや悲しみを感じる。
セナも真剣に向き合ってた。
本当にここに居るだけでこみ上げてきて涙が出た。
これは銅で出来た折り鶴。
紙で作った折り鶴が放火されるという事件が多発した時期があり、
それに心を痛めた職人さんたちが燃えない折り鶴を!と声をあげて
一つ一つ手作業で折られた鶴だそうです。
私は、伝えることしかできないけど、
見たもの、感じたことを書くことで、
何か訴えることが、伝えることができたらと思います。
今、すごくこの記事を書くことは使命だなって感じて書いてます。
折り鶴を折るコーナーには思いを書くノートも置かれていました。
世界中の人が、沢山の人が思いを、平和への願いを書いていました。
ここで折った鶴を持って原爆ドームへ
テレビで見るよりも痛々しかった。
鉄骨が、無言で訴えていた。
青く晴れた空が何だか悲しく見えた。
負の世界遺産。
もうこれ以上、こんな負の遺産が世界に残りませんように。。
平和の鐘
何も言えなかった。
胸が苦しくって。
ただただこの空気を心で、五感で感じていました。
平和記念公園内の資料館へ
原爆投下 1945年8月6日 午前8時15分
最後の時を刻んだ時計
今、この公園があったこの街並みは
この一瞬で
一変した。
この円の中の範囲でどれだけの人が助かったと思いますか?
何十人?
何百人?
たったの3人だそうです。
たまたま数少ない鉄骨の建物の地下に居た3人しか助からなかった。
さっき私が見た原爆ドームにも出勤していた方が何人もいらっしゃったそうです。
原爆が投下され、その年の冬までに14万人の命が失われました。
空中で炸裂した核兵器で
一瞬の間に全てが奪われた。
でも世界には核兵器がこんなに沢山まだあります。
どんな理由があろうとも、こんな悲劇をもう絶対起こしてはいけない。
絶対、絶対、絶対に。
資料館には沢山の遺品も展示されていました。
正直、本当に見るのが苦しかった。
全てを見ることができませんでした。
苦し過ぎて、辛すぎて見れなかった、最後まで。
ごめんなさい。
覚悟を決めて行ったんだけど、
まだ受け留めきれなかった。
焼け焦げたお弁当箱
三輪車
血に染まったワンピース
それを火傷がひどかったのかハサミで切った痕
焦げた人型の残った壁
被爆した方が見た景色の絵…
遺品が何よりも強く胸に訴えかけてきました。
ホント苦しかった。
セナにとっても相当な衝撃だったみたいです。
ちょっと衝撃強すぎたカナ…って思ったけど…
でもこれが現実。
いや現実はこれ以上。
これを頭じゃなくて心で感じてほしかったんだ。
親としてこれはちゃんと教えなくちゃって思ったんだ。
まだわかんないかもしれない。
詳しいことは学校で習うと思う。
ただその時に他人事、過去の過ぎ去ったことって感じてほしくなかった。
感覚で良いから感じてほしかったんだ。
だから「今」だったんだ。
一緒にこの重みを分け合えてよかったと思う。
それに
「どうして広島が選ばれたの?」
「爆弾はどのくらいの大きさなの?」
セナなりに疑問が湧いて一生懸命考えていた。
本当に沢山の事を学んで、感じてきた広島でした。
最後に
このブログのタイトルでもある詩を
「今日という日に心を込めて」
今日という日がくるのは
当たり前のようで
本当はとても幸せなことだと思う
だから自分に与えられた一日に感謝して
心を込めて精一杯
体いっぱい 人間らしく
あなたと共に生きている今日にバンザイ!
広島へ来た一番の目的は
戦争を学ぶこと
感じること。
朝一番の静かな気持ちで原爆ドームへ行きたくて 歩いて行くと
旧広島市民球場を通りかかって
折り鶴が展示されているって書いてあった。
入れらせてもらってその鶴を見た途端、
その数と、込められた思いがものすごく伝わってきて
なんか、ここに居るだけで色んなものがこみ上げてきちゃった…。
日本中、世界中から
送られてくる折り鶴。
こんなにも平和を願う人達がいるってことを知る。
それに感動したり、
色々な記事を読み、本当に心がえぐられるような苦しさや悲しみを感じる。
セナも真剣に向き合ってた。
本当にここに居るだけでこみ上げてきて涙が出た。
これは銅で出来た折り鶴。
紙で作った折り鶴が放火されるという事件が多発した時期があり、
それに心を痛めた職人さんたちが燃えない折り鶴を!と声をあげて
一つ一つ手作業で折られた鶴だそうです。
私は、伝えることしかできないけど、
見たもの、感じたことを書くことで、
何か訴えることが、伝えることができたらと思います。
今、すごくこの記事を書くことは使命だなって感じて書いてます。
折り鶴を折るコーナーには思いを書くノートも置かれていました。
世界中の人が、沢山の人が思いを、平和への願いを書いていました。
ここで折った鶴を持って原爆ドームへ
テレビで見るよりも痛々しかった。
鉄骨が、無言で訴えていた。
青く晴れた空が何だか悲しく見えた。
負の世界遺産。
もうこれ以上、こんな負の遺産が世界に残りませんように。。
平和の鐘
何も言えなかった。
胸が苦しくって。
ただただこの空気を心で、五感で感じていました。
平和記念公園内の資料館へ
原爆投下 1945年8月6日 午前8時15分
最後の時を刻んだ時計
今、この公園があったこの街並みは
この一瞬で
一変した。
この円の中の範囲でどれだけの人が助かったと思いますか?
何十人?
何百人?
たったの3人だそうです。
たまたま数少ない鉄骨の建物の地下に居た3人しか助からなかった。
さっき私が見た原爆ドームにも出勤していた方が何人もいらっしゃったそうです。
原爆が投下され、その年の冬までに14万人の命が失われました。
空中で炸裂した核兵器で
一瞬の間に全てが奪われた。
でも世界には核兵器がこんなに沢山まだあります。
どんな理由があろうとも、こんな悲劇をもう絶対起こしてはいけない。
絶対、絶対、絶対に。
資料館には沢山の遺品も展示されていました。
正直、本当に見るのが苦しかった。
全てを見ることができませんでした。
苦し過ぎて、辛すぎて見れなかった、最後まで。
ごめんなさい。
覚悟を決めて行ったんだけど、
まだ受け留めきれなかった。
焼け焦げたお弁当箱
三輪車
血に染まったワンピース
それを火傷がひどかったのかハサミで切った痕
焦げた人型の残った壁
被爆した方が見た景色の絵…
遺品が何よりも強く胸に訴えかけてきました。
ホント苦しかった。
セナにとっても相当な衝撃だったみたいです。
ちょっと衝撃強すぎたカナ…って思ったけど…
でもこれが現実。
いや現実はこれ以上。
これを頭じゃなくて心で感じてほしかったんだ。
親としてこれはちゃんと教えなくちゃって思ったんだ。
まだわかんないかもしれない。
詳しいことは学校で習うと思う。
ただその時に他人事、過去の過ぎ去ったことって感じてほしくなかった。
感覚で良いから感じてほしかったんだ。
だから「今」だったんだ。
一緒にこの重みを分け合えてよかったと思う。
それに
「どうして広島が選ばれたの?」
「爆弾はどのくらいの大きさなの?」
セナなりに疑問が湧いて一生懸命考えていた。
本当に沢山の事を学んで、感じてきた広島でした。
最後に
このブログのタイトルでもある詩を
「今日という日に心を込めて」
今日という日がくるのは
当たり前のようで
本当はとても幸せなことだと思う
だから自分に与えられた一日に感謝して
心を込めて精一杯
体いっぱい 人間らしく
あなたと共に生きている今日にバンザイ!