幼い頃は人見知りで、幼稚園では、いつも先生の後ろに隠れていました。行動する時もひとりになりがち。小学校に入っても体が弱くて、おとなしい子供でした。小学5年生の時の先生は、そんな私を心配してくれました。3歳の頃からピアノを習っていた私に、「せっかくできるんだから、もったいないし、伴奏しようよ」と声をかけてくれたんです。音楽の授業や合唱の行事では、ピアノを弾く機会を与えてくれて、人前に出る自信が少しつきました。
私を変えたのは、小学5年生で始めたバレーボールでした。テレビで全日本の試合を見て、やってみたいと思いました。学校のバレーボール部は、部員の仲が良くて楽しかったです。速いスピードで飛んでくるボールが怖くて、あまり上達はしませんでしたが、人見知りの性格が変わっていき、体もだいぶ丈夫になりました。
中学の部活ではをする気はありませんでした。先輩たちが「厳しくて怖い」と聞いていたので。バレーボールを続けることをすすめたのは母です。私が勉強好きでなかったのもありますが、家庭は、勉強より部活という方針でした。「君にはバレーボールしかないでしょ」と。しかも、学校の部活だけでなく地元にあるバレーボールのクラブチームにも入れられました。
朝と昼休みの練習では、ランニング、腕立てふせ、腹筋、スクワット、階段ジャンプのメニューをこなし、放課後はボールを使った練習を夜7時まで。日曜日にはクラブチームの練習に参加しました。クラブチームには年上しかいなくて、しごかれるし、気が許せる同級生もいなかったのでつらかったです。「やめたい」と何度言っても、母は「いつか通っていて良かったと思うときが来るから」と認めてくれませんでした。ただ、私のためを思ってくれている気持ちは伝わりました。
中学のバレーボール部には幼なじみの友達がいて、その子がいるから楽しかったし、その子に負けたくないと思ったからがんばれました。いい仲間でライバルでした。練習の成果で、スパイクを打てるようになり、上達を感じました。中2でレギュラーメンバーになれて、後輩たちが入部してくると、やっていて良かった、と思えるようになりました。
背が低いので、試合では相手チームから標的にされますが、「とれるんだぞ!」と打ち返していました。いい意味で気が強くなりました。誰かの意見や行動が間違っていると思うと、「それは違うよ」とはっきり言います。消極的だった性格が元気で活発に。今では自己主張しすぎて困るくらいです(笑い)。
中学3年生の引退試合の相手は、ずっと歯が立たなかった強いチームで、絶対勝ちたいとみんなで話し合いました。それまではチーム全体がしっかりまとまっていませんでした。けんかをして、ぶつかり合いながらも、最後はみんなでがんばろうと気持ちが一致。結果的には勝てませんでしたが、チームプレーで、以前と比べて驚くほど点が取れて、好勝負ができました。
高校1年生の時、歌に興味を持つようになりました。たまたま歌手の絢香さんの曲「おかえり」を聴いて、「いい曲だな」と感じたからです。それから色々なアーティストの曲も聴くようになりました。
カラオケに通うようになりました。仲良しの6人グループが集まるとカラオケに。人前で歌うことが苦手だったのに、「歌は楽しい」と思えるようになりました。友達に「上手だね」と言われると、うれしかったです。
アーティストに興味はありましたが、アイドルのことはあまり知りませんでした。秋にSKE48の募集がありました。「一緒に受けようよ」と友達に誘われて、応募の書類を送りました。私だけ1次審査に合格し、2次審査へ。だけど、不合格でした。悔しくなって、絶対、合格したい、と闘志に火がつきました。
勝手に1年後にまた募集があると想定し、オーディションのために「一人カラオケ」で練習。自分のお小遣いで、ボイストレーニングにも通いました。5期生の審査中は友達に支えられました。審査の当日は、ほとんど名古屋に行ったことのない私のために、岐阜県から友達が付き添ってくれました。
1次、2次と審査に合格するたびに、「良かったね」と、みんなが小さなケーキでお祝いしてくれました。最終審査も無事に通過。だけど、正式にメンバーになるには、レッスンを受けた後で、セレクション審査に合格しなくてはなりませんでした。「仮合格」なので、まだ話さないように言われました。友達に「最終審査どうだったの」と聞かれても、答えられず、「応援していたのに、どうして教えてくれないの」と言われても黙っているしかありませんでした。ところが、スポーツ新聞に仮合格者の名前が出てしまい、「え、受かっていたの? どういうこと?」と友達を怒らせ、けんかになってしまいました。
私はどうしていいかわからなくなりましたが、私の気持ちを察してくれた友達の一人が、仲裁してくれました。体育祭の後、「みんなで話そう」と6人で学校の廊下に集まりました。友達は「言ってくれなくて、さみしかったよ」と言いました。私はみんなが怒っているとばかり思っていたけど、「さみしかった」という言葉に、「そうなんだ。私なんかのために」と涙が出そうになりました。
「合格したけど、仮合格だから言えなかったんだ」「それならそれで言って欲しかった」。私が謝ると、「気持ちがすれ違っていたんだね」と今度はみんなが謝ってくれました。そして一緒に泣きました。「あっ、バイトの時間だ。急がなきゃ」と誰かが言って、最後は笑って解散しました。初めてのけんかでしたが、けんかをするくらいに仲良くなっていたんだと思いました。
私が名古屋でのレッスンのため授業に出られない時は、ノートを貸してくれたり、宿題を教えてくれたり。練習に疲れて授業中に寝ていると、先生に見えないように、みんなで姿を隠してくれたことも。おかげで正式にSKE48メンバーになれました。
活動が始まると、岐阜県から名古屋へ本格的に通わなくてはなりません。もし、勉強が遅れて単位を落としたら卒業できないので、転校する話も出ましたが、みんなが「そんなのもったいないよ」といって、授業ごとに私のためにノートをとってくれました。私は転校せずに一緒に卒業することができました。
その頃の友達とは今も毎日のように連絡したり、旅行をしたりする仲です。相談ごとをしても、ダメなときにはダメと、私のためを思って言ってくれます。最近、知ったのですが、私にSKE48を一緒に受けようと言った友達は、「あのとき実は応募しなかったんだ」と教えてくれました。はっきりとは言いませんでしたが、歌手に憧れる私の背中を押してくれたのかもしれません。
あの頃の友達は私の自慢です。私もみんなにとって、自慢の友達になれるように頑張りたいです。
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次回は「乃木坂46日々是勉強」。若月佑美さんです。