音楽を始めたのは小2の時。母の勧めで音楽スクールに通い始めました。最初の頃は、やめたい、やめたいと言っていましたが、発表会をきっかけに楽しくなりました。人前で歌うことは気持ち良かったし、母にほめられるとうれしい。ほかの生徒の歌や演奏を見るのも、楽しいものでした。
5年生の時にギターを始めました。兄が母とギターを買うのでついていくと、おまけで私も買ってもらえたんです。
母の影響で、憧れを抱いたのが女性ロックミュージシャンのアヴリル・ラヴィーンさん。ギターの演奏が格好よくて、MV(ミュージックビデオ)も、やんちゃな感じが出ていて、かわいいな~と。
6年生のときにスクールで、アヴリルさんの曲を弾いて歌うライブをしました。それがきっかけで、仲間ができました。スクールの友人がベースで入り、別の友人がドラムをたたいて、演奏をするようになりました。スクールの先生に「センスあるやん。3人でやってみる?」と言われ、ロックバンドを結成しました。
今思えば、ロックの意味もよくわかっていませんでしたが、格好いいものだという感覚はありました。「やっていくぞ!」ではなく「バンドとして成長していきたい」と、スクールやライブで演奏をしていました。
地元では中学生バンドとして、知る人ぞ知るくらいの存在になりましたが、現実は厳しかったです。CDを出すためにレコード会社をまわりましたが、担当者の方に面と向かって厳しいことを言われました。「中学生のバンドだからって、売れないよ」「1週間で10曲つくってきなさい。それ次第で考える」。プロになるなら、そのくらいできて当たり前、と。それまで歌詞は書いていましたが、曲をゼロから作り上げた経験はほとんどありません。「無理だ」とあきらめました。
3人で東京のライブハウスに遠征したこともあります。だけど、東京に私たちを知るお客さんはいません。私たちの前に演奏していたお目当てのバンドが終わると、お客さんは席を立っていきました。ステージに立って愕然(がくぜん)としました。ライブのお客さんはたった2人。ライブの始まりから終わりまで景色は変わりませんでした。「どういう気持ちで歌えばええんやろ」。わからないままでした。
高校生になると、ベースの友人が脱退。代わりの子が入りましたが、活動は停滞するようになり、解散しました。母がへこんでいる私に気づいたのでしょう。音楽や芸能事務所のオーディションを勧めてくれました。母は何かと、私のやりたいことを先回りして、調べてくれていました。それでいくつもの事務所に応募しましたが、いい結果は出ませんでした。
高2の時、現代国語の授業で、克己心という言葉を教わりました。「己に勝つ」。心に響きました。中学生の頃は、無理だと思うと逃げることが多かったな、と思い返し、それ以来、「克己心」の言葉を胸に刻んで行動するようになりました。
高2の秋になり、進路を決めるときが近づいていました。自分の将来と真剣に向き合わないといけません。受験勉強をして、大学に入り、教員免許を取得して、教師になる道も頭に浮かびました。
その頃に、母がNMB48のオーディションを勧めてくれました。最初は「何言ってんの」と思いました。アイドルはかわいいイメージ。自分の目指す道とは違うと、興味がありませんでしたが、母は言いました。AKB48はアイドルでも、それぞれの女の子が、自分に合った分野で活躍しているよ。アイドル志望でないのはわかっているけど、アイドルから自分の目指す方向に進んでいけばいい、と。
色々調べてくれていたんですね。そうでなければ、勧められても受けなかったと思います。今の私がいるのは母のおかげです。高2の秋。NMB48を最後のオーディションにしようと、受けることを決意し、合格しました。
AKBグループの先輩たちを見ると、確かに女の子らしい人も、男っぽくてさばさばした人も、タレント性の強い人もお笑い好きの人もいました。ひとつにとらわれる必要がないなら、私らしさを表に出そうと、やってきました。
NMB48でも数え切れないくらいめげそうな時がありました。新公演の前には、忙しい仕事の合間でも、短期間で16曲の歌と振りを覚えなくてはならないこともあります。頭がぱんぱんで、投げ出したくなることもありましたが、本番の舞台でできない自分の姿を想像して、がんばりました。情けないし、負けたくはない、と。
チャンスが巡ってきました。「ジャングルジム」というバラードの曲があります。最初は振りつきの曲だったのですが、私がギターを弾けると知った秋元康さんがソロの弾き語りにして下さいました。そこから多くのファンの方に、アーティストを目指す私の個性が伝わり、ソロで歌う機会が増えました。
将来の自分の夢につながることをさせていただけることに感謝しています。将来、NMB48を卒業したときには、「シンガー・ソングライターの山本彩」になりたいです。自分の力で活躍ができるように、今のうちに「貯金」をしたいと思っています。
■番記者から
歴史が好きで、城や武将に興味がある。注目している武将を尋ねると、明智光秀をあげた。「謀反を起こした人物なのに、なぜ?」と思われることもあるそうだが、「自分に厳しい生き方が格好いい」と言う。伝記を読んで感銘を受けた。「鉄砲の練習を誰よりもしていて、妻に止められてもやり続け、腕を鍛えたそうです」
厳しい生き方は自身にも重なる。「克己心」の言葉を胸に刻む。人生には自分と戦う場面がたくさんある。そんなときは今の自分と過去の自分を比べて、全力を尽くす。「自分に負けることが一番嫌いなんです」と言う。
NMB48では、「数え切れないくらいめげそうな時はあった」という。新公演の前は、忙しい中、16曲を短期間で覚えなくてはならない。頭がぱんぱんでも、「自分に負けたくない」と乗り越えた。
NMB48のエースで、チームNのキャプテンを務める。チームのメンバーたちが悔しい時は自分も悔しい気持ちになる。6月の選抜総選挙はまさに、そんな時だった。NMB48のランクイン(80位内)メンバーは12人でAKB48グループ内で最下位に沈んだ。それでも悲壮感は見せなかった。
「まだまだ頑張ろう、とおっしゃってくれるファンの方の気持ちにこたえるために、泣くよりは笑うほうがNMB48らしい、と思いました」。結果を受けて、喜んでいるメンバーには、「やったね」と抱き合い、落ち込んでいるメンバーがいれば、あえて言葉には出さず、「わかっているよ」という気持ちで抱きしめたという。
すてきなキャプテンだ。先週はゆい姉(AKB48チームKキャプテン横山由依)について行こうと思ったが、今週はさや姉についていきたくなった。
小柄だけどパワフル。卒業した大島優子に似ている。優子がAKB48で活動しながら、女優への道を切りひらいたように、NMB48で努力を重ねながらシンガー・ソングライターを目指す。
弾き語りのソロ曲「ジャングルジム」は、コンサートで聞く度に感動した。ルックスに存在感はあるし、歌やギターの実力もある。おまけに漫才も上手。まだ先だけど、ソロのアーティストになっても応援したい逸材だ。その前にAKB48グループのシングル曲でセンターを張る姿も見てみたい。