私は幼稚園の年長組の時にピアノを始めました。私から「習いたい」と母にお願いしました。友達の間で流行していたからです。ところが、通うことになったのは、コンクール入賞を目指すような本格的なピアノ教室でした。ほかの生徒たちは3歳くらいから始めていて、私はついていくのに精いっぱいでした。小学生になるとコンクールの前には猛練習。週5日教室に通い、詰め込んで練習をするので、友人とも遊べません。シビアな世界を初めて知りました。
小2の時に一度だけ、ピアノをやめたいと思いました。友人と遊びに行く約束をして、母にきつく叱られた時です。「自分からピアノをやりたいと言ったのに、友人との遊びを優先するなんて、責任感がない」と。そのときはいやになりましたが、考え直しました。母は普段から「これだけは人に負けない、と思えるものを一つもっているといいよ」と言っていました。私にとって、それはピアノだったからです。
そのときはつらかったですが、普通の子供としての生活を犠牲にしてでもピアノをすることの意味が、その後、わかるようになりました。教室の先生の存在は大きくて、私の人生に大きな影響を与えた人でした。
先生は年配で私の祖母のような雰囲気だったので、教室に行くのは「おばあちゃんの家に行く」ような感覚でした。先生は、普段は優しいのですが、練習ではとても怖かった。
ピアノの演奏を斜め後ろで見ながら、次から次へと指摘をしてきます。先生は表現を重視するタイプでした。楽譜に、ここは軽やかに、とか、たくさんの記号が英文で書いてあり、訳してもらって覚えました。「叙情的に」とか、小学生には意味がわからない記号もあったので、先生や母にどんな感覚なのか教えてもらったりしました。
先生はミスは逃しません。それでも厳しい方が演奏はより良くなると、子供ながらに感じていました。実際に、先生の言うとおりにしていると、上達するので信頼ができました。なぜ、こんなに一生懸命に弾いているのか疑問に感じながらも、気づくと弾けるようになっているんです。
コンクールにも、楽しんで出場しました。きれいなドレスを着て、舞台に立ち、たくさんの人が見ている前で演奏するのは、自分がすごくきらきらしているような気持ちでした。緊張していても、舞台に立つと、すべてが吹っ切れます。先生からも「本番に強い」と言われていました。
めったにほめることのない先生でしたが、コンクールで結果の良くないときは、「私はいいと思ったけどね」「審査員と相性が合わなかっただけだよ」と元気づけてくれました。「優しいな」と思いました。
中学生の時には、コンクールで賞をいただけるほどになりました。教室には受賞者の名前が張り出されるので、誇らしい気持ちになります。先生と一緒に築いてきたという感覚がありました。将来はピアニストや音楽の先生を目指すようになりました。
そんな時、HKT48の1期生の募集があり、父がこっそり私の写真を送り応募しました。私がアイドルに向いていると思ったのでしょうか? 1次の書類審査に合格し、私は長崎から都会の福岡に遊びに行けると喜びました。レジャー気分でした。歌もダンスも未経験で、審査ではうまくできませんでしたが、合格したのでびっくり。
その頃は、地味な感じだったので、友人らも驚いていました。アイドル活動は未知の世界で楽しかったです。写真撮影でも、ポーズの取り方や笑い方もわかりませんでした。どうやったら、かわいく写るんだろうと考えることもありました。
ピアノ教室はやめることになりました。先生は「さみしい」と言いました。プロのピアニストを目指す人が少なくなってきているので、私にも期待して下さっていたのです。
ピアノはやめましたが、それまでの経験はアイドル活動で役立ちました。アイドルは、学校の友人と遊んだり、恋愛や勉強をしたりすることが普通にはできない仕事です。何かを犠牲にしながらも、やるべきことを貫いていく点で、ピアノに似ているので、早く環境に慣れることができました。
ピアノは自分の個性を考えるきっかけになりました。人それぞれの弾き方があり、私の個性は何か、まだはっきりと突き詰められてはいないのですが、先生からはこう言われたことがあります。「あなたは流れるような美しい曲が似合っていると思われがちだけど、実はモーツァルトのように柔らかく軽快に弾く曲が合っている」
アイドルとしても、冷静で落ち着いているイメージのようですが、実は、楽屋では変顔を研究したり、ものまねをしたりして、「楽屋芸人」と呼ばれています。そんな一面も発揮したいけど、その日は来るのでしょうか?
アイドル活動を始めて、ピアノに触れない生活にさみしさがありました。ピアノを弾いていた頃は、義務感でしたが、触れられなくなると、不自然な感覚がありました。そんな時、テレビ番組で、ピアノを弾くことになって自主練習を再開するようになりました。
コンサートでピアノを披露する機会も増え、「森保と言えばピアノ」とたくさんの人に知ってもらえるようになりました。
先日、久しぶりに教室を訪れて驚きました。コンクールの受賞者の張り紙のそばに、私を紹介した新聞や雑誌の記事がはられていたのです。うれしかった。先生からは「背が高くなったね」と言葉をいただきましたが、もう17歳。「大人になったね」と内面の成長を認めてもらえるようにがんばりたいです。
■番記者から
クールな美人。そのせいか「真顔が怖い」と言われることがあるそうな。「口角を上げるように努力しています」と笑う。だが、ひょうきんな一面もある。楽屋では変顔やものまねを披露して、かしましいという。「あんまりやっちゃダメって言われているんです」とまた笑う。
コンサートでピアノを弾く姿は良家のお嬢様を想像させるが、始めた理由はまわりの友だちが習っていたから。「流行に乗っちゃったんですよ」。話していると、外見とは対照的に、とても親しみやすい。メンバーから相談を受けることも多いそうだ。「お姉さん的存在になれたらと思っています。外見よりも子供っぽいと言われているので」
今年の選抜総選挙では、圏外から25位に大躍進した。本人は「ファンの方ががんばってくれた結果の25位です」と気を引き締める。「まだ、実力が順位に追いついていません。25位にふさわしい人になってね、とファンの方から言われることもあります。その通りなので、もっとがんばりたいと思っています」
今はモデルを目指している。17歳の目標は雑誌の表紙を飾ること。知名度を上げて、夢に一歩一歩近づきたいという。「モデルでは佐々木希さんが好きですね。かわいかったり、きれいだったり、色々な表現をできる人になりたいです」
HKT48の公演「手をつなぎながら」の舞台監督から、「期待以上の結果を残して初めて人に認められる」と教わり、刺激を受けた。日々の仕事で、結果を出せるように自分なりに考えて工夫し、実践している。
「期待されているなら、それ以上の結果を残そうと思っています」。いいコだなー。素直で前向きな17歳。記者にもこんなフレッシュな時代があったようなないような……。(